3.拒絶の焔
無理やり意思をねじ曲げる外法、それを使うことにオーレンは何の躊躇いもないらしい。
(こんな人に預ける心は、ない!)
身体的にも魔法的にも敵わない状況であったが、ロジンカは屈しないという強い視線でオーレンを見た。
「魅了が……効かない……? 聖女には魅了が通じないのか!?」
オーレンがいくら青い炎を見せつけても、彼はロジンカの心を掌握できない。
そのことに安堵してロジンカはオーレンに言う。
「当てが外れたようですねオーレン様、私の心は貴方には渡せませんっ」
「ふんっ、ならば身体で言うことを聞かせるまでよ」
ロジンカの胸に再び手を伸ばそうとしたオーレンであるが、指先が触れるかというところで紅い炎がほとばしり、邪欲に塗れた手は弾かれた。
「ぐぁっ!!」
なぜ今そんな現象が起こったかロジンカにもわからない。
ただ、これで魔法的にも物理的にもオーレンがロジンカに何もできないことは明らかだ。
すぐさまベッドから降りて、ドアを背にオーレンを非難する。
「国王陛下に訴えます、このような……無体な真似、あんまりです。エル様は決してしなかった、あの方はいつも紳士だった」
オーレンはここで大きく眉を動かし、あんぐりと口を開けた。
「なんだと!? それでは兄上はそなたを抱いていないのか。……それも計算違いだった。そなた、兄上を知りもしていないのか、ならば比べさせることもできない。つまらん」
急速に興が削がれたらしい第二王子は、部屋に備え付けてある魔力の通った伝声管に要件を伝える。
「俺だ、聖女を拘束したい。衛兵を数名よこせ」
「オーレン様、一体何を……?」
彼がロジンカを組み伏せようとした時も何をするかと思ったが、今度は衛兵に拘束とは何事か。
「魅了は効かない、なのにその術があることを知られてしまったのでな。身柄は管理させていただく」
「そんな、私は婚約者なのでしょう? 婚約者を表に出さず拘束し続ける、そんなことができるはずは……」
「名目はなんとでもなるさ、それに婚約は解消だ。抱けもしない女など、聖女であろうと要らぬ。そなたには王宮を去っていただこうか」
「要る要らぬの問題ではないです。聖女がいなくなれば王宮に邪霊が訪れます」
ここまでの鬱憤を晴らすように オーレンは嘲笑した。
「何も知らぬのだな聖女。時代は進んでいるのだぞ、魔導の発展は聖魔力の機序を解明しつつある。先日魔導で邪霊を寄せ付けぬという特性が実現された。そなたがおらずとも、王宮はまわっていくようになった」
では、ロジンカがこれまで王宮にいる必要があった、その理由と優位性は失われたのか。
ロジンカは程なく踏み込んできた衛兵により身柄を拘束された。
第二王子を傷つけた。不敬を働いた。世迷いごとを言う。
「このような女は手に余る」と謗られて。
王へ弁解する機会を与えられず、ロジンカは再び婚約を破棄された。
そして、数日の拘束ののち、後見であるインティローゼンの領地へ罪人のように護送された。
ほとんど見知らぬ出身地に帰される……ロジンカは育った王宮から追い出されたのだ。
◇◇
インティローゼンの領地に送られて、ふた月がたった朝。
どかどかと、遠慮もなくロジンカの部屋に使用人たちがやってきた。
しかも彼らは無遠慮にロジンカの所有物を運び出し始める。
王城から下がる際、ロジンカは所持品と一緒に領地にやってきた。
インティローゼン子爵家で与えられた一室で、それらの品々と一緒に籠められて放置されていたのだが。
「なぜ私の持ち物を運んでいるの?」
使用人は「ただ指定通りに運んでいるだけですので」と愛想もなく語り、忙しそうにロジンカの部屋を往復する。
なにがどうしてこうなったか、わからない。
ロジンカは良く言えばおおらか。
悪く言えば呑気な気質だった。
どう動いて良いかもわからず、呆然と部屋が空いていくのを見つめていた。
その彼女の前に、従姉妹のコーラルが訪れる。
二つ下のコーラルは、ロジンカの数少ない血縁者だ。
大きい夜会などのときは、聖女の親族として王宮へ呼び、もてなした。
それを喜び、彼女も会えばロジンカを「お姉様」と呼んで親しんでくれていた。
