16.ロジンカゆかりのもの
仕立て屋での穏やかな日々は続いていた。
ここへ送り込んでくれたジャスパーはどうしているだろう。
(私を外に出したことで咎められていませんように)
エルバイトも……自分を諦め、忘れてくれるだろうか。
最近、衛兵の行き来が減ったというので、ティロルは仕立て屋の周囲に出るようになっていた。
頼まれていた聖光灯を店の軒先にかける。
暖かみのある白い光がほわほわと店を照らす。
この光は魔導の産物で、邪霊除けになるそうだ。
パライバトル王国はこうやって聖女がいなくても魔導で邪を祓っていた。
聖魔力と同等の光を放つ魔導具は、城下町のかなり下層にも普及している。
次の時代にはもう、聖女という存在は必要なくなるのだろう。
もっと早くに開発されていれば、ロジンカもエルバイトの聖女として見出されなかっただろうに。
出会った事を後悔しているか?
(いいえ)
小さな胸の内の問いに、しっかり否定する自分がいた。
ロジンカの恋情だ。
何度、命を利用されるそうになっても、それでも愛しいものだと思うなんて。
そう気持ちを湧き上がらせる、在りし日の記憶が切なくて。
ティロルは思い返さないよう蓋をする。
不毛なのだ。
どうせ自分は作られた存在。
この熱い心の源泉たる記憶も、エルバイトによる擬似的なもののはず。
仕立て屋の戸をくぐり、ティロルは手元にある雑用に気持ちを移した。
◇◇
就寝前のベッドで持ち込んだ図鑑を開く。
眠気が訪れるまで、仕分け作業に役立てるための知識をつけるのが日課になっていた。
宝石の図鑑をぱら、ぱらりとめくる。
王宮にいた時代から馴染んで知っているものもあれば、異国の地でとれるどんなものか見当がつかないものまで、図鑑では、さまざまな宝石が紹介されていた。
色別に掲載される宝石たちを覚えながら、ページを手繰り、あるページで手が止まる。
『炎翼輝石』
大切な思い出のある石。
今となっては失ってしまった石。
図鑑に描かれたものはロジンカが持っていたものより淡い、撫子色と薔薇色で、四角い結晶だった。
記載によれば、この石は産地と個体により形や色味に幅があるらしい。
炎の翼のような尖った形のものも、赤橙に輝くものもある。
古くから魔力のこもった魔石、持ち主の魂の守り手として重宝されると書いてある。
炎翼輝石、ロジンカが唯一手にできたエルバイトの心の象徴。
(エル様はなぜ探していたんだろう。ロジンカの体と一緒にあるはずなのに。探していたということはロジンカごと行方不明になったのかしら)
ティロルは図鑑を閉じて腕組みする。
自分は擬似的な存在かもしれない。でも現状に区切りをつけるには、もっと向き合う必要があるのではないか。
ロジンカの記憶と。
少しずつ、整理をつけていこう。
自分の中のロジンカ。報われなかった事が悲しかったからといって、目を逸らしていれば自分は自分になりきれない。
気持ちも新たにテーブルの明かりに手を伸ばしたところでノックの音が響く。
静かに入ってきたのはヘミモルだった。
「ヘミモルちゃん、どうしたの? 心細くなっちゃった?」
入り口に立っていたヘミモルが、コクリ、とうなずく。
「いいよ、私も今日はちょっと心細い気分なんだ。一緒に寝ましょう」
ヘミモルはそっとロジンカのベッドに入ってきた。
言葉は交わせないが震える手を握りあって、二人で眠りへと落ちていった。
朝になってヘミモルと一緒に階下に降りて、マラカイトに苦笑された。
「またティロルのところで寝てたのかい! よかったねえ、ティロルがやってきて。ティロル、あんた、ありがとね。ヘミモルは寝が浅いんだ。あんたといる夜はよく眠れるんだろう、日中よく働く」
