26:フルウィウスの持論
フルウィウスは早速ガラス工房に人をやって、オカヒジキの灰を買ってきてくれた。
私は再度石鹸作りにトライする。
先ほどと同じように温めた油に灰を入れてかき混ぜる。さっきはかき混ぜ方も足りなかったかもしれないので、しっかりと混ぜた。
するとだんだん油の粘度があがって、マヨネーズくらいの硬さになってきた。
これだけならまだドロドロ石鹸と大差ないが、固まり方がなかなか早い。
「箱に入れて乾燥させましょう」
オカヒジキの灰を待っている間、前世の記憶を必死に引っ張り出した。
風通しのいい場所で一週間から一ヶ月ほど乾燥させると、しっかりと固まるはずだ。
フルウィウスとティトスは半信半疑の様子だったが、とりあえず一週間後に様子を見に来ることとする。
「リディア、機織り機の改良は順調?」
台所から応接間に戻ってきて、ティトスに聞かれた。
「アイディアは思いついたんだけど、本当に改良になるか不安になってきちゃった」
実は私は機織り自体はやったことがない。いつもお母さんの作業を眺めているだけだ。
大事な糸を無駄にできないので、機織りは大人になってからじゃないとやらせてもらえない。
「あの糸車だが」
フルウィウスが言う。
「ネルヴァ様が目を留めるだけあって、非常に画期的だった。ただ、職人の評判はあまり良くない」
「え?」
私は思わず彼を見る。
糸車が届いた日、羊毛工房の職人たちは面白がって触っていたのに。
「気づいていなかったのか? 私や私の使いの者が工房を訪れても、あの糸車を使っているのはお前の母のセウェラだけだ。他の職人は今まで通りスピンドルを使っている」
「そんな……」
確かにここしばらくの私は羊毛工房を不在がちにしていた。あまり様子を見ていなかった。
「どうしてでしょうか。あの人たちは、最初は糸車を褒めてくれたのに」
「ごく最初のうちは物珍しさがあったのだろう。その後は手に馴染んだ道具の方が使いやすいとのことだったが……反発とやっかみだろうな」
フルウィウスは肩をすくめた。ティトスが眉を寄せる。
「でも、リディアの糸車は素早くいい糸を紡げるのに。自分たちも使った方がずっと便利なのに。それなのにつまらない気持ちでいるの?」
「ティトス。人間というのはそういうものだ」
フルウィウスは息を吐いた。
「特に職人のように自分の経験に自信がある者は、新しい技術を受け入れようとしない。新しく作る大規模工房は、新しい技術を結集した事業。むしろ経験の薄い平民や奴隷を雇うべきかもしれんな」
「新しい事業……。ネルヴァ様が言っていた、軍制改革ですね」
「ああ。ネルヴァ様は慎重なお方だ。あらゆる可能性を吟味して、今の段階で軍制改革であれば法案が通ると判断した。他にもさまざまな改革案を考えておられるが、そのほとんどは見通しが難しいらしい。人は既得権益を奪われるのを何よりも嫌う。元老院に一丸となって反対されれば、さしものネルヴァ様とて最悪命が危ない」
「そんな」
そこまでのことはないと言いたいけれど、前世の歴史を思い出せば、急進的な改革を打ち出したリーダーが暗殺されたり暴動に巻き込まれて死んだ例は枚挙にいとまがない。
私がうつむいたのを見て、ティトスがさらに言う。
「糸車は新しい道具だけど、職人たちのためになるものじゃないか。既得権益とか関係ないよ。どうして受け入れられないんだろう?」
「それこそ彼らの利益を侵しているからだよ、ティトス」
父の視線を受けてティトスはぐっと口を引き結んだ。
「それは、どうして?」
「職人は自らの腕前で金を稼いでいる。新しい道具が登場して、それを使えばリディアのように未熟な腕前であっても職人と同等の糸や布を作れるとなったら、彼らはどう思う? 自分たちの領域が侵されたと感じるだろう。まさに既得権益の侵害だ」
「…………」
私とティトスは黙らざるをえなかった。
そんな中でお母さんだけが糸車を使っている。損得勘定やプライドを超えて私のために働いてくれたのだと思った。
「どうしたらいいでしょうか……」
私の絞り出すような声に、フルウィウスは首を振った。
「どうにもならないだろう。世間の多くが新しい道具を使うようになって、切羽詰まるまで追い詰められるか、私のような雇い主が強制的に命令しない限りは状況は変わらない。
私としては内心に不満を抱えた人間を雇うのは不本意だ。仕事のモチベーションに差が出て、品質さえ影響されかねんからな。
素直に新技術を受け入れたセウェラはいい。だがそれ以外の者は新事業に不要だ。新しく職人を雇うなり奴隷を買うなりする予定でいる」
「そんな! それじゃあ今の羊毛工房の人はどうなるんですか」
私の必死な声に彼は一瞬だけ考えてから言った。
「新事業に不要なだけで、今まで通り働いてもらうとも。お前が心配する必要はない」
……本当だろうか。
フルウィウスはお金と効率を重んじる商人のはず。
糸車や新しい機織り機があれば熟練の職人の必要が薄いとなれば、賃金が高額な彼らを解雇してもっと安い人手を雇うのでは。
そんな疑念が湧いてきてどうしても振り払えなかった。
私が何の考えもなしに糸車を作ったばかりに、こんな状況を呼び込んでしまったのだ。




