第二話 非日常が日常に
瞼が暖かい。
どこか遠くから救急車のサイレン音が聞こえてくる。
そして思い出したかのように吸い込んだ冷たい空気が、段々と意識を表層へと持ち上げてくる。
その時にやっと耳元で揺れるスマホのバイブレーションに気付き、まだぼやける視界でそれを止める。
朝日を浴びれば多少ましだがそれでもこの季節の朝は寒くて布団から出たくない。でも何とかその倦怠感を押し切って起き上がるのだが。
「・・・夢じゃないかぁ」
ぼやける視界をそのまま窓の方へとやると、昨日と変わらずアンドロイド・・・いや渚と俺が名づけさせらた女がそこで座っていた。どうやら今は瞼を閉じているらしいが、アンドロイドも寝る必要があるのだろうか。
そんな朝日が背中に当たり黒髪を肩に掛けた渚をボーっと眺めていると、その長いまつ毛がゆっくりと動いた。
「あ、おはようございます。昨晩は寝れました?」
何事も無かったかのように渚は視線を返しそう言って立ち上がる。寝起きにしてはキビキビしているのはやはりアンドロイドだからなのだろう。
そう思いつつ俺もそれに呼応するように立ち上がって時計を確認する。まだ家を出るまで余裕がある。
そして俺は渚へと視線を戻して、質問への返答代わりに先ほど浮かべた疑問をぶつける。
「アンドロイドも寝るんだな」
「やる事もないのでだだの人真似ですよ。意味の無い事ですが」
何か触れずらい雰囲気を感じたのは気のせいでは無いのだろう。だが渚も感情を見せずそれ以上話そうとはしないので、余計に追求する事はしなかった。
「そか。じゃ、顔洗ってくるわ」
学校行くまでにはそれなりに余裕あるし朝飯食うか。昨日はあれから風呂だけ入って、逃げる様に寝たせいで寝起きなのに腹の音が収まらない。
(てか何気に順応してるのか俺・・・・・)
そう人の適応力の高さに驚きつつ俺がさっさと洗面台へと向かおうとするのだが、その俺の背を追っていた渚が冷蔵庫を勝手に開けだしていた。
「・・・・・なにしてんの?」
「いえ、朝ごはん作ろうかと」
「・・・・はぁ」
さも当たり前かのように渚が俺の冷蔵庫から食材を取り出しているのを見るに、どうやら本気でそう言っているらしい。
相変わらず調子の掴めない奴だが、下手に刺激するのもあれかと俺は頭を掻きつつ渚から背を向けた。
「まぁいっか」
それに俺も語学の勉強しないとだし、飯作ってくれるのはありがたいっちゃありがたいしな。何が出てくるか不安要素はかなり大きいが。
そんな一晩たって案外この状況に適応しつつある自分にやっぱり違和感を覚えつつも、俺は顔を洗い歯を磨くがどうやら台所で渚が料理をはじめていたようだった。
「・・・・なんか実家思い出すなぁ」
背中から聞こえるトントンと包丁がまな板の上で食材を切る音に水の沸騰する音。どこか懐かしさを覚えるような朝の空気感を感じる。
だがその音を立てているのが突然押しかけてきて、勝手に俺の所有物になったらしいアンドロイドってのが意味分からないんだが・・・・。
そんな事を考えながら口をゆすぎ洗面台から出ると、台所で黙々と料理をする渚の背中からIHコンロを覗いた。
「思ったよりちゃんとしたの作るんだな」
「アンドロイドですから。栄養面は任せてください」
渚が自信満々なのか得意げな表情を作りつつ肩越しの俺を横目で見た。
やっぱり目的が分からないと言うか意図が掴めないなと感じつつも、一晩立っても敵対的ではない事には安心を覚える。
そう目の前の存在への理解が進まず困惑する俺を、その当人である渚も不思議そうに俺を見返して来た。
「勉強は良いんですか?」
「ん?あ、あぁそうだったな・・・」
まぁ今考えてもしょうがないか。
そう俺は割り切ることにしてさっさと着替えると、語学で配られたプリントを手に取る。時間的にあと一時間ぐらいしか出来ないが、学費の事もあるしGPAを落とす訳にはいかない。
