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20:ネルヴァ


 羊毛工房に戻ってミミとサリアにぴったりな衣装のデザインを考えていると、ティトスが呼びに来た。


「父さんから話があるから、家に来てほしいんだって」


「へえ? 何の話だろ」


「僕も聞いてないんだ。とにかくリディアを連れてくるようにと言われて」


 というわけで、私とティトスはフルウィウスの家まで行った。

 高級住宅街にそびえる邸宅は相変わらず立派。

 ティトスがいるのですぐに門を通過して、応接間に通された。


「リディア、来たね」


 応接間にはフルウィウスの他、青年が一人、長椅子に座っていた。年齢は二十代前半くらいだろうか。

 上質な服に身を包んだ人で気品がある。おそらく貴族だろうと私は思った。

 どこの貴族か知らないが、私に何の用だろうか。


「このかたはネルヴァ・フェリクス様だ」


 フルウィウスの紹介に応えて、青年は軽く頷いた。


 フェリクス。

 その名前を私は知っていた。

 いいや首都に住むユピテル人ならば誰もが知っているだろう。

 はるか昔にユピテルが王国として興った時代より続く、由緒正しい貴族家の名前である。

 フェリクスを含む古い貴族家は「はじまりの八家」と呼ばれて、今でも大きな権勢を振るっている。

 ちなみにはじまりの八家の一つは獣人の家系で、今でもユピテルは十人に一人か二人の割合で獣人がいる。


 そして、彼の二つだけの名前がフェリクス本家に限りなく近い立場だと教えてくれている。

 というのも、普通のユピテル人は名前が三つだからだ。

 私の名前は「リディア・フルウィウス・ノビリオル」。

 リディアがファーストネーム、個人名。

 フルウィウスは家門名と言うべき名で、フルウィウスの縁者であることを示す。私の場合はお母さんがフルウィウス家の元奴隷なので、解放奴隷になる際に元の主人の名前をもらった。

 ノビリオルは家族名。お父さんのファミリーネームを受け継いだ形になる。


 名前を二つしか持たないケースは、二通り考えられる。

 一つは平民で、縁者――家門として頼るべき相手の保護者(パトローネス)――を持たない人々。彼らは個人名と家族名だけの構成になる。

 もう一つは目の前の彼のように、家門名がイコール家族名になるケースだ。

 相続ごとに分家ができるのが当たり前の貴族なのに、家門名だけを名乗るというのは直系だということ。

 つまり彼はユピテルで指折りの大貴族直系の人だということだ。


 そんな人がどうして私と会うんだろう。

 ティトスもネルヴァの身分を察したようで、私たちはそっと目配せをした。


「そんなに緊張しなくていい」


 ネルヴァが口を開いた。少し苦笑したような声だった。


「フルウィウスからきみが新しい商売をしていると聞いて、興味を持っただけだ」


「メイド喫茶、いえ、エラトの店ですか?」


「それもある。しかし今日は服の話をしたい」


「……!」


 服だって! 私は思わず手を握りしめた。


「リディアと言ったか。きみは新しい糸紡ぎの道具を発明したそうだね」


「は、はい。糸車ですね」


「羊毛工房にあったものをネルヴァ様の家に運んで、見ていただいた」


 フルウィウスが言って、ネルヴァが頷いた。


「非常に画期的な道具だね、あれは。うちの奴隷に糸紡ぎをやらせてみたら、従来の何倍ものスピードで糸が出来上がった。しかも品質がいい」


 いつの間にそんなことしてたんだろう。

 でもよく考えてみれば、最近の私はエラトの店にかかりきりであまり羊毛工房にいなかったっけ。


「糸車とやらの製造と使用の権利をフルウィウスに買い取らせたい。その上であれを使った布を量産してほしい。いいね?」


 確認の形を取っているのは言葉だけで、それは実質的な命令だった。

 羊毛工房はフルウィウスの持ち物で、お母さんたち職人は雇われの身。私の立場も一応、見習い職人だ。

 糸車は私が勝手に作ったけれど、フルウィウスに取り上げられても文句は言えない。

 買い取ると言ってくれるだけ良心的なのかもしれない。

 でも。


「そんなにたくさん布を作って、どうするんですか」


「リディア!」


 ティトスが服の裾を引いてくるのを無視して、私は続けた。


「布はそりゃあ高価だけど、足りなくて困っているというほどではないですよね。それに私は自分の好きな服を作りたくて、そのためにいい布が必要で糸車を作りました。今はエラトの店が忙しくて、また新しい服を作るつもりなんです。私の仕事を勝手に決められても困ります」


「リディア。無礼が過ぎるぞ」


 フルウィウスが強い口調で言った。

 大商人である彼がネルヴァにかなり気を遣っている。力関係が分かる。


「構わない」


 ネルヴァは言ったが口調は冷たかった。


「きみの言う店も見に行ったよ。斬新な取り組みで興味深かった。それにあのニンフの衣装、あれも工夫が凝らされているようだ。だからこそリディアに頼みたい」


 冷たいままに妙に褒められて落ち着かない。


「……何を、ですか」


「俺は政界においては青二才以下の年齢だが、今のユピテルを憂いている。平民のきみであれば気づいているのではないか? 最近の首都は人口流入が著しく、貧富の差が拡大していると」


 急に話が変わって戸惑った。

 けれどネルヴァの言葉に心当たりはある。

 お母さんと住んでいる安アパートも人の出入りが激しくて、特に家賃の安い高層階はひどかった。

 狭い空間を切り売りするように又貸しが横行して、家主も住人を正確に把握していないのではないかと思う。

 町の治安も徐々に悪化している。

 前世の記憶を取り戻す前は漠然とした不安を感じる程度で、思い出した後は「貧困問題はいつの時代もあるんだな」などと思っていた。

 私とお母さんもどちらかといえば貧しい方に入るが、それでも生活できないほどではない。

 最近増えた人々は私たちと同じくらいか、もっと貧しい人が多いように思う。


 私は沈黙したままでいたが、心当たりがあるとネルヴァは判断したようだ。


「現状を招いた問題はいくつかあるが、最大の点を挙げるならばユピテルが覇権国家になったからだろう。我が国は二十年前に南の大国に勝利し、内海を広く制した。国土は膨張し富が築き上げられた。その結果がこれだ」


 ……分かる気がする。

 水は低い方に流れるけど、お金は高みに集まる。富める者はますます豊かになり、反対に貧しい者はますます失う。世代を経てそれは定着していく。

 前世の日本は第二次世界大戦で一度何もかも壊されて、焼け野原から復興した。

 しばらくは一億総中流なんて言ってたけど、そのうちだんだん貧富の差が出てきた。

 偏差値の高い大学の学生ほど親の年収が高いと言われていたっけ。


「ネルヴァ様。そのような話をリディアにしても……」


 フルウィウスが遠慮がちに口を挟んだ。

 まあそうだよね。十歳の、しかもろくに学もない子どもに聞かせる話ではない。

 けれどもネルヴァは首を振った。


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