22.この手からこぼれ落ちたもの
「やはり、奴の不正が決定打だったな」
監獄棟の出入り口をくぐり、エルバイトはジャスパーに話しかけた。
弟が魅了の魔法で証人をつくっていた事実を暴いてやった。
他にも父王暗殺未遂犯の証拠をでっち上げていたことが、真の証によって明かされた。
エルバイトは罪を晴らし、オーレンとの立場の入れ替えを果たしたのである。
これでオーレンの王太子体制は終わりだ。
その座と権限を奪い、王太子に戻ったエルバイト。
ジャスパーはエルバイトの身に、王太子に相応しいマントを着せかけた。
普通なら王宮に凱旋といったところだろう。
しかしエルバイトは馬車に乗ると、すぐさま「インティローゼンを目指せ」と御者に言いつけた。
これにジャスパーは驚きの声をあげる。
「え、エルバイト様? インティローゼンには使いを立てて、一度王宮に戻ってお支度をしてからではどうですか!?」
「ロジンカが冷遇されているなんて、一分一秒でも耐えられない! 手紙をしたためて伝令をやるのでは遅い。すぐにインティローゼンに向かうのが、最も早くロジンカを窮状から救い出せる」
「しかしですね……」
「いいから。乗り心地は問わない。街ごとに馬を替えていいから飛ばさせろ」
同乗者として、揺れの激しい行程になる懸念を呑み込んで、ジャスパーも馬車に乗り込む。
「今すぐ僕が行って酷い扱いから助けてあげるからね、ロジンカ。苦労させた分、いっぱい幸せにしてあげる……」
美味しいものを食べさせて、しっかり栄養をつけさせる。
最新の甘味を食べに行ってもいいだろう。
マラカイトに最高のドレスを用意させて、たくさん試着をさせて着飾らせよう。
落ち着いたら夜会を開いて……これまでの舞踏会ではいつも最初の一回しか踊れなかったから、もう体面は気にせず、飽きるほど二人で踊ろう。
ロジンカを楽しませる案を考え続け、二人の時間を夢見るエルバイト。
彼を乗せた馬車は、暴走車と揶揄される速さで村落も街道も森も駆け抜けた。
インティローゼン領に着いたのは、頂点にあった日が傾き出す頃になった。
子爵家の門を抜け、子爵家邸の前に堂々馬車をつけたエルバイトは、出迎えの使用人に家人とロジンカを出すよう求めた。
しかし。
「今、屋敷にいない?」
「はい、インティローゼン子爵御一家と、聖女ロジンカは庭の奥の礼拝堂に行っております。これから、人柱をつくる儀式を行うので」
「人柱!? それはなんだ!?」
問わずにいられない、「なんなんだ、何をおこなう気だ」と詰め寄るエルバイトに、使用人はなんとか自分の知る範囲の情報を答える。
『王太子オーレン』からの命令で、新王宮の守りとして地下に埋めるため、秘匿してきた聖女を聖遺骸に変える儀式中であることを。
「王太子の命令だと!? オーレンめ! あいつそんな命令を残していたのか!! まずい! すぐに礼拝堂に案内しろ! 止めないと!! ロジンカ……!!」
案内を急がせた。
庭の奥に礼拝堂の建物が見えるや、エルバイトは全速力で走り出した。
息を切らせて礼拝堂の扉に手をかければ、内部から喝采の音が聞こえる。
バンッ。
大きく扉を開け放ち、エルバイトは内部に踏み込む。
突然の登場に、居並んでいたインティローゼン子爵家の面々は呆気にとられた顔をしていた。
エルバイトは、邪魔な彼らをかき分け、祭壇の下に探していた姿を見つけた。
「ロジンカ!!!」
簡素な白の衣装を着た、あまりにも衰弱が見てとれる女が倒れ伏していた。
「ロジンカっ、ロジンカ!!」
過酷な環境にあったろう、痩せた面差しであったが、エルバイトはロジンカを見間違えはしなかった。
ただ、時すでに遅く。
抱き上げたロジンカは息をしていなかった。
すべて、手遅れだった。
ロジンカは一切の生命活動を止め、代わりにその体から強い聖魔力を放って白光するだけの存在に成り果てていた。
「ロジンカ! あ……あぅ……あああ!!」
エルバイトの絶叫も、人形のようになったロジンカの表面を撫でるだけ。
「なんてことだ! なんで、こんなことに」
壊れてしまうのではというほど、きつくロジンカの亡骸を抱きしめ、エルバイトは顔を華奢な肩口にうずめた。
「僕はっ!! 君のために、君のためだけにここまで……ロジンカ、ロジンカぁ!!」
嗚咽に邪魔されながら、詫びても、意味がない。
「ごめん、知らなくてごめん、間に合わなくてごめん。ロジンカ、僕のロジンカ……」
その胸元から、ペンダントチャームがこぼれ落ちる。木枠の中は、からっぽだった。
ロジンカの名を呼ばわり、どうにか体温と鼓動が戻らないか、身体を撫でさすっているエルバイトに、我を取り戻したインティローゼン子爵が近寄った。
「え、エルバイト王子? 牢獄では? あの……私めらはオーレン王太子の命でですね……」
「お、……お前たちがロジンカを、こんな目に。こんなにも痩せ衰えさせて、その上、こ、殺したのかっっ!!」
「ひっ!」
激情。
ロジンカが崖崩れで死んだと、虚偽の報をもたらされたときよりずっと、激しく。昏く。煮えたぎる憎悪と切望。
ロジンカを返してくれ。
天に背こうが、地に舌をつけようが。
ロジンカをこの手に。
返せ。
返せ!!
(いなくなってしまった僕のロジンカを)
求めて仕方ない気持ちが際限なくエルバイトを昂らせる。
胸に渦巻く渇望は、それまでの彼では持ち得なかった魔力となった。
空間が割れて上位次元から叩きつけられたかというほどの、爆音がした。
視界は白く覆われ、劈く轟音に居合わせた者は身をすくめる。
礼拝堂の出口すぐの外に雷が落ちたのだ。
否、エルバイトが落とした。
こんなにも、魔力が充実するなんて。
心の虚と反比例するように、ロジンカを求める気持ちが無限の魔力となる。
(なんだってしてやる。力を使って。ロジンカを取り戻すためならば。そして今は……断罪の時間だ)
ぎゅうっとロジンカに抱きつきながら、エルバイトは爛々と光る翠の瞳でインティローゼン子爵を、その向こうの人々を見た。
ロジンカを追いやった者たち。ロジンカを貶めた者たち。
天から授かった聖女を、こんな無惨な姿にした者たち。
罪を償わせなければならない。
きっとそのために、天はエルバイトに魔力を与えたのだ。
断罪せよ。
聖女を死なせた者を、それを見過ごした者を、この土地は、もう存在から許せない。
猛烈な風の音が聞こえる。
エルバイトの喚びだした竜巻は彼の心を表すように荒れ狂い、乱れて収まらぬ天の気は雷を打ち続け、暴風に薙ぎ払われた家々の残骸は雷で着火し、上昇気流に煽られ燃え盛った。
こうして、インティローゼン子爵領は聖女が喪われた怒りを受け、滅びた。