そうしてどこか懐かしい朝の匂いを感じながら30分ほど勉強を進めた頃だろうか。俺の目の前に白い湯気と共に皿が何枚も並び始めた。プリントから視線を上げるに、ほうれん草のお浸しに卵焼き納豆それにみそ汁白米。普通に見えるが大学生の一人暮らしにしては、かなり豪華な朝ごはんと言える内容だった。
「あとは果物を取って欲しいんですが、冷蔵庫には無かったので・・・」
渚が少し申し訳なさそうにそう言っていたが、そこまで気を使われるとそれはそれでこっちが気まずい。
「野菜もそうだけど特に果物は高くてあんま買えないからなぁ・・・」
そう俺が困り顔を作りながらも「いただきます」と口にしつつ料理を口に運ぶ。もちろん語学のプリントを片手にだが、思った以上に口に運ばれた料理がおいしくて咀嚼をしながら箸を止めてしまった。
「どうです?」
アンドロイドなのだからレシピ通りだろうになにを気にする事なんて無いだろうに、渚は俺の勘違いか少しだけ心配そうに俺を見つめてきていた。
俺はみそ汁を啜りながらも作って貰った手前何も言わないのは失礼だと、俺はプリントを横に置いて少し離れて行儀よく座る渚を見た。
「うん、美味しいよ。ありがとう」
俺がそう言うと数秒の間の後渚は、表情を変化させることなく立ち上がってしまった。それを見て何か余計な事を言ってしまったかと俺が不安になっていると、そのまま渚が俺から背を向けて言った。
「・・・・そうですか。食器はこっちで片付けるのでそのままで大丈夫です」
だがまぁアンドロイドの心情を察そうとするのがそもそもおかしいか。どうも人と同じ姿だとアンドロイドだと区別できないから調子は狂う。
(てかなんで俺がお礼言ってんだ。あいつが勝手に作っただけじゃないか)
と、そんな事を思いつつも今は目の前のテストと、食事と勉強を同時に進めつつ朝の時間はあっという間に進んで行った。
「今日は18時ぐらいに帰ってくるから。勝手な事しないように」
「はい、分かってます」
靴を履きつつもやけに素直な渚に少し引っ掛かりを覚える。
昨日はあれだけ無理やり俺と契約したくせに、やっぱり所有者になったってのはそれだけ大きな意味を成す事なのだろうか。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
色々思う所はあったが、なんだか一人暮らしの部屋で誰かに見送られるのはこそばゆくも、朝が弱い俺にとっては久々にまともな朝を送れた気がした。
ーーーーー
それからの朝はいつも通りの日常だった。
スマホの時間を確認しつついつもと同じ道を歩き、街中にある大学のキャンパスを目指す。こうやって歩いているとさっきまでの事が、やはり夢だったのではと思ってしまうが、満たされた胃袋がそれを否定する。
そうして俺が歩く事20分。いつもより少し早い時間に講義室へと到着すると、今日はテストな為か先客がチラホラと見えた。語学で仲のいい奴はまだいないようだが、俺の隣の席には既に一人座っていた。
「浜中さんおはよ」
そう俺が声を掛けると机に伏せていた所から顔だけを上げ明らか眠そうというか、いつも通り機嫌の悪そうな鋭い視線が返ってきた。
「ん、はよ」
隣になって1か月経つが講義外であまり話す事の無い人。言ったらあれだが目つき悪いし、ウルフカットで、青のインナーカラーって言うのだろうか差し色してたりで、ちょっと近寄りがたい見た目に正直ビビっていないと言えば嘘になる。
それから義務的な挨拶をして俺が席に座ってからは、通り過ぎる友人と俺が挨拶を交わすぐらいで時間は経ち、頃には予鈴が講義室に鳴り響いた。
「じゃあ始めるので学生証出してプリント類はしまってください」
教壇に立つあのおじいちゃん先生は、聞いた話だと講義内でやる発表をやればテストでやらかしても殆ど単位を落とさないらしい。まぁそれでも単位だけじゃなく出来るだけ評定を高くしないとだから舐めてかからないようにしないとな。
そう俺が気合を入れてシャーペンを出してテスト用紙の配られるのを待っていると、左腕近くの机の上を浜中さんの爪がカツカツと叩いた。
