18.聖堂地下で繰りひろげられた
「ロジンカは……もう亡くなっていますよ。……貴方が、彼女を死に追いやったはずでしょう?」
うっとりとロジンカに頬寄せ美しい微笑みを見せていたエルバイト。
それが、あっという間に歯牙を剥き出し、怒りの形相になる。
「そんなことまでジャスパーから聞いたのか。それで? 僕は諦めない。絶対に彼女を取り戻す。どんな犠牲を払おうと知ったことか!」
水晶細工を扱うように、エルバイトは丁寧にロジンカを台座に寝かせた。
「残りの話はロジンカの前ですることじゃない。下へ行こう」
意識もないロジンカにそこまで配慮するか。
エルバイトはティロルの腕を取って、階下へと引っ張る。
聖堂入り口のあった階から降りて地下階へ──
地下は礼拝堂になっていて、壮麗なフェンスゲートがあった。
ステンドグラスの真下の祭壇まで、真紅の絨毯が敷かれ、左右に席が用意されたそれは、結婚式の際に誓いを行う場所そのものだ。
ちゃんと左右の席に参列者の人影がある。
「ひっ……」
ティロルは息を詰めた。
これを人と言っていいのだろうか?
彼らは席にかけることもなく起立したきりだ。
そもそも着席できるかもわからない。
何十人もの人間が、等身大の大きさのクリスタルの柱の中に囚われていた。
物音ひとつ立てず、水晶柱は参列者のように静かに佇んでいる。
「どう? 僕とロジンカに縁のある人ばかりだから、挙式風にして並べてるんだ。ほらこっちが僕の親族席だよ」
ティロルは恐る恐るすぐ左のクリスタルを見やる。
(……オーレン王子……王妃……)
哀れな様子に、声にならない。膝が小刻みに震えてしまう。
「僕はね、死霊術が使えるんだ。魔力だけじゃなく、痛苦だとか、悲嘆とかも代償で必要とする術なんだけど」
エルバイトがオーレンの水晶柱に手をかざした。途端に、クリスタルの内部に赤い光が灯り、チラチラと赤い結晶が舞い落ちる。
「ぐあああっ! 熱い!!!」
その様子に恐れながら、ティロルはエルバイトに尋ねる。
「なぜこんな……ひどいことを!? 彼は死んだのでしょう?」
「そうだね、肉体は死んでもう墓の下だよ。でも魂は違う。処刑で首を斬った時そのまま死霊術で魂をとって、この水晶柱に詰め込んだんだ。これは間違いなく、僕の弟、オーレンだよ。死んだけど、ちゃんと会話もできる」
エルバイトはオーレンの水晶柱に手を当てて、問う。
「ねえ、オーレン。君は僕の弟でありながらどうしてこんな目に遭うほど怒りを買ったかわかってるよね? 言ってごらん」
地の底から絞り出すように陰鬱な、感情の消えた声が響く。
「聖女を……押し倒し、その胸元に口付けました……」
エルバイトが水晶柱の表面を撫で、内部にますます赤が舞い散った。
「だって! 信じられる? この薄汚い愚弟は、僕が大切に大切に慈しんで、口付けすらまだだったロジンカに、盛りついて穢そうとしたんだよ?」
水晶柱の内部に、ボコボコと気泡が湧き立った。
堂内に、哀れとしか言いようのない悲鳴が反響する。
「こうすると熱いだけじゃなく、痛みも倍増するんだ。ティロルの前だからね……君は今日はこのまま置いとくぐらいで済ませてやろう」
カツカツと、靴音を高らかにしエルバイトが対岸の席に移動した。
「で、こっちがロジンカの親族席なんだ」
示されて視線をやった先には、インティローゼン子爵夫妻、そしてコーラル。他インティローゼン邸で見た衛兵や使用人などの顔があった。
皆、水晶の中に囚われ、無気力な顔で立っている。
ティロルは口元を手で覆ってしまった。そうしないと、叫び喚いてしまいそうで。
「ほら、この娘なんか。コーラルっていうんだけど、底意地の悪い娘なんだよ。僕が贈ったものをロジンカから取り上げただけじゃなく、自分が身につけて、その様子を彼女に見せびらかしたんだ」
エルバイトの顔が険しくなり、案の定、コーラルの水晶柱を赤熱させる。
