20. エルバイトの真実
パライバトルの第一王子、王位継承一位エルバイト。
それが当たり前の自分で、やがて国王になると、エルバイトもまた信じて生きていた。
「ロジンカときたら、最近はしょっちゅうキスしてきて、うんざり」
お目付役であるジャスパーにこぼせば、彼は笑い声をあげた。
「どうせ、頬にでしょう? 可愛らしいものです」
「頬じゃないなら、どこにするのさ」
そう返せばジャスパーは目元を押さえて困惑を口元に浮かべる。
「エルバイト様……あなたもそのレベルなのですか……これはこれは。まあ、色々なところにしますね。代表的なのは、やはり唇ですが」
「唇を塞いだら息苦しいし、前も相手しか見えないから危険じゃないか」
「……その辺りをどうするかは、キスしたくなる年頃になってから試行錯誤なさってください」
してみればわかるのでは? と、ロジンカに次に会ったとき唇へのキスの話を出した。
ところが、ロジンカはそんなこと考えたこともなかったと、反応がぱっとしなかった。
エルバイトもロジンカもキスを唇にする理由を説明できない。
それでも彼女が特別だということを示しておきたくて、エルバイトは宝物だった炎翼輝石を贈った。
石が光を反射して紅く輝くとき、それはロジンカの赤みのある薄紫の瞳にとてもよく似合っていた。
彼女にとって、婚約はまだおままごとの延長なのが癪にさわる。
だが、エルバイトはロジンカの幼くもひたむきな好意に救われていた。
他の人間ときたら、やがて王の座につく自分ばかり気にして、まだ八歳の子どもにも本心を抑えつけ、媚びて応対してくる。
エルバイトはこの歳にして、へつらわれてばかりとなるであろう人生を悟り、諦めてしまっていた。
それでも、敷かれた将来をそこまで悪いとは思わなかった。
王太子と正式に決定した際、エルバイトは王宮で王の伴侶候補として大切に育まれてきたロジンカと、初めて顔を合わせた。
ずっと同じ王宮にいたにもかかわらず「赤子の頃からずっと兄妹のように一緒に育っては、恋愛関係へ発展する時に難が出るので」という乳母たちの見解により会うことのなかった娘。
「エルバイト様ですね。『王太子』それは私の将来のだんなさまなのです。よろしくおねがいします」
「エルでいいよ。君、ずっと僕といるんだから。長ったらしい呼び名はよしてくれ」
「では、エル様で。ふふっ、きいていたとおりしゃんとした方ですね、エル様は」
初めて会ったとき、ロジンカは真っ白な仔犬を思わせるふんわりと、しかし芯が強く茶目っ気のありそうな幼女だった。
まっすぐな髪は丁寧に結ばれたリボンで飾られ、幾重ものレースがついたドレスを着て、まさに大切に扱われている銀の宝飾。
曇りない眼差しは、王太子としての将来に拗ねたエルバイトを優しくほぐした。
やがて王となってこの国の礎になり民に尽くし続ける。その実感が初めて芽生えた。
権力と引き換えに息苦しい人生だろうが、やっていけそうだ。
この小さな聖女ロジンカが共に歩んでくれると、約束が結ばれているなら。
エルバイトは周囲の期待からなんら外れることなく十九歳を迎えた。
ロジンカももう幼子ではなく、頬にキスをしてこない。
幼い頃に話題に出た、唇へのキスを求める年頃になっていた。
しかしエルバイトとロジンカの関係は手を繋ぐ、抱きしめる、までの清らかなもののままだった。
決められた結婚の実現は近い。ロジンカをゆっくり愛していけばいいと、エルバイトは高を括っていたのだ。
思えばこの頃のエルバイトは何かにつけ鷹揚だったのである。
いずれ自分のものになるのだから、時が満ちるまでゆっくりとでいいと。
玉座に対してもそうだった。
