02:異世界の都市
「リディア・フルウィウス・ノビリオルのスキルは……『繊維鑑定』である」
「……へ?」
ふと気がつけば、私は石造りの建物の中にいた。
目の前には初老の女性。いかめしい顔つきで奇妙な服を着ている。
そう、変な服だ。まるで私がコスプレ用に作ったみたいな、たっぷりドレープがある古代風の服。それに紐を束ねてターバンみたいに巻いている。
周囲は柱に囲まれた空間で、これまた古代の神殿のようだった。
「繊維鑑定とは……。また微妙なスキルだな」
「鑑定の下位スキルだろ。あんま使い道なさそう」
周りの人々がそんなことを言っている。
私がぼーっとしていると、目の前の女性神官(?)は軽く手を振った。
「次の者の番だ、下がらんか」
「あ、はい」
訳がわからず困惑しながらも、壁際の方へ歩いた。
改めて辺りを見回す。
けっこうな人数の人がいた。
男女大人子ども問わず、みんな古代ローマみたいな簡素なワンピース(チュニック?)みたいな服を着ている。
私も似たような粗末な服で、革のサンダルを履いていた。
初老の女性神官の背後には祭壇があって、大きな炎があかあかと燃えている。
彼女の前に順番に子どもたちが並んでは、スキルを告げられていた。
ここでふと、パズルのピースが嵌まるように思考がぴったりとクリアになった。
そうだ、私はリディア。リディア・フルウィウス・ノビリオル。
今日は十歳の誕生月に受けるスキル鑑定の儀式の日だった。
その自覚に違和感はなくて、リディアとして生きてきた十年間がしっかりとこの体に根付いているのを実感した。
けれど同時に、二十一世紀の日本で大学生まで生きた記憶もしっかりと残っていた。
とりわけ最期の記憶――イベント会場で暴漢に襲われて死んだ記憶は、くっきりと鮮明に覚えている。思い出すと身震いが出た。
「これ、異世界転生ってやつ……?」
小さく呟いた声は可愛らしい女の子のもの。
目の前で開いてみた両手のひらは、小さくて頼りない。
オタクだった私はもちろんラノベもたくさん読んでる。異世界転生という言葉はよく知っている。
とはいえそれはあくまでお話の中のもの。ちょっと、いやとても納得がいかないのだが、なんでこうなってる?
しかし考えても答えが出るはずもない。
そうしているうちにもスキル鑑定の儀式は進んでいく。
有用そうなスキルが出た子には、身なりの裕福な人からスカウトが入ったりしている。貴族とか大商人とかだろう。
私の繊維鑑定はかなり微妙らしくて、誰も声をかけてこなかった。
「これにて今月のスキル鑑定の儀式を終わりとする」
祭壇の前で女性神官が言った。
「どのようなスキルであっても、それは神からの贈り物。守護霊ジーニアスおよびユノとともにあるもの。常に研鑽に励み、怠ることのなきように。さすれば新たな道は開けよう。以上である」
彼女はお付きの神官たちを従えて出ていった。
スキルを鑑定してもらった子らは、親に付き添われたりしながら神殿を去っていく。
私も帰ることにした。
「それにしても『繊維鑑定』かぁ……」
帰り道、首都の強い日差しを浴びながら私はため息をついた。
今は初夏。温暖なこの国は初夏でも十分暑くて、石畳の照り返しで汗をかきそうだ。
この世界では一般的に、『鑑定』は便利なスキルとして知られている。
スキルの熟練度と魔力に応じて鑑定できる精度などは変わるものの、商品の品質や材質をその場で見抜けるのはとても有用だ。
しかしこれが下位スキルとなると話が変わってくる。
私の繊維鑑定のように、鑑定できる品の幅がぐっと狭まってしまうのだ。
特に繊維に限定してしまうと、布は布だとしか言いようがない。品質などは触れば分かるし。
そりゃ、どこの国の産でどんな原料とかは分かるかもだが、それが分かったところでなぁ……。
前世であんなにひどい死に方をしたのに、転生特典のチートとかはないらしい。
女神のコスプレ姿で死んだのがいけなかったのだろうか。
あれほど凄惨な死に方をして、前世の家族はさぞ悲しんだだろう。そう思うと胸が苦しくなる。
私はどんよりとした気持ちで街路を歩いていった。
先ほどスキル鑑定をした神殿は『原初の炎の女神神殿』といって、このユピテル共和国の神々の中でも一、二を争う神格の高い女神が祀られている。
よって神殿も立派。かまどに見立てた円形の神殿は、首都のど真ん中に建てられていた。
元老院議会場や裁判が行われる公会堂が連なるこの場所は、『フォロ・ユーノー』と呼ばれる。
首都の中心部だけあってすごい人出で、体の小さい私は人混みに押されながら苦労して歩いた。
フォロ・ユーノーを出て下町の方へ歩いていくと、辺りはだんだんと雑然としてくる。
大通りは狭まって曲がりくねり始めた。
いや違う。大通りは変わらず広くて真っ直ぐなんだけど、両脇の建物が違法建築で道路にせり出しているせいでそう感じるのである。
建物自体も五~七階建てと高層で、首都の過密っぷりがよく分かった。
何せ古代国家っぽいくせに、人口数十万都市と言われているのだ。人口多すぎて誰も正確に把握できていないが。
建物の一階は飲食店や工房、お店になっていてとても賑やかだ。
私は大通りから路地に入った。
細い通りは歩けば埃が立ち、思わず咳き込んでしまう。
ケホケホ言いながら歩いて、ある建物の中に入った。
中はたくさんの羊毛が山と積まれている。綿埃とアンモニア臭が立ち込めていた。
ここは毛織物の工房。
私は服の襟元を引っ張ってマスクみたいにしながら、その場で働いていた人の一人に声をかけた。
「ただいま、お母さん」
「リディア、おかえり。スキルはどうだった?」
振り向いたのは私のお母さん。
私と同じ赤い髪に緑の目をした人だ。
この国の結婚出産年齢は前世の日本よりだいぶ早いので、お母さんはまだ若い。
お父さんは私が赤ちゃんの時に死んでしまったから、ずっと母娘で暮らしてきた。
「スキルは……『繊維鑑定』だった」
私がしょんぼりして言うと、彼女はにっこり微笑んだ。
「あら、いいじゃない! あなたもきっと、私みたいに羊毛織りの名人になるわよ」
「でも、お母さんのスキルは『織物』でしょ。私は鑑定だもの。役に立たないよ」
「そんなことないわ。いい羊毛を見分けるところから織物は始まるんだから」
お母さんの言葉に私は肩をすくめた。
前世は二十歳まで生きたくせに、今はどうにも体に心が引っ張られて子供っぽくなってしまう。
「ま、いいや。それより仕事、手伝うよ。納期押してるよね?」
「助かるわ。今日もごめんなさいね、スキル鑑定の儀式に付き添ってあげられなくて」
お母さんが眉尻を下げる。
本当は時間を融通してついてきてくれると言ったのだが、私が断った。もう十歳だから一人で平気だよって。
前世の記憶を取り戻した今となっては、ちょっと無理をした気持ちだったと分かる。背伸びしたいお年頃なのだ。
「いいよ、忙しいもん。じゃあこの羊毛を梳くね」
「お願い」
お母さんは羊毛織りの名手。織物スキル持ちの彼女が作る布は品質が良くて、貴族にも好評。
だからいつも大忙しなのだ。
私は積まれた羊毛をひとかたまり持ち出して、大きなクシで梳き始めた。
こうやってもつれやゴミを丁寧に取り除くと、いい毛糸が紡げる。羊毛織りの大事な工程なのである。