「シャー芯くんない?」
「ん?Bだけど大丈夫?」
「ありがと、それでいい」
相変わらず目つきは怖いが、寝不足なんだろうか。そんな事を思いつつシャー芯を渡し、テストが始まっていった。
「・・・・・・・」
シャープペンシルの先端が机をたたく音に消しゴムで机を揺らす音。義務教育からよく感じてきたテストの時特有の教室の雰囲気。それを感じながらテストを進めるが、思った以上にそれが簡単で俺は拍子抜けしてしまっていた。
(これなら勉強しなくてもいけたな・・・)
受験以降英語力なんて下がってはいたが、それでも解けるレベルの英語だった。まぁ単位を取りたい身からしたら助かる事極まりないが。
そう俺は安堵と自信と共にペンを置いて腕時計へと視線をやる。テスト時間60分であと残り10分、途中退室出来ないしちょっと暇になりそうか。
その時少しだけ気になって隣に視線をやると、随分苦戦しているのかイライラしたようにシャーペンの頭を噛む浜中さんの姿が見えた。
(そういやあんま英語は得意そうじゃなかったっけか)
講義内の交流でもその気は感じてたけど、そんなに荒れるほど苦手だったとは。まぁ俺が何か関与する訳にもいかないので、心の中で応援するだけなのだが・・・・・・。
「・・・・・ッチ、んだよこれ」
そうボソッと聞こえてくる愚痴に、俺の中での浜中さんの怖い人イメージは固まってしまっていた。だがそうやって俺が怯えている内にも時間は進んでいたらしく、先生の両手の渇いた音がテストの終了を告げた。
「じゃあペン置いて後ろから回してください」
それからは淡々と紙の回収が進んで行ったが、やはり浜中さんはまだ粘るつもりらしく険しい表情でテスト用紙と睨めっこしていた。
「終了ですよ。早くペンを置いてください」
「・・・・・・はい」
だがそれも先生に注意された事で諦めたらしく、そのテスト用紙を手放してしまった。その表情からして出来は悪そうだなと思っていると、先生が集まったテスト用紙を纏め声を張った。
「じゃあ今日はこのまま終わります。来週も課題はあるので忘れないように」
どうやらありがたい事に早く終わってくれるらしい。食堂が混むから昼前の講義でこれをやってくれると助かる。
そう心の中で感謝を零した俺は筆箱を仕舞い、いつも一緒に飯を食べる友人の席を視界端で確認してみるが。
(あいつ彼女出来たんだっけか)
いつもこの曜日の昼飯仲間だったけど、しばらくはあいつの昼は彼女と一緒になりそうか。
そんなまた一人置いてかれた事実に悲しさを覚えつつも、俺は鞄を手に取って講義室を出る。
「・・・・みーんな彼女作りやがって」
大学で逆に出来ない俺が少数派なまであるが、皆どこで出会ってるんだろうか。語学とかも大して関わらないし、俺が積極性無いだけなのだろうか。
そんな寂しさを思いつつもフラフラと食堂へと向かったのだが。
(混んでるなぁ)
昼飯を食べる事に億劫になるほどの人混みだが、今日は午後も講義がある為我慢して長蛇の列に並ぶ。
そうして一人で十分ほど並びやっと日替わりランチを注文し、自身の座れそうな席を見渡すがやはり簡単には見つからない。
(もう少し席増やせよな・・・・)
悪態を心の中で吐きつつ、歩を進め壁際の四人掛けのテーブルを見つける。一人で座るのは気が引けるが、まぁ仕方ない。そうやって自身を納得させつつ席に座るが、このテーブルを占有する罪悪感からか、さっさと口の中に昼食を放り込む。
そうして黙々と食事を進めて数分、ふと視線を感じ顔を上げるとそこにはさっきまで隣にいた浜中さんの姿があった。
「・・・あっども・・・・」
視線が合った以上ノーリアクションな訳にはいかなかったが、突然の事で舌が回らず挨拶なのか呼吸なのか分からなくなってしまった。
だがそんな俺はどうでも良いようで俺の対角線上の席にプレートを置きながら、軽く俺に視線を向けてくると。