王となることを渇望し彼を追い落とそうとしているものがいるなどと、王子だというのに考えてもおらず。
そしてそれがすべて仇となった。
エルバイトがもっと疑り深かったなら、どんな手を使っても自分が得るものだから渡さないと、玉座へ執着が強かったなら、成り行きは全然異なっていたのだから。
◇◇
ジャスパーから報告を受けたのは事態がどうしようもなく固まってからだった。
「申し訳ありませんっ……事ここにくるまで何の兆候もつかめていなかったとは」
「僕が、父上の暗殺未遂犯、か……仕掛けたのはオーレン? それとも王妃? 両方だな」
ひと月前の地方行脚で起きた、父王の暗殺未遂。
王城の憲兵は必死で捜査をしていた。
エルバイトとジャスパーも独自に調査を先行させていたが、見つけた証拠がことごとくエルバイトを指すのである。
「やるじゃないか、僕を追い詰めるなんて……そうか謀略の経験差か。僕はそういうものをこれまで邪だと遠ざけてきたからな……ちゃんとそういうものにも取り組むべきだった……」
周到に張られた罠がしっかりと彼を囲い込んでいた。
父王や憲兵はまだ描かれた暗殺未遂犯人にたどり着いていないが時間の問題だ。
ジャスパーが進言する。
「エルバイト様、ロジンカ様との婚約を破棄したほうが良いでしょう。推定ではあと二、三週間で国王陛下は暗殺未遂犯が貴方だという捜査結果を受け取ることになる。そうなってからでは貴方と婚約しているロジンカ様もまとめて断罪されるでしょう」
「待ってくれ、まだ時間がある、なすりつけられた罪をひっくり返せないとは限らない」
「……早く私たちがつかめたものの、覆すのが難しい。盤上遊戯で言うなら完全にチェックメイトですよ。無事、真の暗殺未遂犯とその企みを証明できれば改めてロジンカ様との婚約も戻せば良い。今は手を打っておくべき時です」
「せめてロジンカに説明を」
「今、ロジンカ様と会わずに二ヶ月ほど経っていますよね? ならばこのまま会わない方が疑いが持たれにくい、一切接触がないほうがいいでしょう」
「……そうだな……僕が牢に入ることになる場合も、ロジンカは知らないほうがいいだろう。関わり合って、彼女まで累が及ぶのだけは避けなければ」
ロジンカも一緒に暗殺未遂に関わったとみなされれば、牢屋行きだ。
自分がぬかったばかりに嵌った罠に、彼女を道連れにすることは防ぎたい。
エルバイトは父王にロジンカへの一方的な婚約破棄を告げ、それは成立した。
これでロジンカは無事に済むだろう。
エルバイトは以降、表沙汰になる前に、己にかけられた濡れ衣を晴らすことに注力した。
しかし、証拠を覆せないばかりか、日毎に増える調査結果はエルバイトを犯人だと示し続け。
ついに、父王もエルバイトを暗殺未遂犯とする報告を受け取る日が来た。
父王は最初のうちこそ、エルバイトを信じようとする様子があった。
が、廃油のように、ねっとりと悪材料でできた疑念は、日増しに彼の心にこびりついていった。
そしてある日、疑いを押し止めていた心の堤防が決壊してしまったらしい。
「エルバイトよ。そなたが余を殺めようとした犯人とはな。そんなに玉座を急ぎたかったか。そなた、もっとこの国を良くしたいと、奇妙な政策ばかり通したがっておったものな」
「ちがいます!! 父上!! 信じてください僕は暗殺なんて企んでいない!! 嵌められたのですどうか、時間を……」
「証人がぞくぞく現れておる。どれも余の信頼する人間だ」
「父上! それは間違いなのですどうか、僕の方を信じてください、父上──」
そこ以降はどんなに違うと訴えても、王は固められた証拠と証言を信じた。
そして、エルバイトから王子としての権利のすべてを剥奪して、エルバイトを冷たい牢獄へ投じた。





