表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/86

32:石鹸完成


 フルウィウスの家の台所で石鹸を仕込んで、まだ数日。

 本当は一週間程度は乾燥させるところだが、ユピテル共和国は日本よりも湿気が低く気温は高い。

 早ければそれなりに固まっているのではないか。せっかくネルヴァがいる今日の機会に確かめてみることにした。


「あ! 結構いい感じ!」


 木の箱に入れられた石鹸は、まだ少し柔らかいけれどちゃんと固形になっている。

 ナイフで欠片を切り出した。


「それは何かな?」


 普段台所になど入らないのだろう、物珍しそうにあちこち見ながらネルヴァが言った。


「石鹸です。洗濯でも体を洗うのでも、しっかりと汚れを落とせる道具ですよ」


「ふむ」


 試しにかまどに落ちていた炭のかけらを拾って、自分の腕に線を引いた。

 それから水を少しつけて泡立てると、汚れがするすると落ちていく。


「なるほど……これは大したものだ」


 ネルヴァを始め、皆が目を丸くしている。


「これ、兵士さんたちのお風呂に使えませんか。清潔にしておけば病気の予防になりますから」


「…………」


 ネルヴァは真剣な目で石鹸を見つめた。


「……軍隊というものは」


 彼は言う。


「常に疫病との戦いだった。入浴の習慣がある我が国は、それでも他国よりはマシだが。兵士は病で死ぬか戦いで死ぬかと言われたものだ。――この石鹸があれば病を予防できると?」


「えっと、まあ、一般的なレベルの話ですけど」


 ネルヴァが思ったより真剣だったので、私は焦る。


「病気の人に触ったり近くにいると、移る場合がありますよね。清潔は移る確率を減らしてくれます。入浴だけでもある程度効果はありますが、石鹸があればしっかり汚れと病のもとを洗い流せるので。お風呂だけでなく、料理の際や食事の前に手を洗うのも大事ですよ」


 手洗いうがいは感染症予防の基本である。

 それにしても戦死と比べるほど病死が多いのか。

 確かに衛生観念のない古代世界で、軍のように人が密集して過ごせばそうなるのだろう。しかも戦闘があって怪我をする。傷口から感染する。当然の結果か。


「この石鹸はどうやって作る?」


「油、オリーブオイルや他の油でも何でもいいので油と、オカヒジキの灰を混ぜて作ります。海藻の灰でもいいかもしれません」


「普通の植物の灰では駄目なのか?」


「試してみたら駄目でした」


「……どちらにしても、それほど高価なものではないな。これは保存が効くのか?」


「はい。今はまだ乾燥が足りなくて柔らかいですが、しっかり乾燥させれば数年以上は保ちますよ。小さく切り分ければ持ち運びも便利です」


 ネルヴァは頷いてフルウィウスを見た。


「フルウィウス。すぐに石鹸の大量生産の準備をするように。軍制改革が成った暁には軍の備品として採用するが、それ以前に市民に浸透させたい。ある程度数が揃ったら、フェリクスの名で主だった浴場へ配布を」


「はい、お任せください」


 入浴文化が根づいているユピテルでは、市内に公衆浴場(テルマエ)がいくつもある。

 まだ数はそんなに多くなくて、主に富裕層の使うものだけど。いずれ上水道を増設したら増やす予定だと聞いたことがあった。そうなれば平民たちも通うようになるだろう。


「リディア。きみは本当に驚くべき女性だな」


 ネルヴァが言う。どこか眩しいものを見る目だった。

 本当は気後れしたけど、思い直した。

 ネルヴァは私を同志と言ってくれた。それなら堂々と受け取らないと。


「ありがとうございます。また何か思いついたら、ご連絡しますね」


 ネルヴァは満足そうに頷いた。







 ネルヴァを見送ってから、私とティトスは羊毛工房へ戻った。

 作りかけの衣装を仕上げなければならない。

 裁断が終わった布のパーツを取り出して、順番に縫い合わせていく。


「すごい。それとそれをそんなふうに縫うんだね」


「まあね。ほら、縫い合わせる布の角度が違うでしょ? これで立体になるの」


 ティトスは縫い物は未経験なので、ちょっとした雑用を手伝ってもらった。

 合間に針と糸を手に取って、不慣れながらも試し縫いをしている。


 まずはミミの衣装が出来上がった。

 森の木漏れ日をイメージした、明るいグリーンとイエローの色合い。

 ミニのティアードスカートはハイウエストで、ちょっぴり胸を強調した形になる。

 ふわふわのスカートは下にパニエを合わせて、たっぷりふくらませる。

 ギャザー控えめの上着はすっきりとしたシルエット。

 首元に大きめのリボンをつけて、ミミの活発な愛らしさを表現してみた。


 次にサリアの衣装だ。

 大人っぽい彼女は夜の星空をイメージ。

 ネイビーのティアードスカートは少し長めのミモレ丈、アシメントリーにして灰色の布をフリルに足した。ところどころに白糸で星の刺繍を施す。

 上着は思い切って前世のブラウスのようにボタンをつける。

 そのおかげでかなり細身の見た目になったので、ビスチェを重ねてアクセントに。

 ミミとおそろいのリボンを、サリアのイメージを壊さないよう細い繊細な形で結ぶ。

 袖は半袖のパフスリーブだ。


 ボタンはユピテル共和国では見かけたことがない。

 こちらも木工職人に頼んでわざわざ作った。

 ブラウスの着方、ボタンの締め方は説明しないといけないね。


 この衣装に、エラトの時と同じように造花の花冠やアクセサリーを合わせる。

 二人分の衣装を手縫いして小物や刺繍もやるとなると、さすがに何日もかかってしまった。


 けれど楽しい時間だった。

 前世と違ってミシンがないから、作業はとてもゆっくりになる。ロックミシンもないので、端の始末も手間取ってしまう。

 でもそのゆるやかさが、かえって想像力をかき立ててくれた。少しずつ仕上がっていく衣装が愛おしくて、針を動かす手が止まらない。 

 指を滑る布。返し縫いで縫われていく糸。

 その感触の全てが幸せで、心から楽しいと思える。


 そして出来上がった時の達成感は格別だった。

 思わずティトスと手を握って笑い合ったよ。


 二人の衣装はエラトのものよりも革新的で、冒険したと言えるだろう。

 さて、これが新人二人に、そしてお客さんに受け入れてもらえるだろうか……?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