46:彼女の言い分
しょんぼりとしたアラクネが気の毒で、私は彼女の頭をぽんぽんとしようとして近づいた。否、近づこうとした。
「へぶっ」
しかし私は超上質な蜘蛛糸でぐるぐる巻きの簀巻き状態。まともに歩けるはずもなく、一歩踏み出そうとしたところですっ転んだ。
『何をやっているのじゃ、お前は』
アラクネが呆れた声を出す。それからシュルっと糸を操って、私を吊り下げた。
ぷらぷらと宙で揺れる私を赤い瞳が見つめる。
『うん? 何じゃお前、その魂は。この世のものではないな』
「え。分かるんですか」
『まあな、わらわとて原初の怪物などと呼ばれる身じゃ。神ほどではなくとも相応の力はある。特にお前のような織物を生業とする者は、わらわにとっても近しい者』
ぷらーんぷらーん。
振り子のように揺らされて、魔力酔いが物理的な酔いに変わりそうだ。うむ、気持ち悪い。最悪リバースしそうだからやめていただきたい。
『異世界の魂。そしてそのスキル。なるほどなぁ……』
アラクネは一人で納得したように頷いている。とても大きな頭なので、上下するだけで蜘蛛の巣が揺れる。
それから彼女は少し上を向いて声を上げた。
『クロステル! クロステルはおるか』
『はい、母上。ここにおりますよ』
涼し気な声が響いて、私の頭の上に影が生まれた。
上を見上げると、これまた巨大な白蜘蛛がするすると天井から降りてくるところだった。
新しい白蜘蛛はアラクネに比べれば小型だが、それでも軽く十メートル以上はある。二十メートルあるかもしれない。ジャイアントスパイダーなどとは比べ物にならない。
私がぽかんとしていると、クロステルと呼ばれた白蜘蛛は母親のそばに降り立った。
『母上、母上が正気だなんて珍しいですね。五百年ぶりくらいじゃないですか? いつもは女神への憎しみで狂っているのに』
『うるさいぞ。……そこの人間の小娘が、憎いアテナはもういないと言うのだ。本当かどうか確かめたい』
『その子の言葉、母上に通じたんですか?』
クロステルが首を傾げている。
『憎しみに狂った原初の怪物相手に、よくもまあ会話を成立させたね。ちょっと信じらんない。俺ですら何を言っても無駄だったのに』
『その娘の魂をよく見てみろ。スキルもだ』
『ははぁ……なるほど』
クロステルは合点がいったように頷いた。
『これはまた珍しい魂ですね。スキルも我らに近しいもので、なかなか見事だ』
『そうであろう。その娘はわらわの魔力と魂に触れ、その上で正気を保って言葉をかけてきた。並のものにできる芸当ではない』
そうなのか。酔っ払った勢いでうんちく垂れただけだったのだが。
私はぷらぷらと揺れながら蜘蛛親子の会話を聞いていた。
アラクネが続ける。
『なのでクロステル。お前はこの娘とともに地上へ行って、アテナの不在を確かめてくるように。また、従魔契約を結んでこの娘の成長を見届けよ』
「えっ、何ですか? 従魔契約?」
自分に関係ありそうだったので口を挟んでみる。
アラクネはギロリと私を睨んだ。
『お前が嘘をついているとは言わんが、わらわとしては確かめないではいられんのだ。我ら魔物はダンジョンから出られないが、クロステルのような強力な魔物が地上の生き物と従魔契約を結べば、その限りではない。わらわはダンジョンの主であるゆえに身動きが取れぬ。疾く行ってこい』
『了解ですよ、母上。俺もダンジョンから出られる機会があって嬉しいし』
「成長を見届けるっていうのは?」
『お前のその希少な魂と糸に関するスキル、魔力。そのままにしておくにはもったいない。従魔契約の代償としてクロステルに喰らわせる』
「えっ! 嫌なんですけど!」
簀巻き状態の私はジタバタと暴れた。まったくの無駄だったが、人の命を勝手に決めないでほしい。
アラクネはため息をついた。大きな息で美しい蜘蛛の巣がふるりと揺れる。
『案ずるな、食うのは今ではない。お前が長く生きて自然に人生の終わりを迎えた後だ』
「へ? それって年取ってお婆さんになった後の死体を食べるってことですか? 魂なのに死体でいいの?」
『別に魂を喰らおうと言うわけではないぞ。魂などという不確かなものは、我らとて口に入れようがないからな。だが魔力は違う。スキルとはすなわち魔力であり、魔力は死んだ後もしばらくは体に残る。魔力であれば肉体のように衰えず、むしろ死の直後こそが最も高まるだろう。それを体ごともらう。悪くない話であろう?』
「う、うーん?」
どうなのそれ?
そりゃ確かに死んだ後であれば食べられても苦しくないし、いいっちゃいいのかもしれない。あんまり気分はよくないけど……。
『従魔契約があれば、俺はお前の力になるよ』
クロステルが言う。
『裏切らないし、もちろん傷つけない。言いつけは守る。そういう契約だからね。長生きしてくれた方が魔力が増すから、なるべく天寿で死ぬように危険から守るさ。自分で言うのも何だが、俺は母上の次に強い魔物だ。つまりここら一帯じゃ最強っていうこと』
なんかすごい売り込んでくる。前世の新聞契約みたいだ。
今どき新聞なんていらないって言っても、洗剤つけるとかサービスするとかしつこかったっけ。
「騙そうとしてません? 実はすごいデメリットがあるとか」
『お前なぁ……。お前と話しているとどうにも調子が狂うわ』
セリフとは反対にアラクネはどこか楽しそうだった。
『死体をどう扱おうが、お前の人生が終わった後の話だ。人間は埋葬をしたがるが、野垂れ死にしたり戦場で野ざらしになるなど珍しい話でもなかろ。そのまま土に還るかクロステルの腹に収まって糧になるかの違いでしかない』
「はあ、まぁそうかな」
『それより俺と契約すれば、お得がいっぱいだよ!』
「すごいうさんくさい」
どこぞの魔法少女ものじゃあるまいし、契約って怖い。
クロステルはくすくすと笑う。
『いいね、その慎重さ。俺の主人になるんだもの、そのくらいじゃなきゃ。でもね、リディア。よく考えてみなよ。お前は交渉できる立場じゃないんだ。今すぐ食われてもおかしくないのに、その幸運はどう思ってる?』
「なんで名前分かったの?」
『突っ込むとこ、そこ? そりゃあ俺たちは魂を見るんだもの。名前くらい分かるさ』
そういうものか。
『クロステル。あまり脅すな。わらわの目的にこの娘が必要であり、交渉するのは我らとて同じ。で、どうするリディア。従魔契約については今しがた語った以上のものはない。それは我が織手の腕に誓おう。受け入れてくれるか?』
「嫌だと言ったらどうなりますか?」
『説得、をするしかないな』
だいぶ嫌な響きだった。彼女らに私が必要だとしても、もっとひどく脅すとか何なら拷問するとか、やりようはいくらでもある。
というか少し前からぷらーんぷらーんの速度が上がってきている。だいぶ気持ち悪い。やめていただきたい。
「……分かりました」
選択肢がないと悟って、私は吐き気(精神的じゃなく普通に物理的)をこらえながら頷いた。
「契約というのを受け入れます」




