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1億℃の心臓  作者: ねこのけ
第二章
19/23

第十九話 贖罪

 

 夕刻を知らせる音楽が鳴り、日もビルの向こうへと沈みかける。

 そんな街の中俺は渚の送る位置情報を頼りにあの女の人を追いかけていた。


 地区的にはお隣だけど普段日常では全く来ない地域なせいか、見慣れない景色が流れていく。でも人はどこでも同じらしく、日曜な事もあってか家族連れに学生、老夫婦にとバラエティに富んでいた。


「・・・・・・・」


 そんな中やっぱり俺がなんとなく視線で追ってしまうのが兄弟らしき男の子達。クラブの帰りなのか仲良く並んで帰宅の途中らしい。


「・・・・康太と同い年ぐらいか」


 今日はやけに家族の事を思い出す。あの女の人からは母親の事を思い出し、それを追いかけに出た先でなんとなく見た他人の兄弟を見て弟を思い出す。


「・・・・・あの時と一緒って事なんだろうな」


 何度後悔しても一生消えない事実。いつまでたっても心に抜けない釘として残り続ける記憶。

 そして今日あの女の人を見て、またその釘が深く突き刺されたような気がしならない。結局俺が差し出そうとした手は、その人に届かなく無力で何も出来ない。


「・・・・でも次はもう無いんだ」


 今の俺は失敗する事が許されない。また俺のせいで他人が死ぬような事があったら自分を許せなくなる。


 思い出したくない過去。でも今だからこそ思い返さないといけない過去。

 これから俺がどうするべきか再認識するためにも、俺は時間の長さで誤魔化して乗り越えたように錯覚していた過去を思い出す。


ーーーーー

 

 俺が高校生に上がってすぐの夏の事。

 この時は俺に母さんも弟もいた頃の話で、自営業の父に専業主婦の母、そんな二人の元に産まれた俺と弟の康太。なんら普通、それどころか少し良いぐらいの家庭ではあったと思う。


 でも少し違う点があるとすれば、母は弟に溺愛で俺はそこまで期待されていなかった事だろうか。


「康太は頭が良いから将来お医者さんになるんだよ」


 口癖のように母が言っていた言葉だ。そしてそれは言葉だけじゃなく行動にも表れていた。

 成績が凡だった俺と違い良かった康太は、小さい頃から一時間はかかる街の塾まで送られ、習い事もいくつかやらされていた。康太に病気があれば大騒ぎ、テストで良い点を取れば盛大なお祝い会、康太が逆らえば丸1日続く説教という名の感情の押しつけ。我が家は康太と母を中心に回っていたと言っても差し支えなかった。


「じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 父だけが返事をし、母は康太の為に英語のCDを流す。意味があるのかも分からないが、康太も言っても仕方ないと分かっているのか黙ってそれを聞いて食事を摂っている。


 こんな環境だと、まだ学生の俺でも期待されていないのは理解していた。でも俺としてはそれが逆に良かったとも思っていた。期待されていない事で、ゲームにテレビに友達との遊び、康太と違い何も制限されなかった。だからあんな母親に構われる康太の方が可哀そうとも思っていたぐらいだ。


 だって康太が少しでも勉強を嫌がれば母は。


「私は!!貴方の為に言ってるのッ!!!!なんで分かってくれないの!?私なんか間違った事言ってる!?!?ねぇ!?!?」


 叱ると言うより怒りの感情を直をぶつけていると言った方が良いのだろうか。挙句に最後は勝手に泣いて康太に謝らせるまでがセット。俺も父さんも間に入ってもどうしようも出来ないから、いつも嵐が過ぎるようにそれを待つしかない。


 そんなほぼ月に一回は見る光景を思い出しつつ、玄関を出た俺は自転車から降り少し離れた交差点で、その康太を待っていた。


「お、今日は時間かかったな」

「兄ちゃんも待っててよ。朝からあれ相手するの大変なんだから」


 でも康太は強い奴だった。あんな母親を相手にしても腐る事も無いし、性格も歪んでいない、それどころか優等生で良い奴と俺も周りも思っている。


「そういえば、兄ちゃんいつから夏休みなの?」

「来週の月曜だな」

「じゃあ一緒じゃん」


 康太は中学二年。俺は地元の公立中学だったが、少し離れた私学に電車で通っている。で、その駅までの送迎を俺が母にやらされているのだが。康太も中学生なんだから心配なら自分で送れよと思うが、これぐらいの事はしろとの事らしい。


