23.聡明王の発狂
ジャスパーの話を聞いて、ティロルはやっと納得がいった。
エルバイトは変心したわけでも、ロジンカを捨てて人柱にしたわけでもなかった。
ずっと、ロジンカを守ろうとしてくれていたのだ。
目元が熱い。
ティロルと、「捨てられたのではなかった、エルバイトは自分を愛し続けていてくれた」と、今になって知れて喜ぶ、ロジンカの心。
「まだ続きがあるのです、ティロル様。エルバイト様がインティローゼンを滅ぼし、子爵一家を捕らえて王都まで連れてきてからのお話です」
ジャスパーが、苦しそうに目を伏せる。
「エルバイト様は、ロジンカ様を取り戻すため、禁書を紐解き死霊術を学びました。膨大な魔力と人の痛みが必要で、会得は現実的でない術でした。しかし、エルバイト様はロジンカ様の死の一件で、できるだけの魔力を手にしていた。弟君やインティローゼン子爵一家を処刑し、死霊術の実験台兼エネルギー源としたのです。そして、重要なのはその後です──」
◇◇
ジャスパーはエルバイトの作り上げた聖堂へ付き添っていた。
ここへ来るのはいつだって、吐き気を催す。
聡明かつ清水の如く正大で、謀りや脅迫ですら嫌い抜いて使うことを拒んでいた彼は、いまや歪んでしまった。
主人の転落を見るのは、耐えかねる。
聖女ロジンカの喪失が引き金となり主人がここまで堕ちてしまったことを思うと、その存在が憎いくらいだ。
今日も、フェンスゲートを死者たちの悲鳴がわりに軋ませて開き、死が充満する会衆席の間を、身をすくめ歩く。
一方のエルバイトは、王都の大通りを行くふうな気軽さと明るさだ。
「ねぇ聞かせてよ、彼女の事を。どんな小さなことでもいい、ロジンカについて知りたい。彼女が僕と離れてから何を思って、どう過ごしていたか。些細な事でも知りたいんだ」
死霊を囚われ人にしたクリスタルの前で止まっては痛苦のエネルギー源にして、ロジンカの思い出を語らせる。
そのどれもが、彼女が冷遇に耐えてきた日々の思い出で、エルバイトを傷つけたと言うのに。
それでもエルバイトはロジンカの記憶を求め続けた。
もう本人がいないから、他者の記憶の欠片を集め、少しでもロジンカを感じようとするその様は、彼女への執着以外のなにものでもない。
領民、使用人、医師、それらから記憶を聞き出してはクリスタルを赤熱させて、苦悶にあえぐ魂を侮蔑する。
「痛いだと? 辛いだと? ロジンカは、きっともっと辛かった!」
そして、領地で最もロジンカと接した、コーラルの番になった。
「君には期待してるんだ、ロジンカと何度か言葉を交わしているって他のみんなも言ってるからね。さあ、彼女について覚えていることを聞かせておくれ」
ジャスパーは悪い予感がしていた。
あの人柱儀式にコーラルがした装い……ロジンカから強奪したドレスと装飾で豪華に飾り立てた姿をジャスパーも見ていた。
ロジンカへの悪意は明らかだったからだ。
「ロジンカは僕のこと何か言っていた? 投獄されて、助けにも行けなかった僕を、きっと不甲斐ないと思っていたことだろうな……」
自嘲気味に尋ねるエルバイトに、コーラルは決定的な毒をばら撒く。
「お姉様は、第一王子が暗殺未遂の犯人として投獄された事など知りませんでしたわ。ずっと第一王子が王太子だと思っていたはずです。領地の皆も会話を禁じられておりましたし、わたくしも、第一王子の事情など話さず、お姉様は第一王子に捨てられたとだけ言いました」
予想外の話に、エルバイトの目が見開かれた。
「知らなかった……? 僕が彼女を捨てたなんて、そんな馬鹿な!!! 頼りない男となじられていることだろうと思ったが、それでは……それでは……?」
エルバイトの余裕はすっかり消え去っていた。
「【王太子】からの毒を手渡されたお姉様は涙ながらに言っておりました『エル様……なぜここまで私をお見捨てになったのでしょう』と」
「う、うあ……あ、あああああああああああああああああぁぁぁ!」
コーラルの伝えたロジンカの最後の言葉はエルバイトの心を、戻りようのないほど破壊した。
「聞いてくれよジャスパー! ロジンカは僕が彼女を捨てたと思っていたんだ! ずっと、彼女をいたぶった苦境も、人柱にされることも全部僕が、やっていると、そう……誤解したまま死んだんだ!」
エルバイトは喉が裂けそうなほど、悲嘆する。
「そうか……ロジンカが僕を想い続けてくれていたのではと期待して、その欠片でも聞けないか、彼女の想いを知ろうと求め続けたが。なんて愚かだったんだろう! 簡単だったな! 僕は……僕はロジンカに恨まれ憎まれていたに違いない! あ……あは、あははははははははははははははは!!!」
聖堂に反響する狂った笑い声、歪な笑顔の主人の目からは涙が溢れていた。
かくして、エルバイトは決定的に狂ってしまった。
政務の最中も突拍子なく涙を流し始め、かと思えば大笑いし。
執政能力はさすがのもので微塵も鈍りはしなかったが、情緒の乱高下はとても人前にだせるものではなくなった。
有能な臣下が見出され、王が狂おうが壊れようが忠誠は篤かったので、表立った政務はジャスパー含む配下たちでこなした。
重要な決定は指示を仰ぐが、エルバイト当人には王宮の奥に引いてもらったのだ。
◇◇
組んだ手に涙を滴らせ、語り終えたジャスパーはティロルを見据えた。
「さあ、ティロル様。これこそがあなたの知らなかった一部始終です」
「う……、なんて……ことに。エル様……」
「その上で、どうですか? 貴女はどうなされたいですか? これで、エルバイト様を……愛せますか?」





