16:準備着々
「ティトス、次はあなたの番だよ」
私が言うと、彼はちょっとビクッとした。
大人しい性格のティトスはたくさんの人の注目を集めるのが苦手なのだ。
しかも今日は怖がっていた父フルウィウスが同席している。緊張する様子が手に取るように分かった。
「僕はニンフの歌と踊りを考えてきました」
言ってエラトの横に立つ。
「まずは歌から聞いてください」
そうしてティトスは歌い始めた。
この古代世界では楽譜などは一般的ではない。
特に私たちのような庶民相手では、歌って聞かせるのが一番だ。
ティトスはなかなか上手で、きれいなボーイソプラノが店内に響いた。
メロディは素朴で覚えやすい。
歌詞はニンフの可憐さと自然の美しさを称える内容。お店の料理の美味しさのパートもあった。
歌い終わって、ティトスは額の汗をぬぐった。相当に緊張していたのだろう。
「歌は民間でよく歌われる妖精の歌を参考にしました。歌詞もそうですが、エラトさんのイメージをなるべく織り込んでいます」
確かに「亜麻色の髪」「空色の瞳」などエラトの特徴が入っていた。
「今日初めて衣装を見てまた印象が変わったので、後でもうちょっと直したいです。……次に踊りの振り付けを」
ティトスは歌いながら踊ってみせた。
女の子用の踊りだけど、十歳のティトスならば違和感はない。
むしろニンフのお付きの小妖精という感じで可愛らしかった。
ただちょっと動きがぎこちない。
そういえば彼、運動神経は今ひとつだっけ。
「あの……途中、失敗しちゃったんですけど。今ので分かりますか」
「うん、分かるわ! 歌とよく合っていると思う。動きもそんなに難しくないし、練習したらちゃんと踊れそう」
エラトが動きを真似しながらうなずいている。
彼女は運動神経ばつぐんなので、きっとすぐにマスターするだろう。
皆にこにこしていたが、フルウィウスだけは微かに渋面を作っていた。
「あの、父さん」
「お前が人前で踊るわけではないからな。構わん」
ユピテル共和国では、踊り子や大道芸人、劇役者などは身分の低い者の職業とされている。
騎士階級(資産家階層)のフルウィウスとしては、息子が踊り子の真似事をしているのは面白くないのだろう。
とはいえ今の段階で表立って反対しないなら、それでいい。
エラトはティトスと一緒に歌と踊りの練習を始めた。
その様子を大人たちが見守っている。
丹精込めて作った衣装が実際にその人に着てもらって動いているのは、作り手として胸に来るものがあった。
服はやっぱりよく似合う人に着られてこそ。
同時に改善点や、ああしたいこうしたいという欲求が次々に湧いてくる。
動いているうちに緊張がほぐれてきたのだろう、ティトスに笑顔が見える。
エラトは早速歌を覚えて、きれいな声で歌っている。踊るたびに衣装が揺れる。
皆、手拍子で笑っている。
(さあ、次のステップに進まなければ)
楽しい空気の流れる店で、私は決意を新たにした。
ニンフのいる店のオープンが近づいている。
けれどまだ準備が必要。
店の内装リニューアルである。
本当の理想を言えば、店の内壁に森のフレスコ画を描きたかった。
でもそこまでやると時間もお金も莫大にかかるので、今回は諦めた。いつか大きく稼いだらチャレンジしたいものだ。
「カウンターからの動線を考えたら、ステージはこのへんかな?」
「そうね」
エラトと相談しながらステージの位置を考える。
そこまで広いお店ではないので、客席との兼ね合いが悩ましい。
「リディア! 絵を持ってきたよ」
ティトスと護衛の人が大きな板を運んできた。幅一メートル、長さは二メートルほどの二枚だった。
ステージの壁に立てかける。
板には森と泉の風景が描かれていた。
絵のところどころには磨いた銅片が貼り付けられて、光をきらきらと反射している。
「さすが、フルウィウスさんお抱えの画家の絵。生き生きしてる」
これは書き割りだ。
店の壁全面の描画は難しくても、ステージの壁だけはニンフの森を演出したかった。
壁に釘を打ち付けて吊るす形にする。
このまま飾ってもいいし、いずれ余裕が出てきたらステージごとに絵を変える構想もある。
「ティトス。例のあれの調子はどう?」
「うーん。まだ自信がないかな……」
私の問いにティトスは肩を落とした。
「そっか。ティトスは素敵な歌と踊りを作ってくれたし、無理しないでね」
慰めるように言うと、彼は首を振る。
「ううん。僕だって役に立ちたいもの。当日まで練習して、何とかうまくやるよ」
「……ティトスは変わったね」
思わず言葉が出た。
少し前までのティトスは人見知りで臆病で、特に父親の顔色をうかがってばかりいた。
お金持ちなのにお金に無頓着で、私にお小遣いの全額をあっさり渡そうとした。
それが今では自分から動いて、私を助けてくれる。
フラウィウスを必要以上に恐れなくなって、緊張しながらも立ち向かっている。
「変わったのはリディアでしょ?」
彼はきょとんとしたように言い返してきた。
「スキル鑑定の日から急にしっかりしちゃってさ。こんなにすごいアイディアを出して、服まで作るんだもの。僕は手伝っているだけ」
それは前世の記憶を思い出したからだ。
リディアとしての私と前世大学生だった私が混じり合って、ある意味生まれ変わったようなものだ。
けど、それは口に出せない。
信じてもらえるとは思えないし、それに……私が異世界人、異分子だと知られるのは何となく嫌だった。
だから私は小賢しく誤魔化した。
「じゃあ二人ともちょっと大人になったってことで。この計画、しっかり最後まで成功させよう!」
「うん!」
「おーい、大人のお二人さん! ステージをセットして踊ってみたいから、見ててくれる?」
エラトが笑いながら呼んでいる。
「うん、今行く!」
エラトは練習を繰り返して、歌と踊りをしっかりマスターした。
私たちは手拍子を打って、エラトのステージを応援する。
準備は着々と整いつつある。
ニンフの店のオープンまであと少し。