 ま、別にこの時間も康太と話す数少ない時間だからそこまで嫌では無いのだが。そう俺が色々思い出す中、なんとなくの俺らの会話は続いていた。


「月曜に修了式するなら今週の金曜にやって欲しいよね」


 同意を求めるように康太が小石を蹴り上げる。俺もなんとなくそれに同意をするように空返事をし、入道雲の方へと歩く。すると康太は少しだけ声色を落とし言う。


「あー休み欲しいなぁ」

「じゃあ母さんと交渉する事だな」


 俺が少し意地悪でそう言うと、康太が俺の事を睨む。


「じゃあ兄ちゃんが言ってよ」

「多分逆に休み減るぞ?」

「・・・・まぁそれはそうかも」


 こうやって康太の愚痴に付き合う事で、俺は兄として何か出来ている気でいた。実際母に康太が叱られている時に何も出来ないくせに、良い兄だと思い込んでいるただの傍観者。


 でもそんな罪悪感があったからこそ、責任を負っていると思いたく俺はこの時の康太のお願いを聞き入れた。


「8月のさ、2日の夏期講習が午前で終わるからその時釣りにいかない?」

「・・・・母さんにはそれ言ったの?」

「・・・・・」


 俯き何も答えない康太。でも何かそこまで動かすものがあるのか、康太はそれでも俺にお願いをしてくる。

 

「・・・・・・だめ?」


 8月3日は康太の誕生日。母からのプレゼントなんてどうせ勉強道具とかだろうし、俺がお願いを聞いてあげても良いか。

 

 俺はそう思い康太に笑いかける。


「じゃあ海パン持って来いよ?母さんにバレないように」

「~~~ッうんっ!」


 康太がパァっと笑みが溢れる。こういう子供らしい面がまだ康太から消えて無くて良かったとつくづく思う。


(まぁ同学年はゲームとかスマホなのに川で釣りなのはどうなのかと思うが)


 昔一度ゲーム機を貸したがバレて俺の電子機器類は全部取り上げられてしまった。俺はスマホはじいちゃんの家に退避できたから大丈夫だったのだが、それ以降康太がねだる事も無くなってしまった。


「康太。お前絶対遠いとこの大学行けよ。あんな家に残らないでいいから」

「多分どっちにしても母さん国公立行かせるでしょ」

「それは言えてる」


 俺の笑い声だけが響く少し蒸す夏の朝。この時の俺は康太の顔を見る事が出来ていないでいた。いや見ようともしていなかったのかもしれない。


「・・・・いつか僕をどっかに連れてってよ」


「・・?だから釣り連れてくって言ってんだろ」


 俺は康太を全く理解出来てなかった。俺が理解出来ていなかったから康太を孤独に一人に追い込んでしまった。そんな事に俺は気づかずに、この時の康太の絞り出したような言葉をしっかり受け止められてなった。


「・・・・・・そうだね。ありがとう」

 

 今思い返せばいくつもヒントはあった。何度も康太は助けを求めていた。

 でもそれに応える事が出来ないまま、その日を迎えてしまっていた。


「帰り康太迎え行って」

「・・・・あい」

 

 いつものような感情の無い事務的な会話を母とかわしつつ、俺は友達と遊びに行くと嘘をつき玄関を開け自転車にまたがる。そしてそのカゴには安物の釣り竿と道具の入ったケースを押し込む。


「うし、時間も余裕」


 自転車を漕ぐこと30分。駅に到着した俺は康太の塾の最寄に行き道具を両手に駅前で待つ。すると駅前の塾からパラパラと出て行く中学生に混じり、康太が一人俺の元に駆けて来るのが見える。


「今からそんな体力使って大丈夫かよ」

「最悪川で汗流すからだいじょーぶ」

「洗濯物どうやって言い訳すんだよバカ」

「大丈夫だって、どうせだし」


 康太が釣り竿を持ったことで空いた右手で何を言っているんだと頭を小突く。今日向かうのは地元じゃない所の川。地元だと人口密度の割に意外に目があるから、母さんにも伝わりかねないからだ。


