29:アクシデント
エラトの店は今日も満員御礼だ。
満席なだけではなく店の外にも列が出来ている。
ステージごとに客席の入れ替えをしているけれど、そうでもしないとなかなかお客さんは席を立たない。
エラトや他の新人二人に声をかけておしゃべりを楽しんだり、ゆっくり料理を食べたり。
飲食店である以上は回転率が大事なのだが、「特別な時間を過ごす」をコンセプトにしたので急かすのはできない。なかなかジレンマである。
少しでも席不足を解消するべく屋外のテラス席を増やしたのだが、焼け石に水状態だった。
新人のミミとサリアはまだ衣装が出来上がっていないので、普段着でウェイトレス業だけをやっている。
エラトが引っ張りだこなのもあって、彼女たちも既になかなかの人気があるようだ。
忙しく立ち働くエラトには視線だけで挨拶して、おじさんとおばさんに声をかけた。
「こんばんは。今日もお客さんすごいですね」
「まったくだ。昔より料理の量を倍にしてるんだが、それでも毎日売切れやがる」
おじさんは忙しくも満更ではなさそう。
「この調子で行けば、いつか二号店ができるかもね」
おばさんが冗談めかして言ったが、あながちそれも夢ではないと思う。
と、エラトが声を張り上げた。
「それでは皆さん、お待ちかね。ニンフの踊りと歌の時間です!」
「待ってました!」
「エラトちゃーん! 今日も頑張って!」
客席から大きな歓声が上がる。
最近は女性や子連れ客も増えて和やかな雰囲気になっている。
とはいえ一番熱心に応援するのはやはり男性客。
今もステージ近くまで椅子を引っ張ってこようとして、護衛に止められていた。
ティトスが操る光はますます冴えて、深い森の緑や清冽な泉の青の光が店内を踊った。
初めてステージを見るらしい男の子がぽかんとした顔で光を見ている。
神秘的な光の中で歌い踊るエラトの衣装がひるがえる。
常連ファンの男性たちは興奮した面持ちで手拍子を打っていた。
やがてステージが終わると、店内は万雷の拍手に包まれた。
落ち着いた頃を見計らって客席の入れ替えをするが、興奮が冷めずに護衛に食って掛かる人までいる。追い出されていたが、ちょっと心配になった。
「エラトお姉ちゃん。あの人、もしかして」
「……うん。前に店の前で待ち伏せしてた人」
忙しさの合間を縫って話しかければ、予想通りの答えが帰ってきた。
お客さんの目があるので、店の裏口の方に移動して話をする。
「いっそ出禁にしちゃえば?」
「でも熱心に応援してくれているわけだし……」
表情を曇らせたエラトの体にふと、影がかかった。
振り仰げば二十代くらいの男性が立っていた。――ついさっき追い出されたあの人だ!
「オレを出禁にするだと? こんなにエラトちゃんが好きなのに、クソガキ、何言ってやがるんだ!」
私を睨む男の前にエラトが割って入った。
「違うの! この子はこのお店の立案者だから、あたしを心配してくれただけ!」
「優しいエラトちゃんの邪魔をしたな!? クソガキめ、立場を分からせてやる!」
「やめて!」
エラトが男を止めようと腕を取って、すぐに振り払われた。勢い余って壁に叩きつけられる。
ここは店の裏口のごく細い路地。
表の店が賑やかなだけに私たちに誰も気づいてくれない。
「クソガキ、クソガキめ。オレはこんなにエラトちゃんが好きで、全財産を使って店に通っているのに。ガキが邪魔しやがって」
ぶつぶつと言いながら男がこちらを見る。身なりは薄汚れていて貧しいのだと感じられた。
そして――理性を失ってぎらつく目にぞっとした。ああいう目には見覚えがある。
前世のイベント会場で、凶器を振り回していた暴漢の姿が脳裏に蘇る。
(怖い……!)
脂汗が背中を伝って、ガクガクと膝が震えた。
助けを呼ばなきゃと思うのに、声を出すのさえできない。
「誰か助けて!」
エラトが叫びながらもう一度男にしがみついた。
「エラトちゃん、どうして邪魔するんだ。このクソガキに分からせてやるだけだよ」
「駄目! リディアちゃんは私の大事な子なの。傷つけさせるものですか!」
「何だよ。エラトちゃんまでオレをいらないと言うのかよ。……ふざけんな!!」
男は急に語気を荒げてエラトを乱暴に振り払った。
尻もちをついたエラトに向かって片足を振り上げる。
踏みつけるつもりだ。
男の力で細い少女を踏みつけたら、怪我では済まないかもしれないのに。
それなのに私は動けない。全身が恐怖ですくんでしまっている。
ハンマーを振りかぶる暴漢の姿がフラッシュバックする。
男の動きがスローモーションのように目に映った。
どんっ!
裏口から飛び出てきた誰かが男に体当たりをした。
片足を上げていた男はよろめいて、壁によりかかる。
「リディア、エラトさん! 逃げて!」
「ティトス!」
彼の名前を呼んだら、呪縛が解けるようだった。まるでエネルギーを注ぎ込まれたかのように、体も心も動き始める。
倒れたエラトの手を引っ張って起こし、店の中に駆け込む。
すれ違いざまに護衛が出ていって、男を取り押さえた。
護衛は壁に男を押し付け、後ろ手に縄で縛った。
「なんで! なんでだよ、エラトちゃん! オレはきみが好きなのに!」
男はまだ喚いていたが、もう身動きが取れない。
護衛はティトスと何か話して、男をどこかに連れて行った。
「あいつ、どうするの?」
「とりあえず近くの夜警詰め所に連れて行って、拘束してもらう。別の護衛を寄越すよう家に言っておいたよ」
夜警は警察組織のようなもの。前世の警察ほどしっかりと取り締まってくれるわけではないが、傷害や殺人は彼らの管轄だ。
ティトスは青い顔をしていた。大人しい彼が勇気を振り絞って行動してくれたのだとよく分かった。
「エラトお姉ちゃん、怪我はない?」
「うん、大丈夫。転んだだけだから」
手足を少し擦りむいたようだが、目立った怪我はなさそうだ。ほっと胸をなでおろす。
「……ごめんね、お姉ちゃん。私、何もできなかった」
「当たり前でしょ。あんなに大きな男の人相手に、子どものリディアが何をできるっていうのよ」
「でもエラトお姉ちゃんとティトスは立ち向かったし、助けを呼ぶのだってできたはずだった。それなのに……」
悔しさと恐怖で涙がにじむ。
そんな私の背中をエラトは撫でてくれた。自分だって怖い思いと痛い思いをしたのに。
「大丈夫、大丈夫だから! ――父さん、今日はもう店を閉めてもらっていいかしら」
騒ぎを聞きつけてやってきたおじさんとおばさんは、うなずいた。
「あぁ、もちろんだ」
「あたしからお客さんに説明するね」
「エラト、できる?」
「うん、平気」
エラトは私をティトスに渡して、店内に戻っていく。
「聞いてください。お客さんの一人が暴れてあたしを突き飛ばして、あたしの大事な友だちを襲おうとしました。あたしも友だちもショックを受けてしまって、今日はニンフを続けられそうにありません。とても申し訳ないけれど、ここで閉店します。どうかまた日を改めて、店を楽しみに来てくださいね」
「なんだって? エラトちゃん、怪我はないのか」
「そんな馬鹿なことをしたやつがいるとは」
お客の声は同情的だ。擦り傷を作って衣装が乱れたエラトを目の当たりにしたからだろう。
客たちはエラトに労りの声を掛けながら、店を出ていった。