「席座っても?」
「あ、はい・・どぞ」
あまり講義外で話したことが無いからか変に緊張してしまう。だが箸を止めるのも違和感なので、俺は食事を再開するがただ会話も無く沈黙が続いた。
「「・・・・・・」」
あまり人の食事を見るのは良くないが、どうやら浜中さんはカレーを頼んだらしい。だがそんな事よりもカレーを箸で食べている事に気になりすぎたが、突っ込むわけにもいかず「あれ食べにくくないのか」とただ疑問が渦巻くだけだった。
「「・・・・・・・・」」
まぁもうそれぐらいで俺は殆ど日替わりランチを食べ終わり、あとはみそ汁だけを残していた頃。口元を拭きながら浜中さんが話しかけてきた。
「さっきのテストどうだった?」
「・・・えっあっいやぁ~まぁぼちぼちっすかねぇ」
突然話しかけられ驚きつつも浜中さんへと視線を返す。
だがしっかりと瞳と目が合うと、やっぱり見た目は少し怖いがかなり綺麗な人で緊張からか自然と強く箸が握られた。
「そっか。まぁ簡単だったもんな」
だがそうやって勝手に緊張する俺がバカらしく感じるほどに、浜中さんは俺に興味が無いように淡々と会話を打ち切り自身のカレーへと視線を戻した。
それを見て俺もただの社交辞令で話しかけただけなのだろうと納得し、残ったみそ汁を啜ろうとした時、窓の外に見覚えのある黒髪の女がいた。
「・・・・・・・」
みそ汁のお椀を持つ手が止まった。黒髪ってだけなら慌てることは無いが、あの特徴的な水色の瞳、そして周りから浮くほどに整った顔。まるで造り物というか造り物そのものな奴。
「んでこんな所に・・・」
「?何か言った?」
「あ、いやっ!なんでもない!じゃあまたね!」
俺はこのままあいつを放置するのはまずいと判断すると、浜中さんにごまかしを入れつつプレートを急いで持った。
「あ、ちょ━━」
そう何か浜中さんが何か言おうとしていたが、この時の俺は急ぐあまりそれを聞き逃して食堂の返却口へと走った。
そうしてプレートを戻し食堂を出て大学構内を走ってその黒髪の背を追いかける。どうやらあちらはこちらの存在には気づいているらしいが、その歩く速度を落とそうとしていなかった。
「・・・・なんだよあいつ」
だが徒歩の速度な為恥ずかしげもなく人の往来の中を走る俺の方が早く、その肩に右手を置くのはそこまで時間のかかる事では無かった。
「何してんだよ!お前は!」
息を切らしながらアンドロイド、つまり渚へと話しかける。するとその渚は後ろで手を組んだまま俺に振り返って、膝に手を突く俺を見下ろした。
「タイムスリップしたらとりあえず街見たくなるじゃないですか。それですよ」
「・・・・・はぁ!?」
全く調子の掴めない奴だ。今朝はやけに献身的だなと思ったら、急にこんな勝手をしだすし理解が追い付かない。そう責めるように渚を睨むが、その渚は仕方ないなと俺を見下ろしてくる。
「バレる訳ないじゃないですか。貴方が下手な事を外で言わなければですが」
そう周りを見ろと言わんばかりに視線で俺に合図をしてきた。それに従って俺も視野を広げると、どうやら俺が声を張ったせいで周りの注目を浴びてしまってたらしかった。
「・・・とりあえずここ離れるぞ」
「はーい」
相変わらず体温の少し高めな渚の手を引いて人通りを避ける。と言っても街中にキャンパスがある為逃げ場はあまり無いので、結局非常口階段まで歩く事になったのだが。
「で、なんでここに来た」
「だから散歩ですよ。見てみたいなーって」
それが真意なのかは分からないが本人はそうとしか答えてくれなかった。もっと問い詰めても良かったが、俺も大学生である以上次の講義の時間が迫っていた。なので俺はスマホの時間をしきりに確認しつつ、言うべき事を早口でまくし立てる。
「・・・じゃあ俺は今日4限まであるから、それまでここで待機してて。絶対にこの世界の人に干渉したりしないように」
未来から来た以上何を目的としているか分からないし、こいつが関わる事で歴史が大きく変わる可能性だってある。だからあまり下手な事をさせたくない考えからだったのだが。
