5.その身は供される
義理の父になるはずの人だった。
近寄りがたく交流は少なかったが。
近しかった人の死にロジンカは痛みを覚える。
気落ちしたまま質屋を出て、雑貨屋に立ち寄った。
炎翼輝石の入ったペンダントを、買った革紐で首から下げる。
これだけは、失えない。取り巻く世界がどんなに変わってしまっても。
(お腹が……すいたわ)
空腹に耐えきれず、ベーカリーでパンを二つ買えば、もうロジンカの硬貨は尽きてしまった。
それでも、焼きたてのパンにありつけるのは久方ぶりになる、場所も構わず、路地裏の樽の上でパンをちぎって口に運ぶ。
硬いパンだった、それでも入れば落ち着く。
ふと、擦り切れている使用人服の裾を引かれた。
薄汚れた格好の女の子が物欲しそうにロジンカの持っているパンを見ている。
「……あなたも欲しいの?」
強くうなずかれ、ロジンカは迷う。
もう次のパンを買うお金はない。
それに自分もまだお腹がすいている。
小さなパン二つでは足りないくらいに。
けれど──
ロジンカは手持ちのパンを一つ女の子に手渡した。
「ごめんなさい、私もお腹が減っているの、だから持っている分の半分で許してちょうだい」
パンに勢いよくかぶりつき、飢えに押し込んでいく女の子。
ロジンカはすべてを渡せない自分をひどく恥じた。
パンを食べ終わった頃には、女の子は去って姿を消していて、ほっとしてしまった。
表通りに出ようとして体がすくむ。インティローゼンの私設兵がいる。
表に出ず、そっと樽の陰から、様子をうかがう。
「ボロの使用人服を着た女だ。歳の頃は十八。銀の髪、薄葡萄色の目」
(私を探しているの!?)
私設兵の触れ回っている特徴はロジンカそのものだ。
追われている、と恐怖心が湧く。
あんなに冷たく扱ってきたのだ、ロジンカがいなくなっても放っておいてくれたらいいのに。
そんなに聖女の血を抜いて小金にしたいのだろうか。
(捕まらないようにインティローゼン領からも出なくちゃ)
しかし王宮育ちで世間に疎いロジンカは、一体どうすれば追跡から逃げ切り、長距離の移動ができるのか。考えつきもしない。
途方に暮れるロジンカの耳に、鎧のぶつかり合う音が届く。
そして、聞き覚えのある幼い声。
「こっち」
槍を持ち、鎧を着込んだ私設兵が続々ロジンカの隠れていた通りに入ってきた。
「あの女の人」
私設兵を案内するのは、さっきパンをあげた女の子だった。
(そう……あなたが呼んできたの…………仕方ないわね、だって半分しかあげられなかったのだもの)
それでも裏切られたような気がして喉元より下がキシリ、と痛む。
(ううん、これでいいんだわ)
少なくともロジンカはパンをひとつ食べられた。
あの女の子もパンを食べた、そのうえ、ロジンカを突き出した褒美で金なりパンなりもらえるだろう。
二人とも飢えずにすむのだから、これでいい。
私設兵に槍の穂先で背から脅され、ロジンカは何が待つとも知れぬインティローゼン家へ戻された。
◇◇
「無事捕まえられてよかったわ、あの話が来てすぐ逃げられるなんて、どこかで漏れでもしたんじゃないの」
「そんなはずはない、偶然さ。しかし身柄が押さえられてよかった。まさか逃げられてしまって果たせませんでした、なんて王太子に言えないからな」
「じゃあお姉様には最後の孝行をしていただくのね、日取りはいつ? 王宮からも使いが来るのでしょう。わたくし最高のドレスで着飾りたい」
伯父や伯母の声まで聞くのはいつぶりだろうか、コーラルの声は弾んで華やいでいる。
ただロジンカの最後の孝行という単語が不吉だった。
まだ寿命はある身なのに、最後とは。
インティローゼンの応接間で、私設兵に威圧されながら、ロジンカは伯父夫婦の顔を見た。
久方ぶりに接する彼らの笑顔は、ひどく歪んでいる。
「ロジンカ、もはや用無しのお前をここまで養ってきたわけだが、我が家も苦しくてね。困っていたら王太子のほうからこの度お前の身を利用したいと要請があったんだ」
「王太子から、ですか」
(エル様が、私を利用する?)
信じたくない内容に、つい聞き返してしまった。
「王宮に幽鬼が現れて、王を害してしまった。王都を守る魔導は完璧だと民は思っているから、幽鬼の件は公になっていないが。縁起も悪いし王宮の主要部分を新設することになったんだ。それで、このようなことがもうないよう、聖女の力が欲しいと」
(王宮に幽鬼? 邪霊よりさらに邪悪で、人の魂を喰ってしまう……幽鬼なんかが王宮に!?)
王宮では魔導で聖女の守りが再現できたのではなかったか。
それならロジンカは再び王宮に行けるのか。
「聖魔力を魔導で再現したという成果に傷をつけたくないそうで。いまさら『聖女』を戻す気はないそうだよ。お前は死んだことになってもいるしね。そこでだ、王太子はお前の生きる力、すべてを魔導薬で聖魔力に変換し、その体を、もっと広範な範囲に聖魔力を放ち続ける聖遺物にして、新王宮の地下に埋め、幽鬼からの防護にすると決められたのだ」
「伯父様……それはどういうことですか……」
わからない言葉がいくつもあるから、聞き間違えていないか、訊ねる。
いや、聞き間違えであるようにと思う。
(だって、その言いようではまるで、まるで──)
「要するに、お前には新王宮を聖魔力で守るための人柱になってもらおうということだ。王太子はお前の身を差し出せば、褒賞をくれて我が家を優遇すると約束してくれた。ロジンカよ、この一年半お前を養ってきた私たちに対する恩返しと思って人柱として新王宮の下に眠ってくれ」
今度こそ、ロジンカは膝が笑って立っていられなくなった。
「それは死ねということですよね? そんな……!! 本当に王太子がお認めになったのですか!? そんなことを、あのエル様が……」
伯父夫妻は顔だけ憐れむような素振りを見せて、私設兵にロジンカを部屋へ連れて行くよう命じた。
背後からコーラルの、コロコロとキャンディ缶をふったくったような楽しげな声がする。
「ねぇ、お姉様どんな気持ち? 王族の婚約者としてふんぞり返っていたのに、その婚約者から婚約破棄を受けた挙句、人柱になって死んでほしいって思われてるって聞かされて。どんな気持ちなの? 教えてくださいな!」
ぱたぱたと、こぼれ落ちる涙がコーラルへの答えになったはずだ。
ロジンカは絶望していた。
救いのないこの世界に。
それなのに、変節する前の、昔のエルバイトに、まだ想いがある自分が愚かで仕方なかった。
タイトルの雰囲気出てきましたね!
あとはゆっくり更新になります、のんびりお楽しみいただけましたら。