領地に帰され、婚約破棄の衝撃から立ち直れなかったロジンカを「大変でしたのね、お姉様。でも、お父様が次の行き方を決めてくださいますから」と励ましてくれていた。
ところが、今は頬を珊瑚色に染めてもいないし、ロジンカに投げかける目線は険しい。
これまで自分と共通点があると、親しんでいた顔立ちが、昆虫を見下すように歪んでいた。
「お姉様のお荷物はお父様の管理下となりますの。触らないように」
「コーラル、聞きたかったところよ。これはどういうこと?」
出戻ったロジンカにインティローゼンの家は戸惑っただろう。
それでもロジンカを受け入れ、外出こそ許さないものの、家族扱いで屋敷に置いてくれていた。
昨日と今日で何が変わったというのか。
「お姉様はよほど王族の不興を買ったのでしょうね、今日付けで王室からお姉様の死が公表されました」
「私……死……? なぜ? 私ここにいるわ、死んでなんかいない……」
コーラルは舌を鳴らして面倒くさそうに言う。
「実際のところはどうでもいいですわ。王家がそう公表したのなら、生きてようが貴女は死んだも同じ、むしろ、そう扱えということです。ここの領地はお姉様のせいで王家に冷遇されて苦しいのです。お姉様が王族に二連続で婚約破棄を受けるから、我が家は世間の笑いもの。持ち物くらいお金に換えていいでしょう?」
「待って、あちらのドレスはエル様が私にくださったものなの。持っていってしまわないで」
「第一王子がくれたも何もないですわ、お姉様まだドレスを着る気なのですか。己の立場をわきまえてくださいませ」
その言葉どおり、使用人はエルバイトがくれたドレスどころか、ロジンカから着ていたドレスも剥ぎ取った。
代わりに投げてよこされたのは裾の擦り切れた使用人服のお下がりで、洗濯されているかすら怪しい。
「あら、それはなんですの?」
下着姿に胸で下げていた木枠は目立つ。
これだけは離さない、と必死で隠せば、コーラルはロジンカをせせら笑った。
「そんな粗末な木のペンダントなんて要りませんわ。惨めですわねお姉様。お似合いですわ。血が近いというのに社交界では貴女ばかり聖女だ、未来の王妃だと持ち上げられて、わたくし、ずっと貴女には不満が溜まっておりましたの」
バシンッと、ロジンカの頬を平手打ちして、コーラルは笑っていた。
向けられた悪意に、ロジンカは愕然とした。
従姉妹にこんなにも嫌われていたのか。
「王子から贈られたというドレスならさぞや素敵なのでしょう、お父様に頼んで何着かはわたくしが頂きますわね」
するするとドレスの裾を見せつけるように引いて、コーラルは去っていった。
木枠が裏を向いていて、木の塊にしか見えなかったことが幸いした。
ロジンカは誰もいなくなった部屋で、木枠のペンダントごと炎翼輝石を握り込む。
(エル様、どうして)
ロジンカの不幸は彼の婚約破棄から始まった。
ロジンカがここまでの扱いを受けると、彼はわかって婚約を破棄したのだろうか。
(私のことが嫌になっての婚約破棄だとしても、ちゃんとお顔を見てご自分から言って欲しかった)
そうして彼の心変わりなり、嫌悪なりを見せられれば、もっと慕う心に区切りをつけられた。
そうさせない、親越しの一言で済ませてしまったことを、かえって残酷に思う。
聖女はもう王宮に必要無くなったとオーレンは言っていた。
だから、エルバイトもロジンカと婚約を続け、機嫌を取る必要がなくなったのか。
これまで退屈を紛らわせるため眺めていた本や、装飾の目に楽しい宝石箱、オルゴール、そういうものは取り上げられてしまった。
ロジンカは木枠のペンダントから丁重に赤橙の原石を取り出して、手のひらにのせ口づける。
エルバイトに捨てられたのだとしても、ロジンカは炎翼輝石にすがった。
これだけが、ロジンカの手から逃れないもの。
遠い日の思い出という心の拠りどころ。
ロジンカには荷のなくなった部屋は広すぎると判断されたらしい。
その日の夕から使用人部屋のうち余っていた階段下の部屋に移された。
思い出のつまった持ち物との別れと、子爵家の扱いの酷さにロジンカは顔を覆う。
この嗚咽に、誰も気づかない。
屋敷の人間が階段を昇降するたび立つ、段が軋む音で、そんなささやかなものはかき消された。