72:決戦
決戦は初夏、ノルド南部のある平原で行われた。
ユピテル兵は執政官フェリクス麾下の二個軍団三万に、執政官メテルスの残存兵二万五千。対するセグアニ兵はおよそ十万を数えた。
二人の執政官の兵を合わせても、二倍近い兵力差がある。
初夏の平原、濃霧の漂う朝に戦いは始まる。
夜明け前に斥候兵を放ったフェリクスは、セグアニ人が正面突破を狙う陣形を敷いていると知った。
セグアニは元より蛮族。緻密な戦術を用いるはずもない。フェリクス親子は対策を練った。
日の出とともに戦いの火蓋が切られた。
セグアニ人は歩兵で楔形陣形――紡錘形の突撃に適した陣形――を取り、ときの声を上げながらユピテル軍に迫る。
屈強な肉体を誇る狩猟民族の男たちは、ユピテル兵よりも一回りも大柄。それが二倍もの数で雪崩のように押し寄せたのだ。
迎え撃つユピテル兵に緊張と怯えが走った。
「戦友諸君。恐れるな!」
兵士らの恐怖を見て取ったフェリクスは、最前列に出て叫ぶ。
一兵卒と変わらない武装に身を包んだ彼は、剣の切っ先で迫りくる敵軍を指し示した。
「作戦通りに戦えば、必ず勝てる。我らは勝って故郷を守る!」
最高指揮官が前に出たことにより、兵士たちの心は奮い立った。
「投槍準備、……投擲ッ!」
ユピテル軍は一斉に投槍を放った。
投槍はユピテルに古くからある武装で、ネルヴァの発案で改良を施している。
元々は木製の持ち手に鉄製の穂先を固定したものだったが、固定するボルトをも木製に変更。これによりより軽量で投げやすく、さらにあえて穂先を壊れやすくすることで、敵の盾に突き刺さった後に抜けにくくなった。
軽量といえど長さ二メートルを超える槍だ。突き刺さったままでは盾はとても使えない。
盾を失ったセグアニ兵は大幅に防御力を失って、その上で白兵戦を強いられることとなった。
いよいよ肉薄したセグアニ人に、もう一度投槍が放たれる。今度のそれは先程よりも重く殺傷力が高い槍である。
盾を失っていたセグアニ歩兵は、前列を大きく崩した。
そして接敵。ユピテル軍は盾を使った亀甲陣形で、敵の攻撃を受け止める。
たちまち混戦になったが、ユピテル兵は粘り強く戦った。
ユピテル軍の基本陣形は三列構造である。
最も若く体力のある青年兵が最前列に立って、まず敵の攻撃を止める。
次に心身ともに充実した中堅兵が続き、しっかりと戦列を支える。
最後に体力こそ劣るが経験豊富なベテラン兵が詰めて、前二列をサポートする。
これらの重装歩兵はユピテル軍の背骨だ。
軍制改革によって新しく生まれ変わった彼らも、その基本は変わらない。
今回の戦闘においてもこの戦列は機能して、突撃してくるセグアニ人の攻撃をよくしのいだ。
最前列が崩れ始めても中列がすぐに支える。中列が手薄になった場所は、ベテランたちが駆けつける。
しかしそれでも数の差は圧倒的だった。勢いに任せての突破はセグアニの得意とする戦法でもある。
ユピテル軍はじりじりと戦線を下げる。セグアニ人の中央突破は成功しつつあるかのように見えた――。
楔陣形のセグアニは、横列に展開したユピテルの中央に食らいつき、食い破ろうとしている。
しかしその時、戦況が動いた。
両翼に配置されていた騎兵隊、特に左翼のネルヴァが率いる一隊が敵の騎兵を撃破して、セグアニ人の側面に襲いかかったのだ。
セグアニ人は狩猟と遊牧の民。生まれながらに馬と親しんで、強力な騎兵を多数抱える。
農耕民族であるユピテル人と比べれば、練度も質量もずっと高かった。
そのため騎兵同士の戦いを想定したネルヴァは、対策を打っていた。
投槍の投擲に加えて、強力な弓兵の輩出地として有名な東方の同盟国から弓兵隊を借り受けて一斉射撃を行った。これにより多くのセグアニ騎兵が落馬して倒れる。
「戦友諸君! 俺に続け!!」
敵騎兵の先頭が崩れたと見るや、ネルヴァは自ら最前線に馬を走らせて突撃した。
騎兵隊の隊長であり最高指揮官の息子である彼が誰よりも前に出たことで、味方の士気は大いに向上した。
「ネルヴァ様に遅れるな!」
「敵を蹴散らせ!」
馬のいななきと戦塵、怒号が混じり合う。激しい剣戟が起こって人馬の血しぶきが飛んだ。剣を突き立てられた馬が悲鳴を上げて、騎乗者を振り落とす。
セグアニ人の過ちは、歩兵の中央突破を重視するあまり騎兵の戦力をも中央に組み込んでしまったことだろう。
おかげで両翼のセグアニ騎兵は数が少なく、本来であれば質量が劣るユピテル騎兵が大いに戦う余地ができた。
ネルヴァの指揮のもと、左翼のユピテル騎兵は敵騎兵を撃破。
返す刀で、中央突破をしようとしていたセグアニ歩兵の側面を強襲した。
人間というものは、基本的に一方方向にしか注意を向けられない。命がけの戦場であればなおのことだ。
横からの攻撃を受けたセグアニ歩兵はたちまち混乱に陥って、あっけなく崩れ始めた。
それまで耐え忍んでいたユピテル歩兵たちは、好機を逃さなかった。防御陣形を解いて一斉に敵に襲いかかる。
右翼のセグアニ騎兵は味方の歩兵の崩壊を見て、動揺を濃くした。おかげでそれまで互角だったユピテル騎兵との戦いにヒビが入る。
一度均衡が崩れれば、戦いの天秤が傾くのは早かった。
右翼のユピテル騎兵隊も敵を撃破。セグアニ人は両側面から攻撃されて、為すすべもなく殺されていく。
逃げようにも中央突破のために密集していたのが仇になった。仲間同士で押し合い踏みつけ合って、混乱は増すばかり。
もはや戦闘ではなく一方的な殺戮と化すのに、そう時間はかからなかった。
そうして日没近く。広い平原にセグアニ兵の屍が山と積まれる。
ユピテル軍はそれでも容赦はしなかった。
戦いの勢いのままにセグアニ人の後背陣地になだれ込んで、女子供を一切の情けなく捕らえた。奴隷として売るためである。
降伏を拒否して自死を選んだ女たちを含めると、十三万人ものセグアニ人が一日にして死んだ。捕らえられたのは六万人にのぼる。
かろうじて逃げ延びたセグアニ人らは、北の本来の住処まで戻っていった。
こうして西の地での決戦は、ユピテル軍の勝利で終わった。




