75:劇場2
真っ赤になってしまったティトスの手をもう一度取る。
びくっとしていたけど、拒否されるわけはなかった。
「何言ってるの。変なとこだけ遠慮しないでよ。前の私は二十歳だったけど、今の私は十一歳の子ども。これから大きくなるの。……ティトスと一緒にね」
「もちろんだよ! 僕だって一緒に大人になるんだから」
一緒に。その言葉が思いのほか心に響いた。
私はもう一度、人生をやり直していいんだ。
前世の記憶はあれど、一人のユピテル人として。この国で生きていっていいんだ。
そう思ったら、とても心が軽くなった。
この国は貧富の差が激しくて、奴隷制度なんてものまである。町は不衛生だし戦争はしょっちゅう起こる。
問題が山積みだけれど、私はユピテルという国が好きなんだ。
ネルヴァのような人がいて、国の未来に心を砕いている。
冒険者やその他の貧しい人々は、それでもたくましく生きている。
私をパトローネスとして頼りにしてくれる人もいる。
ダンジョンみたいに不思議なものがある。スキルや魔法なんてものもある。
手仕事が身近で、羊毛から糸や布が出来上がっていくさまを小さい頃から眺めて暮らしていた。
この国が大好きだからこそ、自分を異分子だと思って悲しかった。
ただの知識が私の功績になってしまって、罪悪感が膨れ上がっていた。
そででもティトスは受け入れてくれた。リディアはリディアだと言ってくれた。
それならもう、怖いものなんて何もない。
今まで一度だって、生まれ変わったのを後悔したことなんてなかったんだ。
ユピテルが好きで、でも服に関しては不満があったから変えてやろうと思っただけで。
ファッション改革の決意は、最初は熱意だけだったけど。いろんな人と接する中で、いつしか大きな仕事になった。
ああ、私は幸運だったのだ。
「おいおい、俺を忘れてくれるなよ」
しんみりしていると、舞台の下からクロステルが顔を出した。
ティトスが首を傾げる。
「あれ、クロステル。もしかして今の話、聞いてた?」
「聞いていたとも。リディアの前世云々なら、とっくに知っている。何せ俺はとても強い魔物だからな」
ふふんと得意げなクロステルに、ティトスは眉をしかめた。
「何それ。僕だけ仲間外れだったの?」
「悔しいか? 俺とリディアは従魔契約で結ばれた関係。お前が入り込む隙はないぜ」
「はぁ~~? 僕は幼馴染で、仕事のパートナーですけど?」
「ちょっと、二人ともやめてよ」
謎の険悪ムードになってしまったので、私は仕方なく仲裁をした。
クロステルはにやにやと笑う。
「俺はリディアの命の恩人だ。それも二回もな。これからも無茶ばかりしていたら、どんな危険があるか分かったものじゃない」
彼はひょいと舞台に上がってきて、私とティトスの手を取った。
「見守ってやるよ。仕方ないから、ティトスのこともな。俺も織手の端くれとして、リディアのファッション改革とやらの行く末を見届けたい」
「うん。ありがとう、頼りにしてる」
「……クロステルが頼りになるのは、本当だしね」
渋々という顔で言ったティトスに笑いかけて、私は二人の手を握る。
ファッションショーはこれまでの集大成。たくさんの人の力を借りて行う予定だ。
今までも今も、私一人では大したことは何もできなかった。
いろんな人たちの協力を得て、ここまで来られた。
「明日のファッションショー。成功させようね!」
「うん!」
「もちろんだ」
あとはベストを尽くすのみ。
さあ、私たちのお祭りが始まる。
「戦車競走は大迫力だったな!」
「飲み物と軽食まで無料サービスでさ。凱旋式万歳!」
凱旋式の翌日、首都ユピテルは賑やかな空気に包まれていた。
あちらこちらで催し物が開催されて、その全てが無料。中には飲み物や食べ物の配布まである。
お金の負担は主に国庫と凱旋将軍のポケットマネーだ。つまり今回はフェリクス家中心。
フェリクスははじまりの八家と呼ばれる名門中の名門で、相当な資産家。
加えてフルウィウスのような大商人をクリエンテスとして数多く抱えているので、これだけの出費をしても大丈夫であるらしい。
戦利品の売却益――財宝の他、捕虜を奴隷として売ったお金を含む――を使っているためもある。
ネルヴァは「費用面は気にしなくていい」と言ってくれたので、甘えることにした。
凱旋将軍としては、催し物で市民と兵士たちが大いに満足するのも大事なんだそうだ。人心掌握ってやつかな。
催し物の中でも戦車競走は花形だった。首都郊外にある大トラックで、二頭立てないし四頭立ての戦車がその速度を競うのだ。
限界までスピードを上げる戦車は、カーブの際に曲がりきれなくて横転するものまでいる。競争だから互いに邪魔もする。
さながら戦場を駆け抜けるようで、御者の腕に大いに期待をかけられていた。確かフェリクス家からも戦車と御者を出していたはずだ。
「戦車は大きくて、なかなかの迫力だった。競技場は満員だったぞ」
こっそり見に行ったクロステルは満足そうだ。好奇心旺盛な人、いや蜘蛛である。
ずっとダンジョンにいたから、外のものが新鮮なのだろう。
戦車競走が終わって人波が戻って来る頃を見計らって、ファッションショーの劇場もオープンした。
「あら、ここの劇場は何をやるのかしら?」
「劇場だもん。劇じゃないか?」
「演目は何だろう」
「とりあえず入ってみようか」
ぼちぼちとお客さんが入ってくる。
「いらっしゃいませ! あたしたちの劇場へようこそ」
ワインを入れたコップを持って、エラトが笑顔で出迎えた。衣装は一番最初の白いニンフのものである。
サリアとミミもおなじみの衣装で接客している。
「あら、可愛らしいこと。ちょっと変わった服だけれど」
「エラトちゃんじゃないか。こんなとこでどうしたんだ?」
顔見知りの客がいたらしい。
「あたしたちの大事な人が、劇のプロデュースをしたんですよ。あたしも出演するので、どうぞお楽しみに」
「それは楽しみだ」
客は笑顔でワインを飲んでいる。
そうしているうちにだんだんと客席が埋まってきた。上演の時間も近づいてくる。
「ううっ、緊張してきた」
「大丈夫、練習どおりやりましょ」
客席から戻ってきたエラトたちが励まし合っている。
そうして開演の時間がやってきた。