51:冒険者たちの事情
ひたすらハンドルと鍋を回し続けること、かなりの時間。
いい加減腕が痛くなってきた頃、ティトスが声を上げた。
「あ。繭の一つ、中味が見えてきてる」
「どれどれ?」
一度手を止めて鍋をのぞき込んだ。
すると確かに一つの繭が薄くなって、ぼんやりとサナギの姿が見えた。
サナギは手足を縮めている。ダンジョンから出された上にお湯で煮られたので、とっくに死んでしまっていた。
「なんかちょっと、可哀想だね」
私が言うとティトスは首を傾げた。
「そう? だって魔物だよ、これ。育てばあの毒蛾になるわけだし、別にいいんじゃない?」
「まあね……」
クロステルと契約した影響だろうか、以前よりも魔物寄りの心情になってしまう気がする。
まあそうは言っても、絹の材料としてありがたくいただくんだけどね! そこにためらいは微塵もない。
私の絹のための尊い犠牲である。
「せめて最後まで糸をもらっておこう」
それから少しハンドルを回すと、サナギは繭からお湯へとゆるりと出てきた。二十センチほどもあるデカいサナギだった。
けれど今さら気持ち悪いとは思わず、私はそれを手ですくい上げた。
「糸をありがとう。後で土に埋めてあげよう」
「魔物の死体ってちゃんと土に還るのかな?」
「どうだろ? あとでデキムスたちに聞いてみよう」
肉はマズくて食べられないらしいが、死体の処理はどうやっているんだろう。ちょっと気になる。
サナギはとりあえず鍋の横に置いた。
糸巻きはもういっぱいになっていたので、今回はとりあえずここまでと決めた。
「さあ、糸を確かめよう」
糸巻きに巻かれたたくさんの糸は、つややかな光沢を放っている。とてもきれいでうっとりした。
糸巻きから外して手に持ってみる。滑らかな手触りにため息が出た。
この糸で織られた布で新しい服を作ると想像すれば、にっこり、にんまり、によによと笑みがこぼれる。
繭を煮た鍋から巻き取られたばかりなので、糸はまだ湿っている。乾燥させなければならない。
あとは糸巻きから巻き直して糸カセを作らなければ。そうしてようやく機織りに使えるだろう。
まだ濡れたままの絹糸を撫でて、あれこれ確かめた。やっぱり美しいね。
ただ……首都のフルウィウスの店で見せてもらった絹、特に東方のシン国のものに比べるとツヤと手触りがやや劣るような気もした。
「ティトス、触ってみて。フルウィウスさんのお店の最上級の絹と比べてどう思う?」
「うーん、少しだけ悪いかも。でも、アウザリア産の絹には劣らないよ」
確かに。それにこれは絹の弱点、耐水性や耐摩擦性の弱さを克服した糸のはず。
あるいはその性質のために繊細さが少し失われているのかもしれない。
「繊維鑑定っと」
『ユピテル半島のダンジョンに生息する毒蛾の繭から作られた糸。しなやかで強靭。吸湿性・放湿性、および耐水性・耐摩擦性に優れる。
糸のよりが少々甘く品質は今ひとつ。また、未精錬で色染めがしにくい』
良い性能……と思ったら最後!