 そうして川に二人で遊びに行く。今日はやけに元気な気がするけど、それが俺にとっても嬉しくて、でも偶に見せる康太の影に気付けない。

 そんなまま3時間程コンビニのおにぎり片手に二人釣り糸を垂らすが。


「今日はボウズかもな」

「釣れるまで帰りたくない」

「んでも帰りの電車もあるだろ」

「えー・・・でも」


 珍しく粘る康太。まぁ魚一匹も釣れなきゃつまらないか。俺も安くない遊漁券買ってるし、少し粘ってみるか。母さんには俺が迎えに遅れて電車逃したとか言えば良いし。


「じゃ、あと20分な。釣れたらジュース奢ってやるよ」

「お、じゃあ財布開く準備しといて」


 康太はそう言って立ち上がり竿を投げ直す。こうやって子供らしく遊んでいるのを見ると、俺も康太の為になれていると安心できる。


 そんな康太を眺めつつぎりぎりとなった残り5分となった頃。康太の竿に反応があったかと思うと、それをすぐに吊り上げる。


「お、イワナじゃん」

「ほら釣れた!」


 グイッとかかったままのイワナを俺の目の前に差し出してくる。跳ねて水が顔に掛かるからそれを押し返し、はしゃぐ康太に言う。


「じゃあ写真だけ取るから。ほら構えて」


 スマホを構えその瞬間を捉える。多分この世界に残る康太の写真の中で一番の笑顔だったと思う。

 いつか康太が大人になったらこの写真を送ってあげよう。そう思いつつ俺はスマホを下げ立ち上がる。


「じゃあリリースして帰るよ」

「えーアディショナルタイム無いの?」

「ありません。サッカー知らん癖になんでそれは知ってんだよ」


 そう俺はごねる康太を抑えつつ釣り具をかたずけ帰宅の用意をする。するとぶつくさ文句を言いながらも、康太も片付けを手伝う。

 その時俺はなんとなく作業しながら聞く。


「なんかキツかたら言えよ。じいちゃんも家に泊めてくれるって言ってるしさ」


 そうただただなんとなく。何か予感があった訳じゃないけど、今思えばこの時の康太にとってはピンポイントの言葉だったのだろう。康太は何か意を決したように俺に質問を投げかける。


「僕が死にたいって言ったらどうする?」


 俺は手を止めゆっくりと康太を見る。するとあちらのいたって真面目な表情で、綺麗な黒い瞳で見返してくる。


「・・・・え、いや・・・急に何・・・?」

「・・・・・・」


 何かを訴えるような眼。初めて見るような康太の助けを求めるような弱々しい眼。

 でもこの時の俺にはそれ受け入れる事が出来なかった。


「な、なに急にどうしたんだよ~。そんなに釣れなかったのキツかったん?」


 パンと軽い音を立て康太の肩を叩く。

 なんでこんな事をした。なんでもっと違う言葉をかけなかった。なんでもっと康太の話を聞こうとしなかった。何度も何度も思い出しては後悔しては無力感に襲われたこの時の康太の引きつった笑い。


「い、いやぁごめん兄ちゃん。これ言えばお小遣い貰えないかなーって」


 ひどく震えた声。俺が震えさせてしまった声。俺が最後に康太の保っていた何かを崩してしまった、それは確かだった。


「なんだよ、だったらお菓子も奢ってやるから元気だせって!」

「あ、あ、うん。そうだね」


 そうして俺は康太から目を逸らし、自分は良い兄をしたと自己満足に浸って帰路につく。でも心の中でどこかで察していたのかその時一度も康太の顔を見れなかった。


「兄さんトイレ行きたくない?」

「・・・あ、まぁ行くけど康太も?」


 自分から聞いた割に康太は首を振る。何か変だなと思いつつも、俺はそれの違和感を無視してしまう。


「僕は先ホーム行くから。トイレゆっくりしててね」

「ゆっくりってなんだよ・・・」


 最後まで康太は優しかった。こんな何も出来ないで孤独にさせて手を振り離した俺なんかの為に。

 そしてバカな俺は気づかずに、言われた通りにトイレへと入って康太を一人にさせてしまった。この時一言でも「大丈夫か」そう声を掛けていれば変わったかもしれないのに。


 何度も何度も思い出す、思い出したくないと頭が記憶に蓋をするほど後悔した選択。このトイレの手洗い場で聞こえる、遮断機の音、何かがぶつかる音、誰かの叫ぶ声、全部が今そこにいると錯覚するほど鮮明に覚えている。


 そして何かを心のどこかで察しつつも有り得ないと否定し入ったホーム。そこにあるさっきまで息をし、笑っていた人の体だったもの。あわただしく走り回る大人達が背景になって、その鮮明な赤色だけが視界にはっきりと映る。


「・・・・・・なんで・・・・・・なんで・・・・・そんな急に・・・・・・・」


 全く理解出来て無いかった。どれだけ康太が苦しんでいたのかも、どれだけ一人で苦しんでいたのか、どれだけ俺に気を使って元気な康太を演じていたのかを。今更この時に重い代償を得て俺は知った。


