74:劇場1
さあ、ついに私の出番だ!
私は首都の一角にある場所に立って、周囲を見渡した。
ここは石造りの劇場だった。
グラエキアの劇場の形を取り入れたそれは、半円形ですり鉢状になっている。
中央の舞台が最も低く、客席は舞台を取り巻くように段になっている。
ユピテルではほんの数十年前まで、常設の劇場はなかった。
演劇は神々への奉納であって、気楽に楽しむ娯楽ではなかったからだ。奉納のための劇場は必要になるたびに作られて、役目が終われば取り壊されていた。そのため石造ではなく木造だった。
けれどここ最近で急激に豊かになったこの国は、娯楽を求めるようになった。まずは貴族や騎士階級が、次は平民たちが。
凱旋式はお祭り騒ぎ、つまり大きな娯楽である。
貧民救済の小麦配給と相まって、パンとサーカスと揶揄されることもあるけれど、ガス抜きが必要なのだと思う。
舞台に立って手を叩いた。音は石造りの客席に反響して、驚くほど大きな音となって跳ね返ってきた。
「ここで、ファッションショーをやる」
それこそが私のお祭りだ。
そのために戦争下の数ヶ月を準備してきた。
命がけで戦う兵士たちを思えば、自分の夢ばかり追いかけるのが申し訳なかったけれど。
ユピテルという国が勝利して、その後も人々の暮らしが続いていく。そうすれば必ず服が必要になる。
平和の時期を自分らしく過ごすために、新しい服を作るんだ。そう考えて、作業を続けてきた。
「リディア。いよいよ明日からだね」
ティトスが舞台に上がってきた。
「リハーサルは上手くいったし、きっと成功するよ」
「うん」
私は舞台を振り返った。
明日ここで繰り広げられるショーを想像して、胸が高鳴った。
「ティトス、ありがとう。あなたのおかげでここまで来られた」
ぎゅっと手を握って言えば、ティトスは目を白黒させた。
「何、急に?」
「一番最初にティトスがお金を貸してくれたんだよね。それが全ての始まりだった。あのお金で布を買って、服を作って。エラトお姉ちゃんのお店を盛り上げて。ダンジョンにまで行った。本当にいろんなことがあったけど、あなたはいつも横にいてくれた」
「……僕はリディアを追いかけてばかりで」
手を握り返しながら、ティトスはまっすぐに私を見る。
「今だってまだ、追いつけたとは思えないんだ。でも不思議だね、悔しくない。いつも駆け抜けていくリディアを追いかけて、助けになるのがとても楽しくて。……誇らしいと思っているよ」
彼の瞳は優しくて、私は本当に嬉しかった。胸がぎゅっとなるのを感じる。
だからこそ、最後の嘘をやめたかった。
「ティトス」
決意を込めて、もう一度彼の名を呼ぶ。
「私、あなたを騙していたの」
「え?」
突然の言葉に、ティトスは目を丸くしている。
「……私には、前の人生を生きていた記憶があって」
そうして私は話し始めた。
転生という概念はユピテルでは一般的ではない。この国の宗教観では、死後の魂は冥府へ行って永遠の眠りにつく。
だからそこから説明をした。
それから前の世界は文化が発達していて、いろんな服や服作りのための道具があったこと。
私は二十歳まで生きた大人で、記憶と心を引き継いでいること。
この国にとって異分子であること……。
「今までの私のアイディアは、ぜんぶ前の人生で学んだことばかりなの。だから私の功績じゃなく、ただの借り物。私自身も二十歳まで生きていたから、大人の意識を持っている。……ズル、してると思う」
しっかりとティトスの目を見て話すつもりだったのに、私はだんだんうつむいてしまった。
握った手の温かさが今は怖くて、指から力が抜ける。
それでも彼を騙したくなかった。
前世の話は、もしかしたら私が楽になるだけかもしれないけど。ティトスにいらない負担をかけてしまうかもしれないけど。
いつだって横にいてくれた彼に、隠し事をしたくなかったのだ。
でも。
すり抜けかけた指は、もう一度強く握り返された。
「前世の記憶とかいうのを思い出したのは、もしかして、あのスキル鑑定の日?」
「……うん」
頷きながらも、まだ顔を上げられない。
「そうだったのかぁ」
何だか気の抜けたような声で言われた。おそるおそる視線を上げると、いつもと変わらない笑みを浮かべたティトスがいた。
「リディアが急に大人になったと思っていたら、本当にそうだったんだね」
「こんな話、信じてくれるの?」
「まあね。リディアが僕にわざわざ嘘をつくわけもないと思うし」
ティトスは目をぐるっと回した。
「で、ズルだっけ? なんでそうなるのかな。いくら前のリディアが物知りでも、いろんなことを頑張ったのは今のリディアだよね。僕は近くで見ていたから、よく知っているよ。そりゃあすごい糸車や織り機を作ったのは、前のリディアのおかげかもしれない。でも、エラトさんのために骨を折ったのは誰? ネルヴァ様の仕事を受けて、兵士たちにいい服を届けたいって毎日働き続けたのは誰? 何よりも臆病だった僕に勇気をくれて、広い世界を見せてくれたのは誰?」
「ティトス……」
「全部ぜんぶ、今目の前に立っているリディアだよ。前世の記憶とやらがあってもなくても、僕には関係がない。だって、リディアはリディアだもの」
彼の手が伸びてきて、私の肩を抱いてくれた。
すぐ間近に瞳がある。優しさと誠実さに満ちたティトスの目が。
「今の話を聞いたって、リディアがすごい人だと思っただけだよ」
そう言って笑って、はっとしたように肩から手を離した。
「あっ、ご、ごめん、リディアは二十歳のお姉さんなんだっけ。僕みたいなチビに触られたら嫌だよね」
ティトスの顔が真っ赤だ。私は思わず笑ってしまった。
それは肩の力が抜けた、今まで通りの笑みだった。