32.長い夜が明けたから
周囲を巡る聖魔力の虹真珠、右手を握り込めばティロルの意思通りに動く。
(手の中に、あったかい力がある。これは……炎翼輝石さんのくれた分の力!!)
意識すれば掌から熱が抜け、虹真珠は赤橙の輝きを帯びた。
「いって!!」
力強く手を振り上げれば、虹真珠は円状になり、白い光線となって幽鬼に当たる。
照準がずれないよう、操作する手に、もう片方を添えて支えた。
『ルヴルゴァァァエエエエエエエエ!!』
聖魔力に直撃された幽鬼は獣じみた声をあげ、のたちまわる。
苦痛は単純な破壊衝動になったのだろう。
黒い腕で王城の尖塔を一閃。
脆く崩れ去った瓦礫が散る。
破片の一片が、ティロルの近くに降り注ぐ。
「──!!」
幽鬼から視線と手を離せず、ティロルは瓦礫を避けられない。
続け様に落ちてくる瓦礫がティロルの位置に落下すれば、潰されてしまう。
「ティロル!」
よく知る腕に抱き寄せられた。聖魔力の照準はそのままに後方へ下げられる。
目の前に大岩のような建物の一部だったものが落ちてきた。あと一瞬遅れていたら下敷きだったことだろう。
「ありがとう……」
振り返ることはできないが、背を伝う微かな震えに、エルバイトが静かにうなずいた気配を感じた。
「今度こそ、僕は君を守る」
「エル様……」
炎翼輝石を思う。長きに渡りティロルを守ってくれた石は今、幽鬼に照準を合わせる拳の中で、砕けた破片になっている。
「そもそも、君を守るのは僕の意志なんだ。分身にばっかり君を守らせてたなんて、悔しいからね」
こんな状況だというのにエルバイトの声色から、普段感じていた険がない。
語り口には軽やかさがあって、幼少期からロジンカと婚約破棄する前のエルバイトを思い出させた。
「どう? あの幽鬼は祓えそう?」
「あとしばらくこうやって聖魔力を当て続けられれば。ただ、抵抗を受けるたび腕や体がブレかけて……たまに離れてしまいそうにっ」
言っている側から幽鬼側から伝わってくる力の波動で、右手が大きく逸れてしまいそうになる。
それを、エルバイトの手が止めてくれた。
ティロルの左肩もしっかり掴んでエルバイトが、言う。
「ささやかだけど、僕の魔力もつかって。僕が君を支える、あとはアイツを祓うのに集中して」
体の左側がエルバイトの支える体温で心地よく温かくなった。
彼の与えてくれた力が体を巡り右手に還元される。
(エル様が、支えてくれる。委ねて力を研ぎ澄ますことができる。それが、こんなにも──)
聖魔力を倍加させる、胸の内の熱さ。
これこそ、彼に感じてきたもの。ずっと大切に持ってきたもの。
(こんなにも、私の力になる!!)
ティロルの右手をパリパリと小さな雷が取り囲み、虹真珠の粒が大きくなった。
白光は線というより奔流となって、幽鬼の胸を強く撃つ!
『オオオウウウウオオオオオン』
ティロルの聖魔力、炎翼輝石の守りの魔力、エルバイトの魔力が乗った白い力の塊は、幽鬼の巨体を突き抜ける。
幽鬼は胸部を失い、もんどり打って緩やかに下降していく。
その禍々しい体が衣の端からちぎれていくように消えはじめた。
何十もの悲鳴が重なった断末魔を上げ、そのたび巨体の消失は加速した。
城壁の高さに落下する前に、全てが虚空へと還る。
「エル様!! 私、祓えました!! これで、みんな助けられたんですよね? ねえ、エル様?」
「すごい……ああ、これで幽鬼の心配はない。君が国を救ってくれた。ありがとう、ティロル」
美麗と女性を騒がせる顔をくしゃくしゃにしたエルバイトに、ティロルは訊ねる。
「ロジンカって呼ばないんですか? あんなにも求められていたロジンカですが」
「ロジンカだった君が、選んで名乗ったのがティロルだろう? もういいんだよ。君が君だってことだけで。僕が、見失うことなく見分けられる、君」
握ったティロルの手に目をやって、エルバイトは続ける。
「炎翼輝石にもらった、彼の記憶のおかげだ。もう僕は決して君を間違わない。見失わない。どこでどんな姿で、どう名乗ってようと君を見つけ出すから『ロジンカ』と呼ぶのにこだわる必要ない。君が自覚のある名でいい」
自覚というなら、今のティロルこそもうロジンカも名乗れる、呼ばれても自分の名と自覚があるからロジンカで構わないのだが。
一陣、吹き渡る風に身を撫でられて思い直す。
(確かに私はロジンカだった、でも今を生きてる、次の時間にいる)
なら、ティロルだ。
ロジンカを経てティロルに至ったということ。
「はい、今の私はエル様にティロルって呼ばれたい」
「ティロル」
首筋に顔を埋める勢いで、強く抱きしめてくるエルバイトに、ティロルの喉から吐息が漏れる。
王様なのに適度についた筋肉質な体の感触で、彼の男性的な面を強く意識してしまう。
顔に集まる熱をどうにかしたくて身じろぎしていると、城壁の上で戦いと運命を共にしようとしてくれていた騎士が「大変、野暮なのは承知しておりますが」と声をかけてきた。
それでエルバイトは思い出したように袖で顔をひと拭して、国王らしく表情を引き締めた。
ティロルの手を引き、城壁の広場側へエスコートする。
広場では「空に浮かんでいた巨大幽鬼は何だったんだ」「避難は? 街は?」と、混乱の夜の答えを求める人々が集まりざわめいていた。
そこへ国王が現れたのだから、国民の視線はエルバイトに集中する。
「我が国民たちよ、聞け! 国を脅かした邪霊、幽鬼が融合した巨大な異形は、神がお与えくださり、眠りから覚めた聖女が祓ってくださった!! もはや脅威はない! 先に避難した民も、騎士団の先導のもと王都へと安全に戻す。ここに危機は去ったのだ、皆も安心して生活に戻るがいい」
堂々と口上を述べるエルバイトは凛とした国王で、国民の雰囲気は一気に和らいだ。
「ティロル、こっちへ」
「あ、あの……?」
ティロルは城壁の一段高いところに立たせられた。エルバイトが高らかに喧伝する。
「すべては聖女の功績だ。聖女を讃えよ!!」
「聖女」「聖女様」と沸いた歓声に、ティロルは面映くてよろめいてしまう。
「おっと。慣れないだろうに、ゴメンね。でも君が犠牲を覚悟して守ったものなんだ、しっかり見ておくといい」
山陰から紅鏡が世界を優しく映させて、差した朝の光に見下ろす世界全ての輪郭が赫くなる。
炎翼輝石の光に包まれているみたいだった。
こんなにも美しいものを守り切ったことの誇らしさ。
言葉に余ってしまう。
「ティロル、大好きだよ」
固く閉じていた唇に、エルバイトの唇が重なった。
「え、エル様!! ここ! たくさんの人が見ている時に……なんてことを!!」
「いいじゃないか。僕が君に夢中だって、みんな速攻でわかる、便利な方法だ」
「こっ、こんなの!! とんでもないです!!」
顔はきっと朝陽より赤い。
火照った顔を手で覆い隠すティロルに、満足そうに国民を見やるエルバイト。
見守る国民たちは祝福でどよめいていた。