「・・・まぁいいですよ」
そう明らか悲しそうに視線を落として言われると俺も心に来るものがある。
だがここで折れてはいけないと、緩みかけた心を締め直して渚から背を向ける。するとぼそっと渚が呟いた。
「あーあ。またほこり被りの時間かぁ」
「ずっと一人だったのになぁ」
「でも所詮ロボットつまりただの物だからなぁ」
俺はそれら言葉に非常口のドアノブに手を掛けたまま頬を引きつらせた。そして警戒していた相手だったはずなのに、なんだかんだこうしてしまいそうになる自分を恥ずかしく思いながらも振り返る。
嘘くさいは嘘くさいが、そう言われると強く出れない自分が情けない。
そう俺は半ばヤケクソになりながらも声を張った。
「帰りお前の行きたい所行くからそれ辞めろって!!罪悪感湧くだろッ!!!!」
すると階上で座り窓から差し込む光の柱と一緒に見下ろす渚は、さっきまでの悲しそうな声とは対照的にニコッと笑って言った。
「あっ言いましたね~。じゃあメモリしたので約束履行待ってますね~」
「お前は━━」
俺が言いかけた時、思いのほか時間をかけすぎたらしく大学内に予鈴が鳴り響いた。俺はそこで一旦渚を諦めドアノブを捻って走り出した。
そうしてそのアンドロイドにとってはどこか懐かしくも感じる空間に、ただ一つの機械だけが取り残された。
そして鉄製のドア越しに届くはずの無い言葉をその機械は零した。
「たかだかアンドロイドに感情移入しすぎですよ」
ーーーーー
それからの3限4限は気が気じゃなかった。よっぽどへまはしないとは思うが、あいつの存在が公になればそれだけでビックニュースだし、俺も関係者として巻き込まれる事だってありえる。それに渚あいつ自身も、確実に研究対象か解体されるだろうし良い結果が待ってるとは思えなかった。
だがそんな物は今段階では杞憂でしかなく、書き込みの少ないノートにやらかしを覚えつつ俺は講義の終わりと共に講義室から転びそうになりならも走り出た。
そしているかどうか一抹の不安を覚えつつ非常口の扉を開けると、俺の心配をあざ笑うかのようにアンドロイドが日向ぼっこをするように変わらず階段で腰を下ろし目を瞑っていた。
「お、早いですね」
パチっと俺が来るのを分かっていたように水色の瞳が見下ろして来た。絵画の様に綺麗だが、それが逆に彼女の中にある非生物感を感じさせてくる。
「・・・・で、どこ行きたいんだよ」
そう俺は非常口のドアノブに手を掛けたまま渚に呼び掛ける。すると人の様に背伸びして腕を伸ばすと階段を降り来て俺と視線の高さを近づけた。
「とりあえず付いてきてください」
「・・・説明は無しですか」
目的地を聞いても答えてくれ無さそうに感じ、俺は呆れつつ非常口の扉を通っていく渚の背を追った。
だがそうして背を追ったは良いものの、歩く道は俺が朝通った道を逆に進むだけで全く目的地を推測できなかった。公的な機関だったりデータセンターとかなんかの企業かと思ったけど、こっち側オフィス街でも無いし何が目的なんだろうか。
そんな疑問を抱えながらも、既にビルの間に太陽が落ちようとしていた時。ふと渚が俺にその目的地を見せるように振り返ってきた。
「ここです」
「いやここって・・・・」
子供と二人並んで白い袋を下げた主婦や仕事終わりの男の人が、目の前の建物から大勢出入りしている。
そうそこには俺のバイト先であるスーパーがあった。確かに街中にしては大き目な部類だけど、わざわざ要求してまで来るような所じゃあないと思うんだが・・・・。
「冷蔵庫空っぽじゃないですか。私がご飯作れなくなるので買い物付き合ってください」
渚は特に表情を変えることなく淡々と俺にそう言い、スーパーの駐車場へと足を踏み入れていた。どうやらもうとっくに我が家の台所を掌握した気らしい。
そう肩を落としながらも、俺は先を行く渚に追いつくように小走りで隣に並んだ。
