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21:彼の考え


「その子は相応に理解しているだろう。あの斬新な店も服もそうだが、直接会って確信した。リディアは非常に賢い」


「そんなことは……」


 ここへ来て私に警戒心が芽生える。この人は私に何を聞かせて何をさせたいんだろう。

 無知な子どもを装った方がいいだろうか?


「富が一箇所に集中した結果、中産階級の没落が起きている。我が国の中産階級とは市民兵の中核であり、文字通りの屋台骨。彼らの弱体化はユピテルの弱体に直結するのだ」


 ユピテル共和国の軍隊は全て徴兵制の市民兵だ。

 戦争が起きたら都度市民から兵を集めて戦場へ送る。

 常設軍はなく、戦争が終われば解散になる。

 徴兵されている間は一応のお給料が出るけれど、額は多くない。残された家族は大黒柱を失った状態で暮らさなくてはならない。

 だから徴兵の対象はある程度の資産を持つ中産階級以上に限られていた。例えばそれなりの土地と数人の奴隷を持つ農家などだ。

 父親が日々の日雇い労働をこなさなければ暮らせないような貧しい家庭は、徴兵を免除されている。


「この二十年で中産階級が目に見えて減り、兵士の質が落ちた。元老院は徴兵対象の資産を引き下げたが、それではますます質の低下を招くだけだ」


 ネルヴァは表情を消したまま続ける。


「先だっての西の属州の反乱では、ユピテル兵の弱体がはっきりと表れた。原住民の反乱に必要以上に手を焼き、鎮圧まで長い時間がかかった。さして規模が大きいわけでも有能な将軍がいたわけでもない相手にすらこれだ。今後火種がくすぶれば、国自体が揺らぎかねん」


「それはさすがに、心配のしすぎでは」


 思わず言ってしまった。

 だってユピテルはとても大きい国で、首都だけで人口は何十万人もいる。他の都市は多くて一万人とか、何なら国でも数万人程度なのに。

 ユピテル半島だけでなく内海のかなりの面積を国土にして、誰が見たって大国だ。


「いや。あり得ることだ。俺は西の属州の反乱に出陣して、弱兵ぶりを目の当たりにした。もはや猶予はない」


 ネルヴァは首を振る。


「だからこそ今のうちに手を打たねばならん。俺はまだ政界に出られないから、父を通じて元老院に話を通してもらっている最中だ。……そしてリディアに頼みたい仕事は、この政策に関係する」


 私はごくりと生唾を飲み込んだ。

 正直、いきなり大きな政治の話になって頭がついていけていない。


「俺は軍制改革を考えている。市民からの徴兵制度は廃止し、志願制の職業軍人を作る」


「ネルヴァ様!」


 フルウィウスの声が響いた。







 軍政改革。

 もしそれが実現するのならば、相当に大きな動きと言えるだろう。

 フルウィウスが焦ったように続ける。いつも大きく構えている彼のこんな態度は初めて見た。ティトスも驚いている。


「ネルヴァ様、その計画は未だ途上です。平民の小娘ごときにしていい話ではないでしょう! 下手に話が漏れればあなたとお父上の立場がどうなるか……」


「だからこそだ。彼女が率先して取り組むには、背景の事情を理解してもらう他にない」


 ネルヴァは今度こそ私を正面から見た。


「リディア。きみは先ほど「どうする」と俺に問うたね。これが答えだ。軍制改革で職業としての兵士を作り、貧困層を吸収する。無論、今の社会問題はそれだけでは足りない。農地改革や植民地のあり方も考えなければならない。

 しかしそれらの問題は既得権益層、つまり元老院の反発があまりに大きいと予想される。人間誰しも手にした富と権力は手放したくないものだからね。

 だからこそ第一歩として軍制に手を入れる。ユピテル軍の強化は喫緊の課題であり、放置すれば国が揺らぐ。足元が危ないとなれば、元老院とて対応はせざるを得ないさ。だからこの法案は通る見込みが十分にあると俺は考えている。

 そしてリディア、きみの仕事は軍に関するものだ。きみにはあの糸車を使って、品質の良い衣服を納入してほしい」


「……!」


 私は目を見開いた。

 軍に衣服を納品するとなれば、生半可な数ではないだろう。

 私の考えを読み取ったかのように、ネルヴァは続けた。


「ユピテル軍の一個軍団は歩兵が五千、騎兵が一千、補助兵が二千を基本とする。

 今までの市民徴兵であれば一年毎の解散なり再編成が基本だった。兵士は皆が市民、それぞれに生活がある以上はあまり長くは拘束できないからね。ゆえにユピテルには常備軍はいない。

 しかしこれだけ国土が広がった以上、各地に火種はしばしばくすぶっている。かつて我が国が半島の小国だった時代は終わった。職業軍人からなる常備軍を各地に配置し、有事に備えるべきなのだ。

 リディア。きみの糸車は面白い。素早く品質のよい糸を、ひいては布を大量に生産できる。きみの布、それにきみの服。それらを新しく生まれ変わるユピテル軍の基本装備にしたいんだよ」


 あまりの話の大きさに私はポカンとしてしまった。

 一個軍団は全部で何千人? それが何個もあるんでしょ?

 大商いどころの話じゃない。

 呆然としながらも口をついて出たのは、こんな言葉だった。


「でも私は……服を作りたいんです。糸車を作ったのは、そうしないと思い通りの布が手に入らなかったからです。それに今はエラトの店で手一杯で……」


「リディア、わきまえなさい」


 フルウィウスの厳しい声が飛んだが、ネルヴァはそれを手で制した。


「だからこそだ。服を作りたいとの情熱は、例の店の少女を見てよく感じたよ。あの服は一見すると従来のストラ(ユピテルの女性用の服)と大差ないように見えたが、ダンスの動きなどをよく観察して考えを改めた。あれは動きやすく機能的な服だ。

 ユピテル軍のあり方に手を入れる以上、可能な限りの改善を施さなければならない。服も例外ではない。糸車という新しい道具を作ったきみであれば、兵士に最も適した服も作れるのではないか?」


 エラトの服はツーピースで、スカートはふんわりとティアードになっている。

 裾に行くほどにふくらむスカートは、タイトスカートなどよりずっと動きやすい。

 ストラはドレープを寄せて幅広に作ってあるけれど、ウェストと裾が同じ幅なのは変わらない。

 だからエラトの服は今までのそれよりもずっと動きやすいはずだ。


 このネルヴァという人は大貴族のくせにわざわざエラトの店にやって来て、そんなところを見て行ったのか。

 そして自分の考えに取り入れて活かそうとしている。

 メイド喫茶と軍隊だなんて、笑っちゃうほどカテゴリー違いだ。

 けれどもその差を飛び越えて私に目をつけたこの人に、平民の子ども相手だからと手を抜くことのないネルヴァという人に、私はいつしか感銘を受けていた。


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