第九話 人と機械
街灯が遠のき公衆トイレ近くの自販機の灯だけが頼りに在りつつある公園。俺はその自販機の重低音を聞きながら財布を漁っていた。
(水高いなぁ)
180円って、少し前は120円とかじゃなかったか。これなら今から家に戻って水道水持ってきた方が良いじゃないか。
そんな愚痴を思い浮かべながらも、カランと小銭を入れ水を選ぼうを指を伸ばす。が、一旦指を止めとありの商品へと目を移す。
(寒いし白湯の方が良いか)
ギリギリで触れかけた指を横にスライドさせ外気で冷やされたボタンを押し込む。そしてガタコンと音を立て落ちてきたペットボトルを拾おうと腰を曲げる。
と、その時だった。全く無防備だった俺の背後から声が聞こえてきたのは。
「いつも私に早く帰れと言う割に遅いじゃないですか」
まさか誰かに話かけられるとは思っておらず、驚きから小さく声を漏らし手に持った白湯を地面に落としてしまう。
「っと、と・・・って渚か」
跳ねた心音を落ち着かせながら白湯を拾い後ろに立つ渚を見る。
「遅いので迎えに来ました」
「・・・あぁお前俺の位置情報分かるんだったか」
まぁ今21時前だし一つ連絡しておけばよかったか。
でも今渚と戻ると浜中さんへの説明が面倒くさいし、ここは先に家に帰ってもらうか。そう考え俺は白湯に指を温めてもらいつつ、渚へと向かい直る。
「すぐ帰るから先戻ってて。俺まだ━━」
俺がそう言いかけた時、公園のどこかで喧嘩しているのか誰かの怒鳴る声が良く響いて来た。方向からして嫌な予感がした俺は、早く戻る為歩き出そうと右足を踏み出す。
「それは浜中結衣の為のでしょう?私が代わりに持っていきますよ」
横を通り抜けようとする俺の肩に手をかけ渚が引き留めてくる。どうやらこちらの事情は全て筒抜けらしい。
「え、いやいいよ」
だがわざわざ渚に変わってもらう理由も無いし、それにこいつに任せるとまた周囲と齟齬が生まれかねない。てか下の名前結衣なんだと今更思いながらも、渚の手を振り払い浜中さんの元へと歩を戻そうとするのだが、渚の手は岩の様に俺の肩から離れない。
「今行くと怪我しますよ」
「・・・またなんか隠してるよな?」
渚が何を言いたいのかいまいち掴み切れないが、それでも俺が行こうとするのを妨げてくる。少し疲れていたこともあって口調を強めに言い返したのだが、渚は全く表情を崩さず無機質に言った。
「じゃあ私の後ろに居てください。それなら良いですから」
「いやだからそれ答えになってないんだけど・・・・・」
だがそう呆れる俺を置いて渚は浜中さんの元へと歩き出してしまった。ここまで強引になられると俺もどうしたらいいか分からず、面倒くさいなぁと白いため息を吐き仕方なくついて行く。
「ちゃんと説明してくんないと信頼関係構築できねぇーぞ」
「別にアンドロイド相手に信頼は必要ないですよ。どうせ貴方の物なんですから」
渚は少しだけ振り返り俺に視線を向けてくるが、街灯に反射した水色の瞳がやけに反射し不気味に光っていた。それが渚の言葉通り無機質な”物”って感じがしてしまい、その瞳から目を逸らしポケットに手を入れ零した。
「・・・・お前のそういう所はアンドロイドっぽいよな」
「元々アンドロイドですがなにか」
腹の立つ言い方だな。そんな気持ちが言葉にも出てしまう。
「あっそうかよ」
今日はやけに冷たいと言うかイラついているのだろうか。こんな事本人に言ってもアンドロイドだからどうのとか言うに決まってるから、これ以上何も言わないが。
そんな事を思いながら渚の背について行くのだが、今度は何かと思えば渚は突然地面を蹴り上げ走り出してしまった。
「っておい・・・!」
渚のせいで舞った砂塵に目を細めながらどうしたのかと前方へと視線を送ると、どうやら誰かが浜中さんのいるベンチの近くにいるらしいのが分かった。
