2. 第二王子の優越
腰をぎゅっと抱きしめられ、ドレスに皺が寄る。
「エル様……」
見上げればすぐ近くに、美麗としかいえないエルバイトの顔がある。
キスでもしそうな距離と雰囲気ではあるが、エルバイトはロジンカの唇に人差し指を当てて微笑んだ。
「まだ君は大人になりきっていないしね、とっておかせてもらうよ」
エルバイトはいつも紳士的だった。
幼い頃とは異なり、今では頬へのキスすら遠慮されている。
これほどまで、情熱的に抱きしめてくれるのに。
「今日のお茶は南方ヒエルドギマ産か、あそこは良い茶葉を出す。一緒に飲もう」
にこやかに着席をうながされ、ロジンカは席につく。
エルバイトは王太子として多忙なのだろう。婚約者としての定例のお茶会以外では、会える機会が減っていた。
時には数ヶ月と空くこともあった。
それでも会えばエルバイトはロジンカを強く抱きしめ、礼節を守ってお茶をしながら、国の内外のさまざまな話をしてくれていたのに。
最後に会ったこのお茶会から数ヶ月、ロジンカはエルバイトに会えなかった。
それどころか、突然の婚約破棄を言い渡されたのである。
この時、自分は何か失礼を犯したのだろうか。
思い悩んでいたロジンカだが、再び王に呼び出され、追って告げると言われていた処遇を伝えられた。
「聖女よ、先日婚約を解いたお前だが、聖女としての立場は心得ているであろう。そなたは第二王子と結婚させる」
なんと、ロジンカは第二王子の婚約者にされてしまった。
◇◇
聖女は、世に蔓延る邪霊や幽鬼を清め、祓い、彼らの侵入を阻む空間を保つことができる存在である。
ロジンカは七色に輝く真珠を握って生まれたことから、聖魔力と呼ばれる、魔法の魔力とは異なる力を持っていると見出され、聖女に認定された。
邪霊を祓ったり、浄化された空間を作る加護を与える。
聖魔力を虹真珠として現し加護するという、積極的な聖女の力は成熟しなければ使えない。
しかし、まだ幼く力が使えなくとも、悪意や魔法使用後の残魔力に寄せられて人の心を害する邪霊は、ロジンカの周辺を避ける。
王宮は邪霊をよせ付けやすい要因が多々あることから、聖女は生誕した際に王宮に迎えられ、王の配偶者となることがほとんどだった。
だから第一王子に断られたのなら第二王子に、というのは順当な流れである。
だがそれでは、王位の継承はどうなるのだろうか。
聖女を配偶者とすることは、王位継承においてかなりの高配点になるのだ。
第二王子はとうてい王座に値しない道楽者だった。
エルバイトがロジンカを手放し、第二王子と結婚するとなれば、王族のパワーバランスに計り知れない影響を及ぼすだろう。
第一王子のことばかり、未だ頭から離れない。
エルバイトに会うことを許されなかったロジンカだったが、第二王子とは早々に面会の機会が訪れた。
◇◇
第二王子と組まれた面会は会食であった。
王子は少し風邪気味とのことで、「夕食は自室でとる、ついては一人では物寂しい、ロジンカも部屋で一緒にどうか」と誘われたのだ。
(エル様の部屋にも入ったことがなかったのに、急に第二王子の部屋に招かれることになるなんて)
その唐突さに不穏なものを感じながらも、ロジンカは侍女を伴い第二王子の部屋に赴く。
ノックした音すら、重々しく感じた。
「聖女だな、入室を許す。入れ」
「では失礼します、オーレン様」
風邪だと聞いていたが第二王子オーレン・ギル・パライバトルは病みついたようすもなく、晩餐の用意されたテーブルにつき、ロジンカに相伴を命じた。
(体調を崩している方には、かえって負担になりそうな……)
豪勢なメインディッシュにナイフを入れるが、ロジンカはまったく食欲をそそられなかった。
