52:繭の値段
それから十数日が経過して、ティトスが戻ってきた。……フルウィウスと職人の集団を引き連れて。
「リディア、でかした! あの絹は東方産の最高級品にこそ劣るものの、それ以外とは遜色のない品だ。耐久性が優れているのなら、むしろ従来よりも良い絹になる! さっそくここに工房を建てようと、大工やその他の職人を連れてきた。必要な設備があれば言うんだ。全て作る」
「あっはい」
食い気味かつ前のめりなフルウィウスに若干引く。
彼は冒険者ギルドに置いてあった大きな繭に目を留めた。
「ほほう、それが絹のもとになる繭か。この糸があのような美しい絹糸になるとは……盲点だった」
「あ、フルウィウスさん。その繭、もう少しで孵化しちゃうのであまり触らない方がいいですよ」
燃やそうと思って分けておいたのである。
フルウィウスはさっと繭から離れた。
それから彼は周囲を見渡して、冒険者たちに語りかけた。
「私はフルウィウス、首都で繊維を扱う商人をやっている。もう知っているだろうが、このダンジョンで有用な素材が発見された。この繭だ。私はこれがあるだけ欲しい。買取価格は適宜相談するが、安定供給のためには冒険者諸君の力が必要だ」
「リディア嬢ちゃんはえらく張り切っていたが、いい値をつけてくれんのか?」
デキムスが一歩進み出た。
「もちろんだ。当面の間は繭一個で銀貨二枚でどうだろうか」
「……!」
銀貨二枚は毛皮などに比べれば格段に高い値段である。
けれど繭一個で非常に長い――およそ二十キロメートル――糸が取れるわけで。三個撚り合わせるのが必要だとしても、相当な量だ。
ちなみに二十キロメートルは正確に測ったわけじゃないが、糸巻きの回転数から推測した。大きく外れていないはずだ。
「銀貨二枚だとよ」
「四階層とはいえ、割のいい仕事だ」
「いいじゃないか」
冒険者たちがざわめいている。
「フルウィウスさん」
そんな中、私は小声で話しかけた。
「ダンジョン産の絹が行き渡れば価格破壊が起きて、今までほどの高級品じゃなくなるでしょうけど。それでも繭一個で取れる糸の量を考えれば、銀貨二枚は安すぎません?」
「奴らはそれで納得しているようだが?」
冒険者たちを見るとやる気になっている。
私は続けた。
「ネルヴァ様の言葉を思い出してください。あの人はユピテル人全員の暮らしの向上を願っていました。冒険者は決して恵まれた職業じゃないんです」
命がけでダンジョンに潜って素材を取ってきても、さほどお金にはならない。
彼らは自分自身を「半端者」と呼んでいた。お金に困ってみじめになるとも。
それでも冒険者を続けているのは、他に道がないのが一つ。そしてもう一つは稼業に誇りを持っているからだ。
そうでなければ、デキムスとカリオラはあんなに誠実に働いてくれなかっただろう。
「銀貨二枚は商売の仕入れ値として本当に妥当ですか? 私、絹の新しい使い道も考えています。今までほどの高級路線じゃなくても、十分に需要の出るやつです。買い叩きはやめてください」
「リディア。きれいごとはよせ。諸々を勘案して安い仕入れだとしても、当の彼らがそれでいいと言っているのだ」
フルウィウスは冷たく言った。
いやいやいや、それって無知につけ込んでいるだけでしょ!