「ヤンキーとかじゃないよな・・・」
渚が動いたって事は何か問題が起こっているって事なのだろうか。そう心配になりながら小走りで近づくと、二人の内一つの人影は浜中さんに覆いかぶさっているのが見えた。そんな明らか異様な状況に不安を覚えていると、先を行った渚はもう一つの影目掛け拳を振り上げていた。
「ちょ、流石にいきなり喧嘩は━━」
いくら相手がヤンキーだと言っても先制攻撃はまずい。そう止めようと声を上げるが、それはと届かず渚が拳を振り下ろす。そこまでは見えたのだが、一度瞬きをすると地鳴りに似た衝撃音と共に土煙が二人を覆っていた。
「まじなんなんだよ・・・・」
俺の知らない所で勝手に状況がどんどんと進んでいる。渚の奴も説明無いしなんか意味の分からない状況になっている。
「渚の奴らは知らねぇっ」
どうせ何かあいつがまた勝手やったんだろう。とにかく今は浜中さんが巻き込まれないようにしないと。そう俺は舞い上がる土煙を避け走り抜けようとする。
「ゲホッ・・ゲホッ・・・・って、え、は!?」
走り横目に土煙の間から見えていたのは、男がひび割れた地面に拳を叩きつけている所だった。どうやら渚は躱したらしいけど、まさかそんな漫画の一場面の様な物を見る事になると思わなかった。
「やばいって・・・・」
これが現実なのかどうかも分からなくなりそうだが、それでも明らかやばい状況だと頭の中で警告音が鳴り響く。もう一人の浜中さんに覆いかぶさる男も危ない可能性もあるが、それなら尚更俺が逃げる訳にはいかなくなってしまう。
「あぁもうッ!!」
意味も分からないし今俺が何をするのか正解なのかも分からない。渚のあの様子ならこの現状が分かっていて俺を遠ざけようとしていたのかもしれないが、その当人があの怪力男相手にしている以上浜中さんを助けれるのは俺しかいない。ここで逃げるのは絶対に後悔するのは分かり切っている。
俺は理解出来ない状況に逃げたくなる心を無理やりそう鼓舞し、右肩を突き出し浜中さんに覆いかぶさる男へと突撃する。どうやらあちらはまだ俺に気付いていないようで無防備な背中へと向かう。
「浜中さんッ!!」
そう叫び男の体に向かって思いっきりタックルをかます。考える暇は無かったから雑になってしまったが、肩に伝わる強い衝撃の後その影を下敷きにするように俺達は地面へと転がる。
その衝撃で一瞬呼吸が出来なくなるが、すぐさま真下で下敷きにした男が叫び俺の腹に強い様撃が走った。
「痛ってェんだよッ!!!」
どうやらその影は覆いかぶさった俺の腹目掛けて足裏をぶつけたらしかった。だが武術の心得なんてあるはずも無い俺は、それをまともに受け少し飛ばされ腹を押さえる。
「まじ何なんだよ・・・」
そう痛みに耐えながらも体を起こし浜中さんへと視線を向けると、苦しそうに激しくせき込みえずいてて、どう見ても放置してはいけない状況だった。
(でもその前にあの男をどうにかしないと)
腹を括り目の前の男をどうにか抑え込まねば。そう足に力を込め地面に転がる浜中さんに覆いかぶさっていた男を視界に入れる。こいつも地面にひび割れを作れるほどの怪力なら俺は即死だろうけど、俺が押し飛ばせたならそうでは無いと思うしかない。
「・・・・いくぞいくぞ。覚悟決めろ」
状況なんて全く掴めないし怖いし意味分からないけど、ここまで来て逃げる訳にはいかない。
そう俺が胸を叩き足裏に力を込め覚悟を決める少し前。地面がひび割れ煙が立ち込める中二つの影がぶつかり合っていた。
(・・・・・岳人さんまた勝手に動いて)
脇を通り抜ける所有者をよそに、二つの影の互いの拳がぶつかり合う。だがその音は薄橙色の皮膚とは似合わず激しい金属音が響く。
相対する男のアンドロイドは型番的には何世代も前ではあるが力仕事用途な為で骨格が大きかった。その為渚は苦戦を強いられていはいたが、ボディに傷はまだつけていなかった。