「その金はどこから出てくるんですかね」
「美味しくて栄養のあるごはん作るんですから材料費だけで済む事に感謝しては?」
「おまえなぁ・・・・」
何を言っているんだと言わんばかりに俺を不思議そうに見てくるのは何なんだ。一応所有物とか言ってる割には強引すぎないかこいつ。
だが不満を抱きつつも言う事は聞いておいた方が良いかと、連れられるがままにスーパー内の陽気な音楽と共に緑色のカゴを手に持っていた。
「何かご飯の希望あります?」
「あ?ん~まぁ今日は肉系かな」
そう俺がふとレジへと視線をやると丁度混み始めた頃なのか、列が伸びレジ応援の館内放送が鳴り響いていた。
(有人レジ行くと気まずいし無人レジ行くか)
とかそんな事を思いつつさっさと食材を入れる渚について行ったのだが、ふとそのカゴの中に目をやると。
「お前キウイは高くないか?しかもセット売りだと・・・・・」
「弁当も作るので浮いた昼食代を充てると思えば良いですよ」
「いや良いですよって言ったってなぁ」
昼食を作ってくれることには驚きはしたが、だからって無駄使いして良い訳ないってのになぁ。
そんな俺の思考を読み取ったかのように渚が、責めるように手に持っていたネギの先端を押し付けてくる。
「体は資本ですよ。それに病院に罹ったら薬代に診察代に余計にお金かかりますよ?」
「分かった分かったから、ネギ早くカゴいれろ」
周りを気にしネギを押し返しつつも渚の言葉に確かにと思っていると、その渚は追い打ちをかけるようにして。
「いつまでもこういう贅沢品が食べられると思っちゃダメですよ?」
それは彼女の知っている歴史からの発言なのか、それは分からないが俺は言葉に詰まり、なんとか渚の言葉を否定しようとしても半開きの口が動く事は無かった。
「じゃ反論は無いと言う事で。半額のお肉無くなっちゃうので急ぎますよ」
「え、いや話はまだ━━」
伸ばした手が渚の肩にかかる事は無く、どんどんと背中が小さくなっていく。やっぱりどうにもアンドロイドと言う事を抜きにしても俺はやはり押しに弱いのかもしれない。それにこうやって普通に話しているが、まだあいつが安全だと言い切れる訳じゃないからな。
そうして買い物は進んでいき、俺の右手がカゴの持ち手に食い込み痛み出した頃やっとそれが終わった。結局パートの人と会うのが気まずくてセルフレジへと向かったのだが、その会計結果を目にして俺は再び手が止まってしまった。
「やっぱ考え直さないか?」
「ダメです。それに足りない日用雑貨を纏めて買ったので高くついただけです」
早く会計しろとでも言わんばかりに俺の財布をジッと見る渚。それに後ろで早くしろといら立ちを隠そうとしないリーマン風のおじさん。どうやらここに俺の味方はいないらしく、渋々女性の顔が印刷されたお札を機械へと入れる。
「聞き分けが良くなりましたね」
「お前が言っても聞かないだけだろ」
と、そんな事もありつつもなんだかんだ、日が沈み切る前に俺達は帰路へとつく事が出来ていた。流石に荷物は持ってくれていたが、流石に女の子に全部持たせるわけにはいかないと俺は二つあるその片方を渚から奪った。
「全部持ちますよ?貴方より性能上ですし」
「まぁ自己満足だから気にしないでくれ。てか性能って言うなし」
信号が緑色に点滅し俺達は足を止める。
「・・・そうですか。変ですね」
「お前に言われたかない」
でもそれで納得してくれたのか俺の右手には肉や野菜の入った袋がぶら下がっていた。
そうしてまた信号が緑を示すと再び足を動かしたのだが、渡り切った所でふとその渚が太陽が沈んだ方向へと視線をやって足を止めていた。
「あ、火事ですね」
「え?」
その言葉に俺も耳を澄ませると確かに消防車や救急車の音が遠くから響いていた。
「お前耳良いな」
「いや音というより無線を拾っただけです」
「なんか・・・・・まじか」
そう改めてこいつの意味の分からなさに引きつつも、なんだかんだと俺の非日常な一日が終わりを告げていったのだった。