晩餐越しに、相席に座るオーレンの視線がまとわりつく。
少し茶の混じった金の髪。異母兄弟ゆえエルバイトとどこか共通した面立ちをしているが、彼には嫌悪感のほうが先立ってしまう。
「やはり麗しいな聖女。その貴金属のような銀髪、薄葡萄色の瞳……唇など薔薇色でふっくらとしていて噛み心地がありそうだ」
背筋に冷えたものが伝って、ロジンカは食事の手を止めた。
言葉端に混じっている男の欲望が気色悪く、グラスを持とうとした指も震えている。
「なんだ、食べないのか。もう少し、その紅い唇が開いて、ものをくわえ入れる様をみていたかったのだが」
「オーレン様!」
二度目となれば、卑猥な事柄を匂わせるのはわざとだろう。
抗議のつもりで名を呼んだが、彼は改める気もなくいやらしく口角を上げていた。
「皆、下がれ。俺は婚約者どのと語らいがあるのでな。気をきかせよ」
給仕の者も、ロジンカが連れてきた侍女も、王子の命に逆らえない。
侍女達はロジンカを心配する目をしたまま、退室してしまった。
王子と二人きりになってしまい、ロジンカは状況への警戒で食事どころではなくなった。
席を立ち上がるが、オーレンも距離を詰めてくる。
「なあ婚約者どの、そんなに邪険にしてくれるな。兄上が夜会でそなたを連れ添っているとき、美しいそなたに対して俺も仄かな思いを抱いていたのだ。そなたは、我が国の誇る天使のように愛くるしい聖女。俺たちはゆくゆく結婚すると決まったのだ、仲睦まじくなろうではないか」
肩を抱いてくるオーレンは無遠慮すぎる。ロジンカは彼をにらみつけた。
「おやめください、行く末が決まっていても、婚儀はまだ先です。私はあなたと関係を進める気にはなれません」
「もちろん、兄上と色々していたのだろうから、婚約がすげ替わってすぐに俺と致す気になれないのは理解するが」
この王子は自分とエルバイトの関係をどう邪推しているのだろうか。
それだけでも腹が立つ。
ますます軽蔑の目で見るロジンカだが、オーレンはそんなことも気にせず彼女の手首をつかみ、続きの部屋に連れて行く。
晩餐をとった部屋のすぐ脇にはオーレンのベッドがある。
そこまで乱暴に引かれ、ベッドの上に投げるように放り出された。
すぐさまベッドから起きあがろうとしたロジンカを、オーレンが押さえつける。
「あれこれ言葉を並べるのも面倒になってきたな。兄上が手放したとはいえ、そなたは兄上と関係のあった女。兄上よりも俺がよいと、その清楚ぶっている口から言わせて気晴らししたい。大人しくされよ」
「そんな、そんな邪な思いを仮にも婚約者に、聖女である私にしゃべって恥ずかしくはないのですか!」
王子とはいえ、彼の無礼はあまりにすぎる。
ロジンカが国王に訴えれば、諭してくれることだろう。
「ふ、ふふふ。意味がない。あなたは父上にでも俺の行いを訴える気なのだろうが。そんなことにはならない」
オーレンは舌を出し、ドレスからのぞくロジンカの首筋をこれ見よがしに舐めた。
「い……いやっ」
さらにドレスの胸元を押し下げられそうになり、ロジンカは抵抗する。
「やめてくださいっオーレン様! 私はっ、このようなことっ」
「なに、すぐに快くなるであろう、こちらを向け」
オーレンの掲げた左手に魔力が集まるのを感じた。
膨大な魔力の塊である青い焔のような揺らぎが現れる。
ロジンカは知識としてしか知らないが、これは。
(人を魅了する魔法。なぜこの人がこんな術を)
オーレンは魔力こそそれなりに高いと噂であったが、人心に干渉できる魔法は使用に相当の魔力が必要なのだ。
彼はずっとそれを行使できる実力を隠していたのか。
「さあ、この魅了で、俺に心を預けるがいい。聖女よ」