25.愛の在り処
エルバイトは頭を抱え込んで、左右に振った。音も聞こえないのではというほど、耳元を強く押さえて、目が潤んでいる。
「僕は、どう、したいんだ……これじゃ、ロジンカに会えないっ! ティロル? ロジンカ……?」
「エル様……!!」
煩悶するエルバイトがただ心配で、呼びかけた。
しかし、エルバイトは表情を歪ませる。
ティロルを直視できかねるといった様子で、彼は顔を背け拳を握りしめた。
「……くそっ!」
エルバイトはティロルに背を向け、扉を乱暴に開け放ち部屋を出ていってしまった。
「エル様! エル様ーーー!」
ティロルも立ち上がって後を追う。階段を駆け下り、聖堂を出た。
森の緑が滲む闇の中、薄霧を両手で分けて目を凝らす。
(どこへ──)
鼻をかすめた空気に、ティロルは違和感を覚えた。
(おかしい。ただの夜のはずなのに、とても不気味な感じがする……)
森に囲まれた暗さや侘しさだけで説明がつかない。
誰かが首の後ろへ息を吹きかけているような、不気味な気配がある。
先に行ってしまったエルバイトの居所がつかめず、左右を仰ぐ。
夜闇と霧に邪魔されて、目は役立たない。
「エル様ー! どこですか!? 答えてください」
ティロルの呼び声は、返事をもたらさず暗闇に溶ける。
それでも諦めない、正体の掴めない気配に怯えながらも声を張りあげた。
行き先に迷うなか、森の輪郭が閃光に照らされる。
破裂を予感させる乾いた音のあと、背筋を縦に割りそうな衝撃音が轟き渡った。
近くに雷が落ちたのだ。嵐でもないのに。
(──エル様は雷を使う。もしかしたら)
見上げると、天から紫電が地に伝い、数度またたくように雷光で一帯が白と化した。
(あの根元へ行こう。エル様かもしれない)
今しがた稲妻が下った地点を目指し、ティロルは急ぐ。
◇◇
闇に佇み影絵となった草木をよけ、枝葉に裾をとられても突き進む。
月光射す野原にたどり着いたティロルは、エルバイトの姿を見つけた。
しかし、そこで繰り広げられているのは、悪夢のような光景だった。
断末魔の表情をした、透ける生首が宙を舞い飛んでいる。
ボロボロと端から崩れる半透明の黒衣を纏った異形たちが湧いているのだ。
白く景色から浮くエルバイトに、異形たちはジリジリと迫っていた。
雷はさほどの対処にならず、彼は野原の端に追い詰められている。
(絵本で見たことがある、あれは邪霊と……幽鬼? 増えているときいたけど、こんなにも?)
歯を食いしばって腕を突き出し、エルバイトは邪悪なるものに雷電を放っている。
雷を受け、邪霊の一体が消し飛んだ。
しかし、幽鬼は歩をゆるめる程度で動いている。
「っく……お前らなんかの、相手をするどころじゃないのに」
きつく眦を上げ、幽鬼相手に退かないエルバイト。
だが、膝から力が抜けその体が傾ぐ。
「エル様────!!」
見てられず、つい呼んでしまった。
ティロルは自身の失態を悔やむ。
できることなどないのだから、せめて邪霊たちに気取られないよう大人しくしていなければならなかったのに。
呼び声によって、邪霊と幽鬼はティロルの存在を察知した。
「ティロル!? こんな時に。──くそっ」
禍々しい悪鬼の輪舞は、エルバイトからティロルへ標的を切り替えた。
「やあっ! こないでっ!!」
いまや聖女でないティロルに、邪霊と幽鬼に対抗できる術はない。
狙い定められただけで、背筋にゾワリと黒く針で千ヶ所を突くような、怖気が這い上がる。
ぎゅっと目を瞑った。頭を抱え、しゃがむくらいしかできなかった。
氷の匂いがして襲われかけて──温かい存在に抱きとめられて地面に倒れた。
庇ったティロルを離し、エルバイトは幽鬼たちの前で、両手を広げる。
まるでティロルを守るように。
(──エル様っ!)
エルバイトが、幽鬼に害される。彼の父親の前国王のように、心を喪う。やがては衰弱死してしまう。
全てがゆるやかにみえるのに、体がまったく追いつかない。
「ぐ……!」
幽鬼の骨の腕がエルバイトの胸に突き立てられ、禍々しい色をした鎌を引き抜く。
それを放り投げると、一体の幽鬼が受け取り嬉々として上空に舞い上がった。
「う……っ!?」
ついで、幽鬼はエルバイトから金色をした布のように輝くものを引き出し始めた。
「うあああ、やめ……それは──」
突如。
銀の鈴を鳴らしたような音が響いた。
「え……?」
エルバイトの胸を中心に銀の光が発生し、世界を銀に塗り替える。
空気は清廉に澄み、一切の音を吸い込んだようだった。
次の瞬間、放射状の光の筋が、幽鬼と邪霊を刺し貫く。
幽鬼は叫び、その漆黒の身は流れる砂と化していく。
最後に、たなびく黒い布切れが砂塵となって虚空に散って、幽鬼も邪霊も、野原から祓われていた。
静かになった野原で、エルバイトはティロルの肩を抱く。
「ティロル、大丈夫? どこも怪我はない?」
エルバイトが庇い続けたから、何もされていない。
エルバイトのほうが、幽鬼に胸をこじ開けられていたのに。
それよりも、なにもされなかったティロルを心配するとは。
「平気です。私よりエル様こそ。幽鬼に胸を貫かれて……」
「それが、不思議と大丈夫なんだ。……黒い武器を抜かれたけれど、どこか……すっきり、している」
奇跡的だ。
幽鬼に抜かれたあれは、魂ではなかったのか。
「そのあとの、銀の光は……?」
エルバイトは、目を伏せる。
「聖女が、愛した男は……聖魔力で守りを得る……」
「え?」
エルバイトは泣き笑いで、かすかに首を揺らした。
「ロジンカの、愛がある……? 憎まれていたはずの僕に、今も? 」
ティロルを見やったエルバイトは、震えた手をティロルの頬へ伸ばす。
「ティロル……もしや、君か? 君こそが……」
「エル様──」





