第10話「空から黒人が降ってくる。それが、この街の日常だ」
夏休みに栄光を!
夏休みに賞賛を!
駅前で徒党を組んで、プラカードを持っている男たち。奴らは必死になって、まったく意味のないことを叫んでいる。
……その中には、見覚えのあるクラスメイトも混じっていた。向こうが気づいて声をかけてくるが、次郎は無視をして逆方向に歩いていく。
「ま、待ってくださーい」
そんな次郎の後ろには。
聖女こと、モブ子が必死に付いてきていた。
ぴょこぴょこ、と危うい足取りで、通行人の波に流されそうになっている。そんな彼女が迷子にならないように、時々、立ち止まっては振り返る。
「大丈夫か? 迷子になるなよ?」
「ちょっ、わっ、……今日はお祭りでもあるのですか?」
アスファルトの地面に躓いて、次郎の胸元に顔から突っ込む。そんな彼女は抱き留められて、ちょっと恥ずかしそうに顔を赤くさせるが、誤魔化すように周囲を見渡す。
「まぁ、今日は夏休みの最後の日だからな。いつもより騒がしいかもしれんが、この街はだいたいこんなもんだ」
「こ、これで普通なんですか!?」
「あぁ、普通だな」
次郎は呆れたようにため息をついて、駅前のほうを見た。
人と、人と。
そして、また人だ。
時刻は朝の10時。
練馬区にある陣凱町駅は、雑多を通り越して混沌となっていた。夏休みの延長を叫ぶ高校生たち。その横を、仕事中のサラリーマンが忙しそうに通り過ぎる。駅前広場では即興ライブが開かれていたり、お祭りみたいな屋台まで並んでいる。焼けたソースの匂いと、綿アメの甘い匂いがした。
「ここは陣凱町だからな。いつだってお祭り騒ぎだ。頭のネジが飛んでいる奴らだから、喧嘩なんていつものことだ」
「そ、それは、危険なのでは?」
「下手に首を突っ込まなければ問題ない。それに、この街の住人はタフだからな。多少のことでは動じないよ。……まぁ、逆を返せば、少し変わった過去があっても、ここでは普通の人間ってことだな」
人ごみを縫うように避けながら、モブ子へと声をかける。
その時の次郎の顔は、どこか嬉しそうだった。この騒がしい街に飲み込まれて、日常の一部でいられることに、幸せを感じているようであった。
「とりあえず、お前の服を何とかしよう。知り合いが古着屋でバイトしている」
次郎はモブ子へと振り返りながら、彼女のことを見る。
サイズの合っていない、お下がりのTシャツ。
襟首が大きく開いていしまっているので、長い蜂蜜色の髪の隙間からちらちらと鎖骨が目に入る。あまり激しく動くと、肩からずり落ちてしまうんじゃないか。そんな不安にどきどきしてしまう。
スウェットのズボンも何度を折り返して、なんとか彼女の身の丈に合わせている。そんなラフすぎる格好は、この街であっても人目を惹くようで。さっきから通行人が何度も振り返っている。
モブ子自身も気になっているのか、恥ずかしそうに自分のことを見下ろす。
そして、おもむろにシャツの襟元を引っ張ると。
彼女は鼻先に当てて。
……息を吸い込んだ。
「くんす、くんす。……やっぱり。このTシャツ、汗の匂いがしますよ?」
「だったら嗅ぐな。せっかく人が貸してやっているというのに」
「わかってますよ。……くんす、くんす」
唇を尖らせて不満をいう割には、何度もTシャツの匂いを確認している。
その度に、なにかと文句を言ってくるモブ子だったが、なぜか匂いを嗅ぐことをやめようとせず。しまいには熱っぽく顔を赤くさせて、ポーッとした表情になっていく。
「……」
さっさと古着屋にいかこう。
小さな美少女が自分のお古のシャツの匂いを熱心に嗅いでいる姿というのは、こう、くるものがある。変な気を起こす前に着替えさせないと。
次郎は、立ち止まってしまい動かなくなったモブ子の手を引こうとする。
そんな時だ。
不意に、次郎が険しい顔になった。
「おい、ボーっとしていると危ないぞ」
「……ふぇ?」
次郎がモブ子の手を引く。
ちょっと強引に引っ張ったせいで、ぽすんっと次郎の胸に抱かれる形になった。やばい、殴られるかも。そんな危機を感じた次郎だったが、なぜかモブ子は顔を赤くさせて、恥ずかしがるように視線を逸らす。……あれ、殴られない? 次郎が首を傾げても、モブ子は恥ずかしそうに唇を尖らせているだけだ。だが、そんな二人を邪魔するように―
空から。
巨大な黒人が降ってきた。
「……Oh.ミナサン。ドーモ、スミマセン」
ずしん、と地響きがして、その男は振り返る。
まるで、ハリウッド映画のヒーローのように着地したのは、体の大きな黒人だった。身長は2メートル近くあるだろうか。腕や胴回りはとてつもなく太く、筋肉質でたくましい。片言の日本語で謝ってはいるが、その表情は優しいものだった。
そして、なぜか。
男の手には、立派な《《大根》》が握られていた……