テキパキと動き始めたヘミモルが小間使いに出てから、マラカイトはティロルに語り出した。
「あの娘はインティローゼン領の生き残りなのさ」
「生き残り?」
インティローゼンの音の響きに、思わず恐怖が込み上げる。
しかし、それ以上に、「生き残り」という言い方が気になった。
まるで大部分が死んだようだ。
「……ああ、インティローゼンは今では地図から名前の消えた領地だよ。あの子が三つの時、インティローゼン領の大災害と大粛清があってね」
「なんですかそれ!? 教えてください……」
激しい動揺がティロルの体を震わせる。
インティローゼンはロジンカにとって悪い思い出しかない場所だった。
それでも、見知った人と領地に不幸が訪れたと聞くと、胸が締め付けられる。
「あんたくらいの年齢だと知らないほど年月がたった、という事なのかねえ。インティローゼンは辺境近い領地だった。聖女様の出身地だったんだ。その聖女様が里帰り中に馬車が崩落に巻き込まれてしまって、聖女様が亡くなられてね。しばらくしたら今度は大嵐に見舞われて、雷と竜巻で領地はめちゃくちゃになった」
マラカイトが、玄関の方を見遣る。
「ヘミモルもその時に両親を失って、ショックだったんだろうね、口が利けなくなって。わたしは保護されてたのを見習いとして引き取ったんだ」
「ヘミモルちゃんにそんな事情が……」
「前国王が亡くなって即位やなんやで慌ただしかったんだけどね、そのうち前国王の死が陰謀によるものだって言われてさ。犯人だと陛下の弟一族、関わったインティローゼン子爵周辺が粛清されたんだ」
「……え?」
話がロジンカやその周辺にいた人達に飛んだ上、あっさり語られる粛清されたという単語。
理解が追いつかない。
(伯父様、伯母様、コーラルは? 粛清って何をするの。弟って、第二王子オーレン様?)
「みんな、投獄されたのですか?」
「まさか。みんな刑場に引っ立てられたよ……首を斬られた」
あまりのことにティロルはふらついて、手近な棚に手をついて体を支えた。
「ティロル、ティロルっ、大丈夫かいっ」
「大丈夫です。ちょっと立ちくらみしただけです」
「……あんたみたいな優しい子には辛い話だったね、もう少し上で休んでおいで、今日はヘミモルがよく動いてくれているしね」
「ありがとうマラカイトさん」
あまりのことにティロルの中のロジンカが叫んでいる。
ロジンカに冷たくあたってきた人達だった。
それでも、顔も声も知っていてまざまざと思い浮かべられる人が処刑され、ロジンカの出身地の人々も大災害という不幸に遭っていたなんて。
ティロルはベッドのそばにたどり着くと手を組んで祈った。
もう聖女ではないけれど、せめて失われた人たちが安らかであるようにと。
落ち着いたティロルは、マラカイトの心配にから元気で応じ、雑用に戻った。
窓の向こうが薄暗くなったのを見て、聖光灯の支度をする。
マラカイトの話では最近、聖光灯をつけない郊外では邪霊が増えているそうだ。
幽鬼の目撃例も増えていると、よく聞くと。
軒先に聖光灯を吊り下げに出て、昇った満月を見る。
ここにきたばかりのころ、満月を見て、今日が三回目、もう二ヶ月が経ったのか。
(私、王宮を出られてよかった)
あそこで過ごした三ヶ月以上に、たくさんの事を知った時間だった。
しみじみと、感慨に耽っていたティロルだが、影がさしたことで後ろに人の気配を感じた。
「見つけた…………ティロル」
背後からかかった声に振り向けば、エルバイトが立っていた。
物陰にいる彼の瞳は夜闇より暗く染まり、ティロルは怯えに、動きを凍りつかせた。
(見つかって、しまった……)
この国王から、逃れる術はティロルには、ない。