「……ネルヴァ様にチクリます」
ぼそっと言ったらフルウィウスは目に見えて焦り始めた。
「待て、リディア」
「父さん。今の話は本当ですか」
小声を聞きつけたティトスが軽蔑の目を向けている。フルウィウスは「うっ」と言葉に詰まった。
彼はしばらく唸っていたが、やがて開き直ったように頭を上げた。
「訂正する。繭一個につき銀貨五枚だ!」
いきなり二倍以上になった。息子のまなざしがよほどこたえたらしい。
私の知る範囲の知識でざっくり計算してみるが、これなら搾取ではなさそうだ。
「おおっ、マジか!」
「すげえな!」
「やる気出る!」
冒険者たちが沸き立っている。
「リディア。本当にこれ以上は出せんからな」
フルウィウスは渋い顔だ。
「分かりました。しっかり繭を取ってきてもらって、いい絹糸と絹織物を作って、バッチリ儲けましょうね!」
「当然だな。コストをかける分、回収はきっちりとやる」
こんな経緯で、絹糸生産は本格的にスタートしたのだった。
それからは何もかもが急ピッチで進められた。
まず私と将来の絹糸職人のための工房が建築される。冒険者たちが手作業で建てた掘っ建て小屋ではなく、ちゃんとした大工の手による立派な建物だ。
建材は基本的にレンガを使い、部分的に木造だった。たくさんの荷馬車にレンガが積まれてやって来ていたのだ。
ユピテル共和国はインフラ建築を得意とする国。焼きレンガ業も盛んで、それぞれのレンガ工房の焼印が押してある。
工房の他には職人の住居も作る。
こちらは木造がメインだったが、それでもしっかりとした家屋が出来上がった。
今まで作業していた冒険者ギルドの片隅は、狭いし不便だしで大変だった。
その点新しく作った工房は、私の要望通り絹糸の生産に適した間取りになっている。
大鍋を置く場所が複数あって、同時にたくさんの糸を作っていける。
さっそく、やって来た職人候補たちに絹糸の手繰り方を教えていった。
「お湯の温度はこのくらいが最適なの。覚えておいてね」
「分かりました」
「ハンドルを回すスピードはこのくらい。同時に鍋はこのくらいのペースでかき混ぜてね。二人で掛け声を掛け合うといいと思う」
「はい!」
「糸巻き機に不具合が出たり、何か気づいたことがあったら教えて。調整するから」
「了解です」
「石鹸は鍋一杯のお湯に対してこのくらいかな。ただ、石鹸で精錬するのは糸を巻く段階と巻き終わった後とで試行錯誤中なの。布を織った後で洗うのもアリかもしれないし、迷い中」
「そうなんですね。わたしたちも協力します!」
彼らの手元で絹糸がどんどん巻かれていくのを見ると、服作りが楽しみでニヨニヨしてしまう。
その前に布を織らなければならないが、ここで頼もしい助っ人が来てくれた。
「リディア、元気にしていた?」
「お母さん!」
お母さんは新しい織り機を乗せた馬車に同乗して、ダンジョンの町までやって来た。
絹糸工房の隣に作っていた機織り工房に機材を下ろす。
「私も絹糸で織るのは初めてだから、どこまで上手にやれるかは分からないけど」
「お母さんは織物スキルがあるもの。きっと大丈夫だよ」
そんなことを喋りながら、二人で絹糸を織り機にセットしていく。
耐久性が高いとはいえ、細くて繊細な糸だ。縦糸としてセットする本数は多く、大変だった。二人がかりでも丸一日以上かかってしまった。
「できた!」
千本以上もの縦糸をセットし終わって、ひと仕事終わった気分である。だが本番はこれからだ。
お母さんは機織り機の前に座って操作を始めた。
ギッタン、バッタンとペダルを踏むと、縦糸の前後が切り替わる。
横糸のシャトルが台を滑って、あっという間に向こう側へ通る。
同じく縦糸にセットしたクシでトントンと織り目を整える。
お母さんの動作は滑らかだった。
「すごい。この織り機、使いこなしてるね」
「練習したのよ。やりがいがあったわ」
それからお母さんは何日もかけて機織りを続けた。
絹糸は細くて繊細だから、機織りにも時間がかかる。今回は模様のない無地の布だけど、それでもだ。
そうしてとうとう、ダンジョンの絹布・第一号が織り上がったのだ。




