最終話.赤橙の指輪に誓って
パライバトル王歴765年。
王都が幽鬼の災禍にさらされるという危機に遭った。
しかし、眠りについていた当代の聖女ロジンカ・ティロル・インティローゼンにより邪が祓われ、都は人的被害のほとんどを避けることができた。
直後の王の演説時に国民が見聞きした様子では、国王と聖女が恋仲にあることは明らかであった。
噂話で予想されたとおり、季節が変わる頃には国王が婚姻することが布告された。
国王エルバイト・ラウ・パライバトルは、聡明王と称えられ、民に広く敬愛されてきた。
だからこそ、彼の血を引く後継の不在は長らく憂いの種であったのだ。
聖女との婚姻はまさに「神の祝福の化身と結びつく」と、国中の歓喜を呼ぶ。
婚姻が告げられるや、国都は明るい希望に包まれた。
街の至る所に国旗が掲げられ、広場では人々の会話が絶え間なく続く。
王城から貴重な氷菓子や古酒がふるまわれ、噴水は投げ込まれた花びらと光を浮かべる。
夜ごとに、花嫁花婿を象った魔法の灯りが軒下を彩った。
そして、挙式当日。
王都全域が無礼講となり、貴族も庶民も分け隔てなく、喜びに満ちた顔で街を行き来した。
歓声が響き渡り、王宮から放たれた魔法が空に七色雲で絵柄をつくる。
国民ひとりひとりの胸に生涯にわたって刻まれるような大騒ぎ。
“聖女と聡明王の婚礼”──この国の歴史に燦然と輝く、一世一代の祝典だった。
◇◇
王妃の控室は右へ左の忙しさだ。
指示を飛ばすマラカイトと、その使い走りで息切れ寸前に動いているヘミモル。
ティロルは満ちた気迫にあっけに取られてしまった。
「あ、あのぅ。できることがあったらしたいのですが」
「なに言ってんだい!! 花嫁のすることといえば、ドレスを着てじっとしていること、笑顔!」
「あ! はい!」
ドレスが少しでも崩れず美しく見えるよう、ティロルは借りてきた猫の気持ちで固まった。
「いいかい、歩く時はすべるつもりでふんわりと。引き裾は長いから介添が後ろに並んで持つ。新郎と息をあわせて急に進路方向を変えないように……」
マラカイトから、ウェディングドレスの着こなし方を延々教授された。
覚えきれるか不安なほどだ。けれど、笑顔でうなずく。
「マラカイトさん、ものすごく……熱が入っていますね」
「そりゃそうさ、わたしのライフワークがやっと結実したんだからね」
ティロルは足元から胸元まで、我が身を覆うウェディングドレスを見なおした。
婚約破棄の前から、エルバイトはマラカイトにドレス製作を依頼していたのだ。
幾度もデザイン画の刷新を受けて、出来上がったドレスを、マラカイトはやっとライフワークが日の目を見たと喜んでいた。
「もちろん、エルバイト様の想いが叶ったことも嬉しいよ。これでわたしも悔いはない」
祝福したいが、マラカイトの先が心配になった。
「もう思い残すことはない引退だ」、とか「いつ死んでもいい」などと言い出しはしないかと。
ティロルの懸念を感じ取ったのだろう。マラカイトは腰に手をやり、ティロルを笑い飛ばす。
「一区切りだよ、一区切り。少し休んだら、今度は産着と子供服をやるかねえ。必要だろ? わたしは王家御用達なんだから」
「マラカイトさん!?」
顔に血が集まって、ティロルは消え入りたくなった。
しかし、マラカイトがそういう未来を見つめてくれたなら、それは嬉しい。
「さあ、しゃんとして。わたしのウェディングドレスはあんたが着映えするように考えてつくってきたんだから。誰よりもあんたが似合う。綺麗だよ!! 自身を持って」
「はいっ!」
マラカイトが太鼓判を押してくれるから、背筋を伸ばす──そこで、控室のドアがノックされた。
「ちょっと、いいかな」
訪れたエルバイトに、マラカイトも侍女たちも気を利かせて下がった。
二人きりで婚礼衣装を見せ合って「本当にこれから式なんですね」という当事者らしくない気持ちを笑い飛ばす。
「ずっと秘密にしてきた結婚指輪なんだけど、この後の挙式で渡すから、もう見せるね」
そうだ、今まで予行の時もはぐらかされ、ティロルはこれから左薬指に嵌り続ける指輪がどんな品なのか、知らない。
(ずっとその指輪をつける当人なのに、教えてくれなかったのだから……)
それを少し根に持っていた。
「絶対気に入ってくれるって保証する。だから、そんなむくれた顔をしないで。さあ僕の王妃、これが僕が君に愛を誓う証だよ」
ベルベット張りのケースが開かれて、台座にはまった指輪が見える。
国王の結婚指輪にしてはシンプルなデザインである。
白金に粒の縁飾りが為され、飾りに嵌め込まれた石は小ぶりでありながら、見覚えのある赤色をしていた。
「この石は!? 炎翼輝石ですか? どうやって……」
あの戦いのあと、炎翼輝石の破片をエルバイトに託した。
粉々になっていた石が、こうやって指輪になって戻ってくるとは思っていなかった。
「技法があるんだよ、樹脂と混ぜて固めて整えるんだ。王宮の宝飾細工師は『国王の指輪に練り石を使うなんて!』って苦い顔をした。でも僕らの結婚指輪に相応しい石は、これしかないだろう?」
「ありがとう……エル様! ずっと夢見ていたこと、ぜんぶ叶います……」
目の高さまで指輪を持ってきて、涙声になるティロルに、エルバイトは胸を張る。
「当然さ。僕は聡明王って呼ばれているんだから。君はその僕が、これからの生涯かけて幸せにする相手。君が心底から願ったことなら、僕は全力で叶えるよ」
エルバイトはティロルの後ろ頭を撫でて穏やかに言う。
「ウェディングドレスを着た君はとっても、綺麗だ……。君の美しさは国民の誰も異を唱えることができない」
「……十年も、考え尽くされたドレスですから」
「マラカイトには感謝してる。でも、ドレスがなくったって、どんな姿だって、君はぼくにとっていつも神がかった美しさを持ってるからね」
それで片目をつぶってみせたエルバイトに、ティロルは花嫁贔屓だと文句をつけた。
◇◇
王宮から王都大通りをパレードし、王家が代々挙式に使用してきた大聖堂にやってきた。
長大な引き裾を流すようにして歩き、壇上についたティロルは、聖職者の前でエルバイトと向かいあう。
「永遠の愛を君に」
交わした誓約のあと、ヴェールをあげたエルバイトは、大人の余裕たっぷりで微笑む。
「子どものころ、君と話したよね。どうして唇にキスするのか、って。今ならわかるよ。だって……やわらかさや、温かさ、形、ぜんぶ確かめたくなるんだ。鋭敏なところで」
「私も……エル様がくれるキスなら唇がいちばん好き。優しさが伝わって……ドキドキして……」
なら、と唇同士をあわせれば、会衆席から歓声があがった。
初々しい国王夫妻となった二人の指に結婚指輪が嵌められる。
指輪に留められた赤い石が、差し込む陽を受けて炎のように紅く、二人の未来を祝福するように光った。
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