そうして攻める男アンドロイドとそれをいなし続ける渚の二人で、硬質化した一部の衝撃で金属音を発生させ続ける。
「「・・・・・・」」
相手アンドロイドの左拳が渚の頬を掠める。だが血は流れているはずも無く、少し素材が破けるだけだった。そしてそれで態勢の崩れた相手アンドロイドに向け渚の裏拳をぶつける。
「・・・・・・・ッ」
だがそれを相手アンドロイドに止められ片腕を抑えられてしまう。だがここで渚は主機差を活かすべく出力を上げ腕機能を拡張する。そして辺りに蒸気をまき散らしつつ、無理やりに掴まれる腕ごと相手の腹に押し出し吹き飛ばす。
鐘のような重低音が響き相手アンドロイドは岳人らがいる先の雑草群へと突っ込んでいく。そして丁度その時渚は相手所有者が孤立しているのを視界に入れ、タイミングだと地面を蹴る。
「・・・・目撃者は無しと」
周囲の環境を確認しつつ腰を抜かし明らか困惑する岳人の元へと向かう。どうやら浜中は状態こそ悪いらしいが気絶はしていないらしかった。
「っぶねぇ・・・」
ベンチ横の草むらへとそのままの勢いでさっきの怪力男が飛び込んでいった。目の前でまたも意味の分からない事が起こり、俺は僅かに湧いた勇気が消し飛び前傾姿勢を崩し腰を地面へと落としてしまっていた。
「危ないのでどいてください」
「いやそれ事前に言って・・・」
そう呆れながら相変わらずの適当な事を言う渚を見上げると、その肘先は膨張し衣類が破け白い湯気を立て機械らしくメタリックに輝いていた。そしてそれを見せるように渚は右腕を持ち上げ言った。
「戦闘モードって奴です」
「奴ですって・・・」
さっきからずっとカオスだったが、余計に情報が一気に回りすぎて全く理解が追い付かない。だがそんな俺とは対照的に渚は浜中さんに覆いかぶさっていた男へと向き直った。
「出来れば見ない事を推奨します」
「え、は、今度は何━━」
俺に理解が及ぶ前にシュッと空気を切るような音がしたと思うと、渚の右腕はいつの間にかその男の胸を貫いていた。
「・・・・・・・は」
一瞬で流れるように逡巡すらなく行われたその行為に全く思考がついて行かない。
「え、いや、は・・・・・?」
理解しようとすればするほどただ単純な事実として、今まで普通に俺と話していた渚が人をあっさりと殺した、その事実しか存在していなかった。そしてそんな恐怖感がそれを意にも返さないその佇まいから段々と湧きたてられる。
そして渚の右手が引き抜かれ血がポタポタと垂れていく。フッと鉄臭い風が漂ってくると共に渚が色の無い顔で振り返ってきた。
「ひっ」
やっと喉が開いたかと思うと、情けなくもそんな叫びなのか呼吸なのかも分からない物が零れた。だがそんな俺を一瞥した渚は、先ほど吹き飛ばした男がいるであろう雑草群へと視線をやった。
「私の仕事は終わりです」
そう渚がぽつりと零すと草が風に揺られる音がすると共に、その渚の背後を吹き飛ばされた怪力男の影が通りすぎた。
「おいッ!背中ッ!!!」
咄嗟に声が出たがそれでも何故か渚は背後を気に掛ける事はせず、そしてその怪力男も渚を気に掛ける事も無く通り過ぎる。
「あれは負傷した男を連れていくので大丈夫ですよ」
そう渚が言いながら俺に向かって手を差し出す。そしてその言葉通りに怪力男は胸に穴の開いた男を抱えどこか闇の中へと消え去ってしまった。
俺は渚の手を振り払いその背を目で追いながら咄嗟に通報しようとするのだが、そのスマホを渚は俺から取り上げ見下ろして来た。
「それよりもです」
そう言って表情の見せない渚は俺の脇を通り過ぎ、後ろのベンチで横になっていた浜中さんの首元に触れた。
「・・・・そこまで長時間絞められた訳じゃなさそうですね」