ーーーーーーーー
夕暮れ時。私、門浪千春は、白いケーキ箱を手にオレンジ色に染まる並木道を歩いていた。
「~♪」
今日は父さんの誕生日。忙しい職の人だから中々一緒に居る時間は無いけど、それでもここまで私を男手一人で育ててくれた、この世界で一番尊敬する人。
「・・・あ、ミルクティー買うの忘れてた」
私も父さんみたいになりたい。そう思って今は大学の法学部に通わせてもらっている。いつか私を育てて守ってくれた大きな背中を追いこせるように。
「父さん喜んでくれるかなっ」
少しだけ足取りが弾む。これからの事これまでの事、沢山話したくて聞いてもらいたくて今日という日を待っていたんだ。それに成人式で着る振袖の話もしておかないとだから。お父さんすっごい楽しみにしてくれてたんだから。
「~♪」
そうして私は少しだけ予定をずらしコンビニへと進路を変えた。
これが今後の私にとって良かったのか悪かったのか、それは未だに分からない。けど、間違いなく言えるのはそれが一生残る後悔を生んだのは事実だった。
「こいつが前の裁判の裁判長だよな?」
電気の消えカーテンの隙間から差し込む夕日だけが頼りの部屋。輪郭も曖昧な黒いパーカーに身を包んだ男が、ガタイの良い壮年の男へと質問を投げかけていた
「ええ。二名を殺害した男性に先週無罪判決を出した門浪裁判長ですね」
淡々と壮年の男は門浪と呼ばれた男の胸から右手を抜き出す。その手にはべっとりと黒い血が垂れ落ちるが、それを意にも返さず壮年男はパーカー男へと向き直る。
するとそれを見てニヤつくとパーカー男が足で踏みつけ、勝利宣言でもするかのように声を張った。
「なぁにが心神喪失だよ!!!これだからこの国は腐ってんだッ!!!!」
急に感情を発露したかと思えば十数発だろうか。動かなくなったその体へと足裏をぶつけ、鈍い音が部屋の中で響く。だがパーカー男に特段恨みという感情は無く、ただの憂さ晴らしに近い物を持ち合わせていたからか数分も経てば落ち着き激しく肩を上下させていた。
「よしスッキリ。じゃあ次いこーぜ」
だがその言葉に壮年男は足を動かそうとはせず、ドアの開けられ玄関へと視線を向けていた。
「・・・・少し時間をかけすぎたようですが」
その視線の先にいたのは赤い血を垂らし斃れる男の娘だった。
まだ感情が現実に追いついていないのか、歪んでしまった笑みに困惑が混じっているようだったが、忘れていたであろう呼吸を一瞬取り戻すと、その手に握られたケーキ箱はぽとりと床に落ちその中身を零してた。
「え、貴方達は・・・・・」
目の前には見知らぬ男二人。今日は楽しい日になるはずだった彼女にとっては、全くの異変で違和感だった。だがそれすら霞むような現実が、その足元に近づいていた。
「え、あ、は・・・・父さん?」
声が震え、誰かの血が私のつま先に触れる。誰の血か、そう目を背けたくなるが私の目は、その血の元へと視線を辿ってしまっていた。
そうして現実を理解しようとすると、私の視界は揺れて歪み自分の過呼吸だけが嫌に聞こえてきた。だがそれを無視するかのようにパーカー男が吐き捨てた。
「ッチ、めんどいな」
「処理しますか?」
「・・・・・」
パーカー男は何も答えなかったが、背を向け歩き出した事でそれを答えとしたらしかった。だけど私は理解が追い付かないながらも咄嗟に震える声を絞り出した。
「・・・待ってください」
理解出来ない、したくないけど、今何が起きているかぐらい父さんの姿を見れば否応なしに現実に引き戻す。
「あ、一応放火だけしといてくんね。下手に証拠残したくねぇし」
「近辺の防犯カメラの映像は加工済みですが」
私の声なんて聞こえていないのか無視して会話をする二人。
「・・・・・・・・待って」
声が震える。唐突過ぎてまだ怒りとか恐怖の感情が追い付いていない。
でもそれでも私はここで引いたらダメだとなんとか心を鼓舞する。
