11:布市場
エラトの店から戻ってきた私はティトスを連れて、お母さんと一緒に羊毛工房へ出勤した。
私はまだ十歳だけど、この古代世界ではもうそれなりに働ける年齢だ。
普段は羊毛梳きや掃除などの下働きをやっている。メイド喫茶計画のために完全に抜けてしまったら、お母さんや他の人たちに迷惑がかかる。
だからまずはしっかりと自分の仕事を終えてから、服作りに取り組むことにした。
ついでにティトスが手伝ってくれたので、いつもより少し早く終えることができた。
「お母さん。できるだけ薄くてしなやかな布が欲しいんだけど、どんなのがあるだろ?」
「それならなるたけ細い糸でふんわり織った布でしょうね。これはどう?」
お母さんが持ってきてくれた布を鑑定してみる。
『羊毛の織物。織物スキル職人の手で作られた高品質な布。
羊毛の糸は標準より細く、あまり目を詰まずに織っているため薄くて軽い』
うん、さすがお母さんの毛織物だ。
けれど前世の薄手布を知っている私としては、まだ厚手に感じられる。
ニンフの妖精のような可憐さは、透けるくらい薄い布を使って表現したい。
となると、ここの工房の在庫にはないかな。
もっと言えば毛織物であの薄さは難しいかもしれない。
絹……は高価過ぎて無理だとしても、綿とか麻とか違う素材はないだろうか。
「ティトス、フラウィウスさんの店でいろんな布を扱っていたよね?」
「うん、太陽の国の麻布や東方からの絹もあるよ。うちの店以外なら市場にあるから、どっちも見てみたら?」
「そうしよう!」
お母さんに夕方までに戻る旨を伝え、私たちは羊毛工房を出た。
近くの列柱広場でちょうど市が立っていたので、覗いてみる。
「いらっしゃい! これは太陽の国の麻布だよ」
店主が呼び込みをやっている。
太陽の国はユピテル共和国から見て内海を挟んだ向こう側、南の大陸にある国だ。
砂漠を流れる大河に沿って栄えている国で、今は女王が即位している。
ユピテルとは友好関係にあって、貿易も盛んだった。麻はあの国の名産の一つである。
「繊維鑑定っと」
『亜麻布。リンネル。織り方はごく一般的なもの。
原料となる亜麻は太陽の国で栽培、収穫、加工された』
「どう?」
ティトスに聞かれて私は首を傾げる。
「特にどうってこともない、普通の布みたい。手触りは……あんまり良くないね」
亜麻布は地厚でゴワゴワ、チクチクとしていた。
前世の亜麻布や綿と混紡した綿麻は、もっとふわりとしていた気がするんだけど。
いや待てよ、そういや前世の布はソフト加工がしてあるとか何とか。ドラム式洗濯機の乾燥機にかけるように、柔らかくなる加工が施してあるものが少なくなかったっけ。
そういった加工をしない自然のままの亜麻布なら、こんなゴワゴワなんだ。
見る限り糸も太め。しっかりしているのはいいけど、私が探しているのはこれじゃない。
「綿はないかな」
さらに探し回ると、綿を扱うお店があった。
「綿の布? ここらのがそうだよ。船の帆布やカーテンに使う頑丈な布さ」
店主が見せてくれたのは、とっても分厚くて頑丈な布だった。
前世でも帆布は人気だったよね。私もバッグとか作った。丈夫で長持ちするんだ。
でもそうじゃない、今探してるのは違うんだー!
「とりあえず繊維鑑定」
『綿と亜麻の混紡布。糸は太く目が詰まっており、頑丈。
材料の亜麻は太陽の国で栽培、栽培、収穫、加工された。
綿は東方、アルシャク朝で栽培、収穫された後、内海のタルナ島で加工された』
あれっ、純粋な綿布じゃなくて混紡布だった。
しかもアルシャク朝? それってずーっと東の方にあるかなり遠い国だったはず。
タルナ島は内海の東部に位置する島。織物で有名な島だ。
アルシャク朝の綿がタルナに運ばれて加工されて、太陽の国の亜麻と混紡されて、さらにユピテルの市場に並ぶ。
今まで考えたこともなかったけど、材料を追っていくと交易経路が垣間見える。
「店主さん、この綿ってアルシャク朝産なんですか? ずいぶん遠くから来たんですね」
「そうだよ、よく知ってるね。あの国は綿の一大産地なのさ。綿は面白くてね、木に羊毛みたいなふわふわの実がなるんだ。俺も一度木の枝についたままの実を見たことがあるが、羊が生えているみたいで何とも不思議だったよ」
店主が答えてくれた。
私は綿花の実を思い浮かべる。
前世では花屋さんに売っていて、フラワーアレンジメントで使われていた。真っ白でふわふわの実は可愛いんだよね。
でもこの国のほとんどの人は、綿がどうやって生えるか知らないだろう。
ユピテルでは布と言えばまず羊毛が来て、次点で亜麻。綿はちょっとマイナーだ。
「どうして亜麻と混紡なんですか?」
「そりゃ綿は高いから。全部を綿で作ったら、とてもこの値段じゃおさまらないさ」
なるほど。
この古代世界では船で荷物を運ぶにしても、難破とかのリスクがかなり高いだろう。
綿そのものの価格はもちろんのこと、運送費も上乗せされてしまう。
前世のように安全に大量輸送できた時代とはわけが違うのだ。
「それにしても、まいったなぁ」
布市を一通り見て回ったが、目当ての薄布は見当たらなかった。
「リディアが言うような薄い布は、やっぱり絹じゃないかな」
と、ティトス。
「でも絹は高価でしょ。エラトお姉ちゃんの護衛を雇うお金や宣伝費もあるし、布代だけで資金を使い切るのはできないよ」
「そうだけど、とりあえず見に行ってみない? うちの店は絹を何種類か置いてあるから」
「そうだね。実は絹、触ってみたかったんだ」
ティトスと私は頷きあって、フルウィウスの店へと向かった。