43:デカい蛾
そいつとの邂逅は四階層のことだった。
「ティトス。明かりを壁際に移動させてくれ」
デキムスが緊張した声で言う。荷物袋から布切れを取り出して三角に折り、頭の後ろで結んだ。
まるでマスクのようだ。カリオラも続く。
「みんな、わたしたちと同じようにして。この先は毒鱗粉の巨大蛾が出るの。鱗粉を吸い込むと涙とくしゃみが止まらなくなるから、気を付けて」
「蛾どもは光に集まってくる。いつもなら松明を放り投げるんだが、今はティトスがいるからな。ティトス、蛾が来たら俺の言う方向に光を動かしてくれ。できるか?」
「うん!」
マスクをしたティトスが頷いた。
同時に暗闇の向こう側からバタバタとはためくような音が響いて、何匹ものデカい蛾が飛んできた。
羽を広げたら一メートルはありそうな超デカい蛾である。毒を持っているとかやっかいな。
胴体の部分にふさふさの毛が生えているので、あとで鑑定したい。
あーでも、ちょっと気持ち悪いかも? いやいや、こんな程度で負けてたまるか!
蛾たちは光に釣られるように壁際に飛んでいく。
壁に張り付いたところをデキムスが剣で突き刺した。
下手に羽を傷つけると鱗粉が飛び散るので、見事に胴体だけを斬っている。
と、即死しなかった蛾の一匹がもがいて鱗粉が舞った。
ちょうど近づいていた兵士が頭からかぶってしまいそうになり。
「炎よ」
カリエラの打ち出した火球が、鱗粉ごと蛾を焼き払った。
上がった炎の明るさに蛾が集まってくる。
「光よ!」
けれどティトスがそれ以上の光を生み出して、蛾たちの気をそらした。
兵士に群がりかけた蛾は光の方に飛んでいく。
「助かりました!」
その隙に兵士が距離を取った。
そうして十匹足らずの蛾を仕留めることができた。とりあえず次の蛾がやって来る気配はない。
「これ、持って帰るのは難しいよね」
「毒があるからなぁ」
マスクの下でデキムスが苦笑いしている。
「よし。じゃあせめて繊維鑑定っと」
蛾の胴体の部分に指を触れてスキルを使った。
『巨大蛾の体毛。羽と違って毒はない。油を含んでおり耐水性がある』
「ほぉ……」
レインコートとか作ったら便利そう。ただ毛はだいぶ短いので、紡いで糸にできるかどうか。利用するとしたら毛皮だろうか。
そして同時にデカい蛾の映像が脳裏に流れる。つい今しがたまで生きた本物がわらわら目の前にいたので、別に驚きはしない。
ところが。
「これって!」
デカい蛾の映像の背景に映り込んだものを見て、私は思わず叫び声を上げた。
蛾たちが飛び回る後ろに白いものが見えた。
それは間違いなく繭だった。蛾とのサイズを比べると五十センチ以上はありそうだ。
いくつもの繭がダンジョンの壁や床に糸で張り付いている。
そんな映像が確かに見えた。
「リディア、どうしたの?」
「ティトス、大変! 大発見かも」
興奮する私に他の面々も何事かと視線を向けてくる。
「デキムス、カリエラ。もう少しこの階層を探索したいの。たぶん蛾の繭がある」
「繭? 見たことねえな。この蛾は強くはないが毒がやっかいで、素材になるものもない。素通りしてたからなぁ」
「繭が何かの役に立つのかしら?」
「うん! きっとすごい糸の材料になる!」
絹糸がダンジョンで生まれるかもしれない。そう思うと興奮が止まらなかった。
もちろん絹として使えるかどうかまだ未確定だが、何となく予感があった。
この階層は下に下るための道の他に、細く入り組んだ通路がいくつもあるらしい。繭はその奥にあると思われた。
通路には巨大蛾が多く生息している。だから冒険者たちは普段はあえて足を踏み入れようとしない。
一つの通路に狙いを定め、ティトスの魔力の光で少しずつおびき寄せながら殲滅していった。
そして。
「あった! 繭!!」
飛び出しかけてデキムスに首根っこを掴まれる。
「お嬢ちゃん、もっと周囲に気を配りな。ほら、まだ蛾がいるだろ」
「あああ、ごめんなさい」
安全第一、いのちだいじにとあれほど言っていたのに。
ティトスの視線が痛い。
それからはティトスが光を操り、兵士たちが剣を振るう。今度こそ蛾は全滅した。
周りをよく見渡して、ヨシ! 気分はヘルメットをかぶった猫だ。
「繊維鑑定……」
『巨大蛾の繭。しなやかで強い糸は吸湿性・放湿性に優れている。摩擦に強く耐久性が高い。
サナギが孵化するまではあと五日』
「……!」
明らかに糸に適した情報が流れてきて、私は思わず唾を飲んだ。
それに摩擦に強い? 耐久性が高い?
本来の絹は摩擦に弱くて繊細。それじゃあ絹の弱点を克服してるってことになる。
「耐水性。耐水性はどう?」
絹は水にも弱くて、水を吸って膨らむと乾かしても元に戻りにくい。だから水洗いが難しく、洗濯がやりにくい生地だった。
『耐水性は標準的』
おお、スキルが答えてくれた。
そして標準的ときたぞ。ということは、普通に洗濯できる程度の耐性があるということだ。
「やった。すごいものを発見した……!」
繭の糸の性能を話すと、皆が目を丸くしている。
「まさかあの蛾の繭から糸を取るなんて。思いつきもしなかったわ」
と、カリオラ。
「繭、腐るほどあるな。ただでさえ魔物はほとんど無尽蔵に生まれてくるんだ。いい狩り場じゃねえの」
素材としての価値を見出して、デキムスは満足そうに周囲を見渡している。
「蛾の養殖はできないかな? 毎回ダンジョンのここまで来るのは大変」
私の言葉にカリオラは首を横に振る。
「無理ね。魔物はダンジョンから出ると長く生きられないのよ。魔物氾濫で外に出てきた魔物も、長くても半月程度で皆死んでしまうの」
「そっか……」
まあダンジョン内で魔物は無限湧きするらしいので、資源枯渇の心配はいらないかな。
ティトスが言った。
「すごい発見があったことだし、一回帰る?」
「どうしようかな?」
周囲には繭が十個以上ある。何せ一個が五十センチはある繭なので、全部持って帰れば荷物袋がいっぱいになるだろう。
けれどこの階層に来るまではそこそこ大変だった。
今すぐ帰るのはちょっともったいないような気もする。
「繭は中央の道まで運んでおいて、もう少しだけ進んでみてもいい?」
帰還の魔法とかワープとかはないので、帰り道も地道に歩くことになる。
それなら荷物をあとで回収するとして、もう少し探索してもいいのではないか。
デキムスとカリオラは頷いた。
「構わんぜ。ティトスのおかげで蛾の被害を回避できたからな、余力がある。もう一階層行っとくか」
というわけで、繭を運んだ私たちはさらに先の階層へと足を踏み入れた。