そんな渚に意味も分からないと言った感じで、浜中さんはえずきというか嘔吐しながらも不安そうに視線を向けていた。
「え、あ、あんたは・・・・?」
「痛みとかあります?呼吸がしずらいとか」
「・・・・・それはないけど・・・・・」
少し話しずらそうな浜中さんは戸惑いながらも渚の質問に答えている。渚は背中を擦って看病しているらしいが、ぶら下がった渚の右腕から垂れる血はさっきの行いを強烈に示していた。
俺がそんな右腕から目が離せないでいると、ふとその右腕は動き浜中さんの首裏へと向かった。
「じゃあちょっと失礼しますね」
「え、は、おま━━」
パチッとなにか弾けるような音と共に浜中さんの声が途切れ、力なくその体が渚へともたれかかっていた。そしてそれを持ち上げた渚は未だ地面から離れられないで尻餅をついた俺を見下ろした。
「一度帰りましょう」
「・・・・・・・」
もう言葉が出なかった。浜中さんは呼吸はしているようだから殺されたわけでは無いだろうけど、それでも何かされたのは確実。それに未だ拭う事すらしないその右腕の血液のせいもあって、俺には見上げるそのアンドロイドが得体のしれない何かに見えていた。
「早くしないと騒音で通報されてるので警察来ますよ。防犯カメラに細工しても人に見られたらどうしようも出来ないんですから」
そう今さっき起こった出来事など何も無かったかのように浜中さんを抱え歩き出す渚に、俺はどうすれば良いのか分からなくなりつつも急いで立ち上がりその背を追う。
「・・・・・・・・説明はするんだよな」
渚の隣を歩く事が出来ず数歩後ろから、恐怖から果たして聞こえさせる気のあるかも分からない声量で問いかける。だがその声はしっかりと渚のマイクは拾っていたらしく、少しの間を置いた後チラッと俺を振り返ると。
「その様子だとしないと私追い出されそうですかね」
「・・・・・・」
俺はその問いに否定の言葉を用意する事は出来なかった。でもそんな俺を見て少し息を漏らした気もしたが、気付けば再び俺から視線を外しその進行方向へと戻してしまった。
「・・・・・んでお前がそんな悲しそうな顔すんだよ」
俺はどうすれば良いか分からずただただ困惑し、その裸足にしては固い音のする足音を辿り続けたのだった。
ーーーーー
「・・・・あいつら絶対殺す」
男は文字通り血反吐を出しながら強く歯を食いしばり、アンドロイドの腕の中で呪詛の様にブツブツと言葉を零していた。
「一度人気のない所まで行きます」
そうアンドロイドが人気のない夜道を選び足を動かすと、飲食店の狭い路地裏へと踏み込みごみ袋の上にその抱えた男を寝かした。
「早く治療しろ・・・・頭クラクラすんだよ」
「・・・・・・・」
だが血を吐く男を見降ろしながらアンドロイドは何も喋らない。
それを見てか男は更に激昂したように、その寿命を削る勢いで叫ぶ。
「そもそもお前が勝てなかったせいだろッ!?何が仲間だよ!!!全部お前のせいじゃねェか!!!!!」
必死に男は喚くがアンドロイドはピクリとも反応せずただ見下ろす。この辺りからだろうか、小雨がふりはじめ男の血を地面へと流し始めたのは。
「・・・・・その出血量ではもう助かりません」
「病院連れてきゃなんとかなンだろ!!!高い税金払ってんだからよォ!!!」
だがいくら叫んでも助かる見込みが無いのは事実だった。だが所有者の指示に従わなければいけないのが、アンドロイドというもの。
どうしたものかと思考しながらも指示通りアンドロイドが腰を折り抱えようと手を伸ばした時、ふと路地裏にもう一つの影が差し込んできた。
「え、だ、大丈夫です?」
このアンドロイドにとっても全くの想定外。そしてこの現れた傘をさす男にとっても想定もせず、思ってもいなかったような出会い。でもそれが大きく彼らの一生に変化を及ぼす。
それが真っ暗で冷たい夜に始まったのだった。




