59:パトローネス
「チュニカに慣れた身としては、特別の不便を感じていたわけではないが。こうして新しい服に身を包むと、今まで見えなかったものが見えてくる」
ネルヴァはまっすぐに私を見た。
「よくやった、リディア。これは確かに兵士のための服だ。来る軍制改革に備えて、この服を全兵士に行き渡る数だけ作ってくれ」
「……はいっ!」
私の頑張りが、工夫が認めてもらえた。
それもネルヴァが自分の手で確かめて、私に足りなかった視点を教えてくれた上でだ。
嬉しい。喜びで胸が熱くなる。
思わずティトスの手を取って、ぎゅっと握りしめた。
「良かったね、リディア」
「うん! これから忙しくなるよ。ダンジョンの工房に戻って服作りをしなきゃ!」
型紙ならぬ型布と作り方は職人たちに教えてあるけれど、当事者の私が指示だけってわけにはいかないだろう。
何より私も服を作りたい。他に改善点があれば直していきたいし、やることはたくさんある。
「ネルヴァ様。新しい軍制はいつ頃実現しそうですか?」
嬉しくなった勢いでつい聞くと……ネルヴァはふと笑みを消した。
「予想以上に難航している」
「なぜです!? ユピテル軍の強化はすぐにでも行わないといけない問題で、元老院も分かっているんですよね?」
私の驚きの声にネルヴァは小さく首を振った。
「その点については、否を唱える者は少ない。だが問題は財源だ。今のように戦時だけ招集する市民兵であれば、出費は徴兵中の給料程度で済む」
市民兵は基本的に武装や従者なども自前で出す。
フルウィウスのような富裕層を「騎士階級」と呼ぶのも古い軍制に由来する。騎士、騎馬兵は馬を提供しなければならず、馬は高価なもの。また乗馬は高度な技術なので、長い訓練を積んだ者しか身に着けられない。
それだけの金銭的余裕がある家を古くは騎士と呼んで、その名残で富裕層を騎士階級と呼んでいるのだった。
「しかし無産階級を中心に志願兵を募るのであれば、軍備一式は当然ながら国家の担当。加えて常備軍とすれば常に出費を要求される。また兵士の給与はそう高額ではなく、老齢で除隊になった後に暮らせるだけの蓄えを作るのが難しい。ゆえにその後の保障として国有農地配分を法案として出したのだが、これが反対に遭った。
今、本国のみならず属州の多くに至るまで、肥沃な土地は元老院議員らが占拠している。本来であれば一人あたりの借用上限があるのだが、抜け道を使って有名無実化していてね」
ユピテル共和国の農地は基本的に全て国有地で、市民は借用して使うという体裁になっている。
けれど借用地は相続や売却が認められているため、実質は私有地だ。
で、借用地は一人頭の上限がある。でも裕福な人ほど家族や一族や解放奴隷の名義まで使って借りまくっているのだ。
そういう人たちがたくさんの奴隷を使って大農園を経営して、昔ながらの家族経営の小農地を脅かした。それが貧富の差を生む一つの大きな原因になっている。
「兵士の土地配分については本国ではなく、属州の植民都市中心に行うと伝えたのだが。それでも警戒されてしまった。
その他の財源として東方の属州の税制再編を合わせて行おうとしたところ、これも反対された。旧来の利権を握っている者が裏で動いているのは間違いない。
まったく何をするにも利権が絡んで、各方面の反発が激しい。正面から叩き潰すには数が多すぎるので、少しずつ説得なり取り込むなりするしかない」
ネルヴァはため息をついた。
「何とももどかしい。俺の年齢が足りてさえいれば、護民官になってでも改革を推し進めるのに」
護民官は国の公職で平民だけがなれる平民の代表者だ。
就任年齢は三十歳から。任期を全うすれば元老院に議席がもらえる。
だからユピテルは貴族政ではなく寡頭政になる。だって国の意思決定機関である元老院議員が、貴族限定じゃないもの。
「ネルヴァ様は貴族、それも大貴族フェリクスのご嫡男なのに、護民官になれるんですか?」
ティトスが不思議そうに言った。
「なれるとも。フェリクスの名を捨てて平民の家に養子に入ればいい」
「そこまでして?」
「そうだよ。護民官は強権を持つ公職としては最も就任年齢が低い。護民官と並び立つ権限を持つのは執政官だが、あれは四十歳にならないと資格がない。とてもそこまでは待てないんだ」
ネルヴァは確か今、二十二歳だったはずだ。
執政官はユピテルの最高官職で、元老院の代表者。いつかは到達するとしても、ずいぶん先になってしまう。
「いっそのこと年齢制度そのものを変えてしまいたい気持ちでいるが、今は機を熟すのを待つべきだろう」
「来年、ネルヴァ様のお父上が執政官選挙に出馬予定だ。執政官の権限があれば法案の成立がよりスムーズに行える。我々はそれまで待つべきかと」
と、フルウィウス。
ネルヴァは頷いた。
「そうだな。俺は諦める気は微塵もない。リディアは力を尽くして兵士の服を作ってくれた。であれば俺も、自らの領分でやり抜くのみだよ」
静かな口調だったが、悔しさと決意がにじみ出るようだった。
ネルヴァは辺りを見回して、デキムスとカリオラに目を留めた。
「デキムス、カリオラ。この話を聞いた以上、お前たちも一蓮托生だ。リディアの力になってやってくれ」
「え、一蓮托生? なんですか、それ。難しい話は聞き流してたのに……」
デキムスが頭をガリガリと掻いて、カリオラに肘鉄されている。
彼女は礼の姿勢を取った。デキムスも慌てて真似をしている。
「お任せください。わたしたち冒険者はリディアに恩があります。わたしたちは頼る者のいない無産階級。いわばリディアが保護者になるでしょう。被保護者として彼女の力になると、約束します」
「クリエンテス!? 大げさだよ!」
私は驚いて声を上げたが、カリオラはそっと微笑んでいるだけだ。
だってパトローネスとクリエンテスは、ユピテルにおいてはとても大事な関係。信義に基づいて相互扶助をするこの関係は、ユピテルの根幹部分を支えている。
いくら小さな規模といっても、私がパトローネスになるなんて。責任が重すぎる。
私はまだ子どもで、……しかも違う世界の魂を持つ転生者だ。この世界にとっては異分子になる。
そんな私が他人に対して責任を持つなど、やっていいのだろうか。
けれど無産階級を自称した彼らにとっては、寄る辺を見つけたことになるのか。
今まで危険と隣り合わせで、それなのに貧しく生きてきた彼らの。
「リディア、恐れずに受け取りなさい。恩と信義を尽くせばそれでいいのだから」
大貴族として数多くのクリエンテスを抱えるネルヴァの言葉は、説得力があった。
「分かりました……。私で力になれるなら、頑張ります!」
内心の不安は表に出すべきじゃない。ちょっと虚勢を張って言えば、たぶんみんなにバレている。
けれどもデキムスとカリオラは何も言わず、笑顔で応えてくれた。




