6.人柱聖女
その日、ロジンカは身を清めることと、使用人のお古以外の服を着ることを許された。
冷めた湯での、ぬるい湯浴みの後、渡された質素な白のドレスに袖を通す。
(これは……死装束なのね)
「王宮の人柱として埋めるのだ、最低限は小綺麗にしておけ」ということか。
炎翼輝石の入った木枠のペンダントが胸元で揺れる。
石をどうするか、ロジンカは迷う。
おそらく、この赤い石を見つめるのは今が最後になるだろう。
ずっと変わらず、炎翼輝石は色褪せることなく、炎を凍てつかせた欠片の如く。
「未練がましい外してしまえ」という思いと「これだけは永遠に自分と共にあってほしい」という思いが交錯し、後者が勝った。
革紐を首にかけ、木枠のペンダントをドレスの胸元にしっかり隠す。
あとは毅然と背筋を伸ばし、ロジンカは最期の時へ歩み出した。
子爵家の庭園の奥の小さな礼拝堂。
そこにインティローゼン一家が先に勢揃いし、ロジンカを待っていた。
伯父夫婦は機嫌を取るように中身のない笑顔を貼り付け、コーラルはシャンパンゴールドの豪奢なドレスを着ている。
(あの、ドレスは……)
エルバイトがロジンカに贈ったもので間違いない。
コーラルは、以前に言った通りドレスも我が物とし、よりによって今日それで着飾った。
なんて皮肉なことをするのだろう。
しかし、以前ペンダントを取られたときほどの衝撃はない。
ロジンカの心はすっかり打ちのめされてしまって、これ以上傷がつきようもない。
壇上に上るロジンカへ、クリスタルの小瓶が一つ手渡される。
「これが、聖女を聖遺物化する魔導薬だ。飲めばお前の命は全て聖魔力に変換され、その身は本来の寿命まで朽ちることなく、周囲一帯に強力な聖魔力を放ち続けるそうだよ」
「つまり、私にとっては毒薬ですね」
「新王宮の礎となるのだぞ。聖遺物と化した後、その体は新王宮の地下へと運ばれ、人柱となる」
遺骸だけでも王宮に、彼のいる地に行けるのか。
本当にロジンカはこんなにも彼を想っていた。
毒をあおる死の間際ですら、なのに──
「エル様……なぜここまで私をお見捨てになったのでしょう」
近づけた瓶の口の冷たさが、唇を震わせる。
煌めく瓶を傾ければ、ロジンカの命を奪う魔導薬が口の中に流れ込む。
恐ろしい効能の割に、味は葡萄酒でまともだった。
薬がロジンカの喉を下りていく。
「うっ……」
飲み干したところで、胸が焼けるように痛み出した。
ドクンドクンと動悸とともに激しい頭痛がして、ロジンカの命を蝕んでいく。
苦しくて、逃れたくて胸元に思わず手を伸ばした。
己の命が砕けていく実感。
(これが、私の死。私の最期。嫌われてしまっていても……最期にもう一目でも会いたかった。……エル様──)
ロジンカを飲み込もうとする黒い虚空、冷たいそこに、意識が引かれていく。
「こっち」
どこか聞き覚えのある子供の声がした。
落下感に従うロジンカへと、紅く光る小さな手が伸ばされた。
掴むと、安心する温かさに包まれる。
落ちた先の周囲は暗く、冷たそうだ。
しかしロジンカは守られている、大丈夫。
ここなら安らかに眠れる。
迎え入れてくれる暗闇は、これまで心身を痛めつけた現世よりやわらかだった。
◇◇
白い、白すぎて何も見えない。
輝きに満ちた空間で、身に濡れた感触を覚えた。
ぺちゃぺちゃ、ぴちゃり。
「……あ、……やぅ……」
まぶた、頬、耳殻、耳たぶを挟むやわい感触は、唇のよう。
音を立てて首筋に降りていく。
抱きしめてくれる温かさ。
誰かが素肌で抱きしめてくれている?
「こんなふうに反応が返るなら、少しは期待できるのかな」
「う……ん……」
「君は? 自分の名前を言える?」
(私は誰? 誰だった?)
ロジンカ・ティロル・インティローゼン?
告げようとして、『ロジンカ』が音にならなかった。
唇が拒否する。
それもそうか、絶望の末ロジンカは死んだのだ。
(あんな悲しい存在。もう、ロジンカでいることには耐えられないわ)
「…………ティロル」
その部分だけが音になった。
最大限の恐怖を与えたインティローゼンの家名も、口にすることができなかった。
ちゅっ、と重いまぶたへキスが贈られる。
まぶたを開け、開けと催促されるような。
だから、かつてロジンカであった、その末の──ティロルは目を開けた。
目を開けても、まばゆいばかりの白い世界であったが、抱きしめてくる人の輪郭がはっきりしてくる。
金髪で、凛々しい男神のような人。
(この方を知っているわ、でも……でも)
最後に見た時より雄々しさが増していた。
大人の色気が漂って、盛りを迎えている。
彼は閉じていた瞼を上げてティロルを見た。
心を捉える、鮮烈な翠の輝き。
(間違いない!! エル様……?)
これは死後の夢なのだろうか。
会いたかった人に、包まれたり心地よくしてもらえる夢。
「そうか、君も違うのか……でも久々だ。僕の呼びかけに応えてくれて嬉しいよ。たくさんたくさんかわいがるね」
包んでくれている腕が締まり、ティロルは彼のそばに閉じ込められた。
「まだ眠いだろう? 今はお眠り。起きたら……君といっぱい話をしてみたいな」
終幕という暗転から白い世界に引き出されたティロルは、優しい声色に安心をもらう。
穏やかな心持ちで眠りにつける。
永遠ではない、仮初の眠りに。
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