47:従魔契約
『よーし、リディア。じゃあさっそく契約してしまおうね』
クロステルが嬉しそうに近づいてきて、一番前の足でちょんと私の頭に触れた。
『原初の怪物アラクネの息子、クロステルが誓う。このリディアを主とした従魔契約を結ぶことを。契約はリディアが死ぬまで有効であり、その間俺は彼女に従う。代償は死後の死体、それを喰らう権利。リディアはこの契約を受け入れるか?』
「……受け入れます」
『契約成立だ』
言葉と同時にクロステルの体が光に包まれた。輪郭が溶けるように小さくなる。
光が収まった後には、白い髪に赤い目をした少年が立っていた。年の頃は私より少し年上の十二歳くらいに見える。
服はちゃんとユピテル風のチュニカで、革のサンダルも履いている。
とてもきれいな顔をしているが、赤い目がやはり不気味だった。
そして同時に、私に魔力が流れ込んでくるのを感じた。アラクネほどではないが上質な魔力。
彼もまた糸の紡ぎ手であり織手なのだ。
「クロステルって子どもだったの?」
「契約の第一声がそれ? 失礼な、とっくに成体だとも。お前に合わせただけだよ」
ほーん? 変身するのだから年格好も自由自在というところか。
『では、クロステルよ。まずはアテナの不在を確かめよ。その後はお前とリディアの心の赴くまま、好きに生きるが良い』
「かしこまりました、母上。母上からそのような言葉をかけてもらって、嬉しいです」
『ここ数百年、いや千年以上か。何も親らしいことはしてやれなかったのでな……』
蜘蛛だから表情はよく分からないけど、アラクネは悔いているようだった。
クロステルはさらりと笑う。
「気にする必要はありません。俺はもう大人ですし、こんなに良い機会をいただけたのだから。必ずまた戻ってきますよ」
『うむ。頼んだ』
「じゃあ行こうか、リディア」
「うん。でもどうやってダンジョンを登るの?」
「俺は蜘蛛だよ、こうするに決まってる」
彼が上に向かって手をかざすと、シュルリと音を立てて糸が放たれた。糸はずいぶん上の方にくっついて固定される。
おお、スパイ◯ーマンじゃん。
この場所は天井がある部分以外は縦穴になっていた。上を見上げても果てが見えないくらいの深さだった。
「つかまっていてね」
クロステルは私を軽々と抱き上げると、糸を操って上昇を始めた。
お姫様抱っこ……ではなく、俵担ぎみたいな情緒のない格好だった。
下を見るとアラクネは既に遠くなっている。
見上げる彼女に向かって手を振ると、足の一本をフリフリして応えてくれた。
クロステルはとても素早く上昇を続けている。
それでもダンジョンは深くて、すぐには出口が見えてこなかった。
「思うんだけど、クロステルの正体は伏せておいた方がいいよね」
その時間を利用して、私は考えを述べた。
「強力な魔物が人に化けてダンジョンから出てきたと知られたら、大騒ぎになるでしょ。それだと困るよね?」
「そうだね。俺としてはただの人間のふりをしながら、リディアが死ぬのを待ちたいな」
おい言い方! 天寿を全うできるよう見守ってくれるって意味だろうが、どうもズレている。
「私、ダンジョンは友だちと護衛と一緒に来たの。その人たちと合流したら、クロステルが魔物から助けてくれたって言うつもり。口裏合わせてね」
「分かった。お前を襲ったジャイアントスパイダーを、俺が撃退したことにしておこう」
ティトスや他の人たちは無事だろうか。デキムスとカリオラがいるし、大丈夫だとは思うが。
あれ、そういえば。
「ジャイアントスパイダーに襲われたって知ってた?」
「もちろん。このダンジョンの魔物は全て母上の支配下にある。特に蜘蛛の魔物は直系の眷属だ。彼らが見聞きしたことは全て知っているよ」
「あのよく育ったジャイアントスパイダー、どうなったの?」
「お前に燃やされかけて、命からがら下の階層に逃げ帰った。あいつは本来十二階層に住んでいたんだが、リディアの美味しそうな魔力に釣られて出てきてしまったと言っていた」
何だと! すっげーはた迷惑なんですけど!
「噂をすれば、ほら」
縦穴の途中に横穴が開いていて、そこから一匹のデカい蜘蛛が顔をのぞかせていた。あの縞模様には見覚えがある。
蜘蛛は恐縮したように手足を縮めて「ごめーん」みたいな雰囲気を出している。
クロステルと契約したおかげだろう、何となく気持ちが伝わってきた。
「階層の移動はルール違反だが、まあ許してやって」
「私、死にかけたんだけど」
「それを言うならあいつもそうだから。燃えて死にかけた」
そうだけどさぁ! 襲ってきたのが向こうで私は反撃しただけだっての。
クロステルは理性的なように見えて、やっぱ魔物だわ。
「……今度再会したら、糸を搾り取る」
「あはは。そりゃ大変だ」
私たちはさらに縦穴を登る。上から明るい光が差し込んできた。
「地上はいつぶりだろうか。感慨深いな……」
クロステルが小さく呟いた。
そうして私たちはダンジョンを脱出した。
皆とはぐれてからそんなに時間は経過していないと思っていたのだが、実は二日が経っていたらしい。
アラクネのいた場所は時間の流れが違うのかもしれない。
ティトスたちは既にダンジョンから帰還していて、もう一度私を探しに入ろうとするところだった。
「リディア!」
ティトスが泣きそうな顔で抱きついてくる。
「リディア、もう駄目かと思った! 炎が見えたのにいくら探してもいなくて」
「心配かけてごめんね。すごく大きいジャイアントスパイダーに襲われて、火の魔石で逃げ出したんだけど、道に迷ってしまって。また襲われかけた時に、この人が助けてくれたの」
「と、いうわけさ」
クロステルが頷くが、全員が疑惑の視線を送っている。
彼の見た目は十二歳程度の子どもに過ぎない。たった一人でダンジョンに潜って、しかも手強い魔物を退けたと言っても信じられないだろう。
言い訳をいろいろ考えたが、結局思いつかなくてゴリ押しすることにした。
「この人、何だかよくわかんないけどすっごく強くて! 巨大なジャイアントスパイダーをどかーんって! ばしーんって!」
すごく苦しい感じであったが、誰もまさか魔物が化けているとは思わない。
疑いながらも「そういうことなら」と受け入れてくれた。
「クロステルさん、リディアを助けてくれてありがとう。今は何も持っていないけど、首都に帰ったらお礼をしたい」
ティトスが言うけれど、クロステルは首を振った。
「いや、俺はこれからグラエキアに行きたいんだ。リディアを助けたのも成り行きだし、別に礼はいらないよ。まあそのうち首都にも行くから、その時は世話になろうかな」
「そうですか……。なら、連絡を待ってます」
ティトスがフルウィウスの家の住所を書いた紙片を手渡した。クロステルはちらりと見て笑っている。
彼のグラエキア行きは、アテナ女神の都市国家の現状を確認するためだ。それが終わったら私に合流する予定でいる。
従魔契約があれば主人の居所が分かるらしい。だから住所は不要なんだけど、正直に言うわけにもいかない。
いずれティトスには話したいと思っているが、今は他の人もいるから。
クロステルはすぐにグラエキアに向かって発ち、私たちはダンジョン前の宿屋に泊まって疲れを癒やした。
とんでもない予想外のことが起きてしまったが、私の初ダンジョンはこうして幕を閉じたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
これにてダンジョン編は終了です。
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