29.炎翼輝石の行方
一面の夕焼けとも朝焼けとも見分けがつかない、紅い雲海の上。
王宮の城壁にいたはずなのに──これはどういうことだろう?
抱きしめてくれるエルバイトだけが、先ほどから今がつながっていると信じられる拠り所だった。
でなければ、気絶して夢の中か、あるいは死んで天国に来たと錯覚しただろう。
それくらい周囲は現実味があいまいだ。
「現実じゃ切羽詰まってて、そこまで悠長に話せないからね。ティロルの内面世界に招待させてもらったよ」
少年の澄んだ声がした。
これまで幾度もティロルに問いかけてきたのと同じ声だ。
現れた姿はティロルが声から感じたとおりだった。
「エル様!?」
全身が紅い光でかたどられた少年が立っている。
柔らかそうな髪に自負のある得意げで澄ました顔、八歳ごろのエルバイトそのものだ。
「ティロル、僕ならこっちだから」
背後のエルバイトが囁いて、ぎゅっとティロルを掴む腕の力を強めた。
「ええ、わかっています。でもあれは、幼き日のエル様に姿形がそっくりで」
それどころか、仕草も。
少し顎を上向けて腕組みする立ち居振る舞いまで、エルバイトだ。
「君はなに!? なんで昔の僕の真似なんかしているんだ!」
紅い少年はエルバイトの詰問もものともせず、受け流して微笑む。
「真似をすることになったのは……仕方ないことでね。説明するよ、解答編だ。ティロル、エルバイト」
紅の少年は、狭い歩幅で近づいて優しく目を細める。
「君たちが探していた炎翼輝石、それは僕だよ」
優雅に一礼し、炎翼輝石を名乗る少年はティロルの手をとった。
「ずっと君といたんだよ。持ち主を、つまり君を守る、それが炎翼輝石の持つ魔力」
ティロルは図鑑で見た炎翼輝石のページを思い出す。
たしかに、そういう説明がなされていた。
「僕の使命。君に僕を贈った時点のエルバイトの人格と君を守りたいと願う気持ちを移しとって、君の守護を実行し続けてきたんだ。君が魔導薬のせいで肉体から離されて、その魂がはぜ割れかけた時も。僕が包んで保護し、深淵にあっても魂を丸ごと保って安らかな眠りにつかせていた」
背後のエルバイトがごくりと喉を動かしたのが伝わる。
「なら、やはり。ティロルは……ティロルこそ……」
「間違いなく、ロジンカだよ。僕がずーっと、深淵の暗がりでも、君の喚び出しに応えて擬似の肉体に宿らされた時も、魂の殻になって守ってきたんだから。そのせいで、ちょっと肉体の色に僕が影響しちゃったね」
撫子色の髪、目覚めて以降変わった赤橙の瞳を思い出す。
瞳の色は特に、炎翼輝石が陽に透けた時と似た色をしていた。
(それで、私は……)
「君の魂を守り続けた。そう……ロジンカに還った今もね。僕で包んで守っている」
「炎翼輝石……さん? 今そんなことをする必要があるの?」
「何度も君を包んで放し包んでなんてできないから、君が深淵へ行った時に包んだきりなんだ。ロジンカの肉体には細石みたいなかすかな聖女の魂の欠片と……」
炎翼輝石はエルバイトに視線を滑らせる。
「エルバイト、君ならわかるね、何をここに入れたか。君の罪もここにはある。僕はそれらからもティロルを守ってるんだ。僕がティロルを解放するというのは、彼女がそれらと一体になるということだ」
「エル様の罪……?」
強張ったエルバイトの反応から、それが良くないものだと察せられた。
「どうティロル、そういうもの自分に受け入れられる? ……とはいえ、選択肢は、ほとんどないな」
炎翼輝石が彼の右方向に手をかざす。
夕空に、王宮を囲む城壁の上にいるティロルたちと、巨大幽鬼が映し出された。
すべてが、ごく低速にしか動いていない。ただ、幽鬼が手に持っている長物は伸長しつつある。
「ティロルが聖女の力を振るうには僕という殻に篭っていては駄目みたい。ティロルを包むのをやめたら僕だって守りの力を動かせるから、アレを祓う助けになれるだろう。逆にこのまま僕がティロルの魂を包み続けるのは、よくないね。みんなそろってあの幽鬼に守りを突破されて、魂はアイツの腹の中──かな、大変よろしくない」
「なら私、耐えますから。私を解放してください炎翼輝石さん」
「ティロル!」
不安そうに瞳を揺らすエルバイトに、ティロルは小首を傾げて微笑む。
「ロジンカに還るときに一度した覚悟です。それで私がどうにかなっても、聖女の力を手にして幽鬼を祓いたい。それで国のみんなや……貴方を救えるなら」
「いい覚悟だ。じゃあ……行くんだティロル。がんばって──」
炎翼輝石の言葉が遠く間延びして、ティロルの試練が始まる。