 そしてそれからの事はあまり覚えてない。いや覚えたくなかったのだろう。

 周りの大人が勝手に色々やって俺はいつの間にか誰もいない家に帰された。そして深夜には病院に行っていた感情を露わにする母らが返ってくる。


「・・・・・・・・」


 この時間延々と今日の事を思い出し続けていた。そしてそれをすればするほど、何か康太が伝えようとしたんじゃないかと自分で気付いてしまう。それがただ苦しくて情けなくて耐えられなかった。


 だから車の音がすると同時に俺は罰を求めるように玄関前に向かう。すると俺の希望通り血眼になった母に玄関で馬乗りにされ、俺はそこで何度も何度も殴られた。


「あんたのせいでッ!あんたのせいでッ!!お前が死ねばよかったッ!!!」


 でも言ってしまえば女の力。身体的には痛くはなかった。でもいくら嫌っていたとしても相手は母親。

 罰を期待したと言っても、実際こう自分を育てた親にここまで敵意どころか殺意の籠った眼で見られると、精神的な痛みは計り知れなかった。


「あんたなんかと違って康太は私の子供なんだよッ!!お前が要らなかったんだよッ!!!」


 こんな母を抑えようと父も羽交い絞めにしようとするが、それすら払いのけ俺を殴るのを辞めない母。

 どうやら本当に俺の事を殺したいらしい、そう他人気味に思ったのを覚えている。


 そうしてそれからは痛みのせいか後悔のせいか泣きじゃくる俺に、発狂する母、それを押さえつけようとして殴られ沈黙する父。言ってしまえば地獄の様な状態だった。でも時間は平等に誰にしても流れ、康太の死すら段々と風化していく。

 

 だが俺と母はそうじゃなかった。俺は夏の部活に一度も顔を出すことは無く、母は何かに縋るように本を読み漁っては何か得体のしれない物は家に増えていた。


 後から分かった話だが、死ぬ前の康太の成績は悪かったらしい。といっても上位のままだが、母的には悪かったらしく、そういう宗教的な集会に無理やり連れてかれていたらしい。それを知った時、一緒に住んでいながらそれすら気づけなかった自分が余計に情けなくなった。


 そしてそれを知った時というのは、母が死んだ時だった。だが死んだと言っても自殺といっていいのか、母が何かを望んだ結果の副産物だったのだろう。


「・・・・・・・・」


 夏の終わり、明確な答えも慰めも見つからなくても、段々と時間が心の整理をつかせてくれていた頃。俺が一度母と話そうとリビングに降りた時の事。


 ミシミシと縄の軋む音に倒れる椅子。周りには蝋燭やら何か書かれた紙が散乱している。そしていつもは見下ろしていた母を見上げる事になる俺。


「・・・・・・あぁ」


 嫌な慣れだと思った。それを見ても俺はただ事態を納得して、仕事に行っていた父に電話をしていた。

 ただただ「あぁそうか」そう心の中で反芻しながら、茫然と淡々と事情を伝え電話機を置き次は警察に電話をする。


 そして全てを終えまた母親だった物に視線をやる。

 俺が康太の手を振り払い目を逸らしたから、俺のせいで二人分の命が失われた。俺が康太の事をもっとちゃんと見ていれば、もっと俺が話を聞いて一言でも大丈夫かと声を掛けていれば、もっとましな未来があったはずなのに。それを俺はただ責任から逃れたいと、康太の助けを求める言葉を放置した。


「・・・・次は俺の番かな」


 なんとなくそう思った。次はきっと俺が罰を受ける番なんだろうかと思った。

 でもせめてそれまでは、俺は償いをしないといけない。多分それが残った俺の役目で刑務作業なのだと。そう思う事で俺は今まで生きる事を情けなくもみっともなくても選択したのだった。


ーーーーー


「同じ轍は踏まない」


 過去は消えないし残り続ける。多分この先ずっと俺の心から抜けることの無い釘なんだろう。

 でも同じ釘は2度と刺さない。俺は2度と後悔なんてしたくない、まだ1本目の釘すら錆びずに抜けていないんだから。


「・・・・康太が死んで俺が生きた意味。それがこれなんだろ」


 誰に聞くかも分からない声を空に向ける。俺が康太を死なせてしまった後悔を2度しない為、あの女の人を助ける。それが2つの命を奪った俺のやるべき事なんだろう。


「死んでも助ける」


 それが俺の贖罪だった。



 

 

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