60:フェリクス家の娘
話の区切りがついたので、私たちがその場を辞そうとした時のことだ。
「まあ、なんてこと。お兄様だけ新しい服を着て、ずるいですわ」
上品な女性の声が割って入ってきた。
見れば中庭の奥の方から、一人の女性が出てくるところだった。
年の頃は十六、七歳くらいだろう。ストラというユピテル女性の服を着て、おしゃれに髪を結い上げている。
ネルヴァと同じダークブラウンの髪と青い目をした美人だった。
「あなたがリディアね」
彼女は私の前までやって来て、まじまじとこちらを見た。
「本当に十歳の子どもですのね。お兄様がずいぶんと買ってらっしゃるから、本当はもっと大人なのかと思っておりました」
「ドルシッラ、よしなさい」
ネルヴァが苦笑している。
「これは俺の妹で、ドルシッラという。リディアの話をしたら興味を持ってね」
「あのニンフの店にもお忍びで行きましたわ! とっても可愛らしい衣装で、わたくしも欲しくなりましたの」
ドルシッラは目を輝かせた。
「お母様はあのようなものは下品だ、踊り子の服だと言いますが、わたくしそうは思いませんわ。あのふわふわしたスカート? と、変わった形の上着。あの服を作ったというリディアに、会いたかったのですよ」
「本当ですか! 嬉しいです!」
私がぱっと笑うと、ドルシッラも笑顔を返してくれた。
「同年代の友人たちは、あの服が気になっている人が多くってよ。リディアはお兄様のお抱えですもの。妹のわたくしのために服を作ってくれるわよね?」
「はい、もちろん……いいえ、えっと?」
二つ返事で言いかけて、勝手に決めてはいけないのだと気づいた。
私の予定は押している。ねじ込む隙があるかどうか。
けれどこれはいい機会だ。ブラジャーの件もある。貴族女性に売り込んで、新しい服と下着を受け入れてもらうチャンスじゃないか?
思わずネルヴァを見ると、軽く頷いてくれた。
「リディアの手が空くのであれば、ドルシッラの願いを聞いてやってくれ。その子は来年、嫁入りを控えている。今が最後のわがままを言える時期だからね」
「一度工房に戻って、仕事の段取りを相談してきます。服作り自体は他の職人でもできますので、何とか時間を作って戻ってきたいです」
兵士の服に改善点があれば施したいけど、今のところは思いつかない。
職人たちにいくらかの不義理をしてしまう可能性があるが、私は目の前の大きなチャンスの誘惑に負けてしまった。すまぬ、本当にすまぬ。
「ぜひお願いしますわ!」
心から嬉しそうなドルシッラに、私の心も踊るようだった。
「服作りの前に、ドルシッラ様にお見せしたいものがあるんです」
いい機会だ。
言ってカリオラに目配せすると、すぐに彼女は心得てくれた。ブラジャーの件である。
「どこかお部屋を借りられないでしょうか」
「でしたらこちらへ」
ドルシッラは中庭に面した扉の一つを指し示した。
奴隷の人がさっと動いて扉を開けてくれる。
ついてこようとした男性陣に、私はペコリと頭を下げた。
「女性の下着の話ですので、すみませんが男性はご遠慮ください」
「そういうことであれば、仕方ない」
ネルヴァが頷いてくれたので、私たちは部屋に入る。
「服ではなくて、下着ですの?」
ドルシッラは不満そうだ。
「胸を支える下着で、ブラジャーと言います」
私はサンプルとして持ってきていたブラジャーを差し出した。
ドルシッラは手に持って、パッドの部分をふにふにしている。
「これを胸に巻くと?」
「はい。これはしっかりと胸のふくらみを支えて、運動をしても揺れが気にならなくなります。カリオラ、見せてもらっていい?」
「ええ。失礼します」
カリオラが上着を脱いで下着姿になった。ぴったりとフィットしたブラジャーを、ドルシッラがちょっと興味を持った目で見た。
「ふくらみの形にぴったりですのね」
「一人ひとりサイズを測って、ちょうどいいものを作っています」
「ふうん? でもわたくし、そんなに激しい運動はしないの。別にいらないわ」
あちゃー。
今のブラジャーは前世のものと違って、レースなどの飾りがないシンプルなもの。可愛い服が欲しいドルシッラのお眼鏡にかなわなかったか……。
「ブラジャーを身に着けますと、お胸の形がきれいに見えるんですよ」
それでも頑張って営業トークをしてみるが。
「わたくし、プロポーションには自信があるの。ほら」
ぐいっと胸を張ると、それはもう豊かなおっぱいがどーんと張り出した。古代風のゆったりドレープたっぷりな服でもしっかり分かるボリュームだった。まるでロケット弾頭のよう。ブラなしでこれとはすごいわ。
正直うらやま……。前世の私は貧弱だったし、今に至ってはぺったんこだもん……。
いいや今は十歳だから、これから育つ可能性は大いにある。
西洋人系のユピテル人であれば、日本人より育つ可能性が大いにあるっ! 大事なことなので二度言いました。
しかしこうなると、ドルシッラ相手にブラジャーを売り込むのは無理だろうか。全然興味がない感じ。
改めて可愛い服を作って持ってくるのがいいだろう。どんな服が欲しいのか、何ならデザインから相談してもいい。そう思ったところに。
バタンと音を立てて部屋のドアが開いた。
「ドルシッラ、あなた何をしているの! あのおかしな服を作った平民と話しているなんて!」
戸口に一人の女性が立っていた。四十歳前後に見える上品なご婦人だったが、今は機嫌が悪そうに目を吊り上げている。
「お母さま」
ドルシッラがバツの悪そうな顔で言った。