「助けて! 痛い! 熱い! ずっと辛いの!! 死なせて、どうかもう死なせてくださぃぃぃ!!!」
上がったコーラルの絶叫を聞きながら、エルバイトは吐き捨てた。
「お前なんかが身につけていいものじゃなかった。僕が、彼女のために用意したものを。この性根からねじ曲がった、薄っぺら勘違い女が」
「ひいいいいいいい! 聖女様!! 申し訳ありませんでしたああああああどうか天より奇跡を! もう終わらせてえええええいたいいいいいいい!!!」
耳をつんざく絶叫。
なんて苦しそうな、そしてどうにもしてやれない。
不甲斐なさに、ティロルは握った手首に爪を立てた。
ロジンカは、コーラルに思うところがなかったわけではない。
「なぜこうも当てつけを?」と嘆いたこともあった。
しかし、命を奪われ、その後何年間にも渡りこうして痛めつけられるほどのことをしたわけではなかった。
「……狂っている」
ティロルの非難めいた呟きを、エルバイトは肯定した。
「それが? 狂ったと言ったろう?」
エルバイトは、その神々しい顔を爪が立つほど鷲掴み、うずくまった。
「僕がこうやってロジンカや僕に楯突いた連中の死体と死霊をいたぶって、喜んでいると思う? 違うよ、僕だって、できれば誰かを痛めつけたりなんかしたくない!!」
絞り出すように、苦しそうにする。切なげな表情に、ティロルはかつてのエルバイトの、優しさの残骸を見た。
「でも、仕方ないんだ……! ロジンカを取り戻すためには死霊術には誰かの痛苦が必要なんだ!! ロジンカにまた会うため……そのためなら、彼女をいたぶった連中にその代償を払ってもらうしかないだろう!!」
「だからって……」
「僕が自分を狂ってると思うのは、こんなことを続けたからだけじゃないよ」
エルバイトは、指先でこめかみを押さえた。
「僕は……ロジンカがわからないから」
「わからないって……? エル様?」
「この水晶の虜囚たちと違って、僕はロジンカの魂を手元に置けなかったんだ。まだ死霊術に目覚める前だったし、彼女の死に際にも間に合わなかったから。ロジンカの魂は深淵へ逝ってバラバラになってしまったことだろう……」
エルバイトが目の下に爪を立てて下ろし、掻き傷ができる。
それは彼の血の涙のようだ。
「一生懸命、彼女の魂を呼び続けているのに叶わない。記憶の欠片だとか、似て非なるものばかり呼び寄せて」
そんなにも、試したのか。死霊術なるものを。
「それらを壊しているうちに気づいてしまった。もう僕はロジンカがわからない。真のロジンカ、それを判断できる指針が、いつの間にか僕からなくなってしまった……」
「エル様……」
「ある種の鳥は、一声聞けばどんなに紛れていても伴侶がわかるんだって。羨ましいよ」
口元は穏やかな弧を取り戻したが、その目は遠くを見ている。
「僕はわからない。いつもいつも、彼女の欠片ばかり引っかかって……」
エルバイトの視線が、ティロルへと滑る。
「ティロル、君もそうだ。君は彼女の『情緒』が核になった存在、その時々の情動を与える魂の欠片。でも……足りない。僕は僕と将来を誓い合い、僕を恨んで死んでいった彼女に会いたい。ちゃんと、謝りたい、恨まれたまま終わりなんて……耐えられない」
焦燥する様子がいたわしく、思わずティロルの手が伸びた。しかしそれを振り払い、エルバイトは涙を流して床に肘をつく。
「僕のロジンカ……ロジンカっ、深淵を幾度もかき分けて呼んで。求めているものが真であると判断することができないのに、求めることを諦められない。これを狂っていると言わずしてなんだ!!」
心から嘆いているはずなのに、エルバイトは嗤う。美しく、悲壮な哄笑が反響する。
寒々しく光の移ろう水晶の檻、澱んだ地下、焼ける蝋燭の匂い、悲嘆に身を任せるエルバイト。
あまりのことに、ティロルの張り詰めた精神の糸に限界が訪れる。
ふらついたかと思えば頭から血の気が下がったらしく、くわんと世界がたわみティロルは知覚を手放した。