ハンドルを回すスピードや糸巻き機そのものにまだ工夫の余地がありそうだ。それに色染めがしにくいと出た。
「精錬ってどうやるの……?」
『繭糸のタンパク質が色染めを妨げる』
うわ。スキルが答えてくれた。
クロステルと従魔契約をした影響だろうか? どうも魔力がアップしている気がする。
タンパク質が染色を妨げるということは、除去すればいいのだろう。そういえば羊毛だって(オシッコ洗剤で)洗っていた。除去が清廉にあたるのね。
タンパク質、タンパク汚れ……。
「あっ。石鹸でいいんじゃない?」
「石鹸をお湯に溶かして煮てみる?」
ティトスが言いたいことを言ってくれた。
「今度やってみよう。今はとりあえず、絹糸ができたとフルウィウスさんに報告しよう。でもって、絹糸工房をここに作ってもらおう!」
「うん!」
私とティトスは笑顔で頷きあった。
出来上がったばかりの絹糸をティトスに託して、首都へ報告へ戻ってもらう。
その間に私は糸巻き機と糸繰りの改良に取り組んだ。
振り手と呼ばれる部品を工夫してムラのない糸巻きを目指したり、ハンドル回しのスピードを調整してそのたびに繊維鑑定をしたり。
お湯に石鹸を溶かして、タンパク質がどのくらい除去できるかも試してみた。
繭はまだたくさんあるし、孵化するまで余裕がある。足りなくなったらダンジョンに取りに行ってもらうのもできる。
大変贅沢な環境だった。
ティトスがいない間の作業はデキムスとカリオラが手伝ってくれた。
お礼を言うと二人とも笑っている。
「俺らはリディア嬢ちゃんとフルウィウスさんに雇われた身だからな。雑用だろうがやるのが筋だろ」
「わたしたちは普段、食いっぱぐれないように必死だったから。護衛代金が出て、しかもこの繭のように有望な素材を見つけた。リディアには感謝しているのよ」
冒険者は危険と隣り合わせの職業だ。その割に実入りも良くなく、みな苦労しているのだという。
「どうしてそんなに苦労しながら、冒険者をやっているの?」
くるくるとハンドルを回しながら聞いてみると、カリオラが肩をすくめた。
「わたしたち冒険者は半端者なのよ。農民として生きるだけの土地を持たず、かといって職人になるほどの技術もない。わたしのスキルは『魔力・風』、デキムスは『身体強化』。できるのは戦うことくらいだった」
「まあ、戦うのに向いているだけラッキーだったのかもな。もっと使い道のないスキルの奴だってたくさんいる。だが他に選ぶ道がほとんどなかったのは確かだ。別に冒険者が嫌ではないし、むしろ気に入っている。だからいいんだ」
「とはいえ、お金がなくて食べ物にまで困るのはみじめよ。魔物の毛皮もそんなに売れないもの」
「そっか……」
彼らもまたネルヴァの言うような無産階級なのだろう。
ただし冒険者たちは命がけの仕事にきちんと矜持を持っている。
腕っぷし自慢の彼らが五十人以上も集まっているこの村で、大きな揉め事が起きていないことからそうと分かった。
「リディア、この繭はいい商品になるんだろ? なら、毛皮なんぞより割の良い素材になるかね?」
「うん、なるよ。具体的な値段はフルウィウスさんと相談してからじゃないと決められないけど。きっと冒険者の収入アップになる」
デキムスの言葉に頷けば、二人とも嬉しそうだ。
「繭の話は仲間内でもう広まってるわ。期待している人も多いから、よろしくね」
「できるだけきちんとした額になるよう、フルウィウスさんにお願いするね。……あ、そろそろ繭の糸がなくなりそう」
「んじゃ一個足すか」
繭三個分の糸を撚り合わせるのが一番いいみたいで、今はその数で試行錯誤している。
ハンドルを回すスピードと鍋をかき混ぜるタイミングも重要だと分かってきた。
また鍋のお湯の温度も大事で、ほどよい温度であれば糸のベタつき成分がほどほどに溶け出す。これは冷めるとまた固まって接着剤のようになり、糸のよりを助けてくれると判明した。
石鹸水の濃度もあれこれとテストして、ベストと思われるものを手探りで探していく。
繊維鑑定のスキルは品質の足りない部分を教えてくれるので、補うように工夫していける。使えないと評判の下位鑑定だが、私にとってはなくてはならないものになっていた。
羊毛はユピテルで長く愛用されている繊維で、知識と技術の蓄積があった。
だけど絹はこの国の誰も知らない新しい素材。試しながら進んでいく必要がある。
糸の精錬だって、タンパク質を除去した後に糸の状態で染めるのがいいのか、それとも布として織り上がった後に染めた方がいいのか。分からないことだらけだ。
生糸と格闘することしばし。ふと思い出した。
「そういえばデキムス。魔物の肉ってちゃんと土に還るの?」
鍋から上げたサナギを横目に聞いてみると、こんな答えだった。
「還るんじゃね? 毛皮を剥ぎ取る時はダンジョン内に残骸を放置していくが、しばらくすると消えている。他の魔物が食ったのか土に還ったのか知らんが、死体処理という意味では問題ないだろうよ」
「ふーん」
魔物は魔力が濃い生き物だというし、何とも不思議だね。