「良いからやれっての。アンドロイドだろ」
「・・・承知いたしました」
壮年男が手を構える。でも私は言葉を止めなかった。
「待って言ってんのが聞こえないんかよッッッ!!!!」
強く右足を踏み出し地面に転がるケーキ箱を踏み潰す。でもそれを意にも返さず私は男二人を睨みつける。するとここでやっとその声は確実に届いたらしくパーカー男がやっと私を見た。
「うるせェなお前。せっかく逃してやろうって慈悲かけてやったのによ」
「・・・・なんで・・・・・なんで父さんを殺したッ!!!!」
震える足に力を入れもう一歩フローリングへと踏み出す。ここで引いたら一生後悔する気がする、そんな予感だけで足を立たせている。だがこんな私を嘲笑うようにパーカー男は言った。
「言わなきゃ分からねぇのか?親子そろって頭足りてねェんだな」
「お前はッ━━」
私はそれを辞めさせようともう一歩踏み込もうとするが、何かぬめっていたのか私の足は床を滑り顔をぶつけてしまっていた。
するとそんな私が面白いのか、気に障るような高笑いが頭上から聞こえてくる。
「いやァ滑稽、結局喚くだけで何も出来やしない。親父とお揃いだなだァ?」
べっとりと染み込む赤い何か。理解したくなくても半分赤く染まった視界の先に転がる父さんの顔で、嫌でも理解させられてしまう。いつも私を褒めて励ましてくれたいつの間に皺の深くなった顔。でもその瞼は開く事は無くただ冷たく白くなっていた。
「んだよだんまりかよ。つまんねェな」
コツコツと足音が私から離れていく。でも私はふと近くに転がっていたフォークが目に入った。
「てかお前は早く燃やせよ。アンドロイドなんだから所有者の命令に逆らうなっての」
「ですが関係ない他居住者にも被害が━━」
フォークを強く握りしめ、パーカー男の背中を見つめる。
「命令って意味分かる?逆らうの?」
「・・・・承知いたしました」
意味が無いのが分かっていても何か怒りと喪失感をぶつけるために、ちっぽけな抵抗だとしても腕を振り上げた。
「・・・許さないッ━━」
だがそれと同時に壮年男の腕が動いたかと思うと、一瞬で部屋の中に夕日よりも暗い炎が広がった。そして気付けば周囲全てが燃え炎の先に父さんの顔も男達も見えなくなってしまった。
だけどなんでかその炎は熱くなかった。私の記憶がおかしいのか当時はそれを感じるほど余裕が無かったのかは分からない。
でもどちらにしてもこの時の私はやっと追いついた怒りや恐怖が恨みへと昇華しつつあった。
「・・・ッ」
そして炎の向こうからパーカー男の不愉快な声が聞こえてくる。
「じゃあまた会えたら会おうな~生きてたらだけど」
血と煙、そして甘ったるいクリームの匂いが鼻を突く。私は何も出来ず力なく床にへたり込み、見えなくなった二人の背中にその無力感が自分を責める。
でもすぐにその無力感は私の顔にべっとり張り付いた血液が全て奪い取ってしまっていた。
「・・・・なんで」
人の為に世の中の為にと働いて、友人に妻に騙されてもそれでも人を信じる事を教えてくれた父さん。そんな背中にあこがれた私の夢もずっと応援してくれて偶に厳しいけど、親バカな所もある優しい人。それで褒めるときは、私が何歳になってもいつもゴワゴワした大きな手で撫でてくれた父さん。
ずっとずっと私の傍に私の為にここまで育ててくれた父さん。
なんでそんな父さんが殺されなければいけないんだ。
私の中に父さんの血が染み込んでくる。
「・・・・・・・絶対に」
べっとりと離れないその血はへばりついて私を離そうとしない。
「・・・・・・・・許さない」
だけど今私の考えている事が父さんが望んでいない事だってのは分かってる。でもそれでも私は復讐心でそれを隅に追いやりフラフラと立ち上がる。
「あいつらを殺して私も死ぬ」
この日の血が家が家族が思い出が焼ける匂いは一生忘れまい。
そう決意をし私は炎から背を向け、何を捨ててでも復讐の為生きようと家から足を踏み出したのだった。




