14.甘い痺れは毒のせい
「そんなはずないわ!」
エルバイトが、ティロルを殺す?
これには温厚なティロルも怒りが湧いた。
エルバイトがそんなことをするはずない。
彼はティロルを愛してくれている。目覚めてからいつだって、ティロルを大切にして楽しませることに心砕いてくれていた。
「ティロル様……ショックでしょうが、落ち着いてよく考えながら聞いてください。エルバイト様は貴女を真に、自分の伴侶となる女性として愛しているわけではありません」
胸が張り裂けそうな指摘だった。
そんなもの事実だと、認められない。
「嘘よ……、エル様はちゃんと私を愛してくださってるわ!」
「あの方は貴女に『愛してる』あるいは『好きだ』と言いましたか? 告げられたことはありますか? 」
「それは……!」
ある、と言おうとして、ティロルはそんな言葉が手元にないことに思い当たった。
エルバイトはいつも『かわいい』『綺麗』『楽しい』と言ってくれるが、ティロルに恋愛感情を持っていると、言葉にしたことは……なかったのだ。
「貴女を恋しい、あるいは恋人にすると、言われましたか?」
違和感が形を持った瞬間だった。唇を噛み、ジャスパーを見返す。
「あの方と貴女の関係は、ジガバチと毒を注入され痺れさせられた青虫のようなものなのです。エルバイト様は愛に似た紛い物の毒で貴女を麻痺させた。そうやって痺れて動かない貴女の命を、己の目的に使うつもりなのです」
「そんな、そんなっ、私……信じられない……」
「私は今から自分の忠義も、命も捨てる覚悟で貴女を逃しにきたのです。どうか、一時逃げて、その先であの方が愛の紛い物で貴女の心に与えた痺れをとって、冷静さを取り戻していただけませんか」
ジャスパーが差し出した、白い手袋をはめた手を、凝視してしまう。
ティロルの不信は形を得た。
次々とジャスパーの話のほうが辻褄があっていると、ティロルの冷静な部分が叫ぶ。
かつて、あんなに笑顔を向け、大切そうに扱ってみせたロジンカを、見捨てて人柱にせよと命じたエルバイト。
なら、ティロルだって、同じように『使い捨ての存在』なのかもしれない。
動揺したまま、ティロルはジャスパーの手を取った。
了承と受けとったのだろう、そっとティロルの部屋から出たジャスパーは程近い場所の壁をコツコツと叩いて、魔法の込められた秘密の通路を開く。
「まずはここを通りましょう」
手を引かれ、ティロルは隠されていた暗がりに身を躍らせた。
暗がりを通るためだけのささやかな灯りを掲げ、ジャスパーが先導してくれる。
「ここからは時間との勝負になりますが、可能な限り、エルバイト様が貴女に伝えずにいた事柄を暴露させて頂きます」
確認するように振り返ったジャスパーに、ティロルは頷いた。
ここまで来たら、毒を食らわば皿までだ。
「貴女はご自分の存在に疑問を持っていたのに、誤魔化され続けてきましたね?」
「え? ええ。そう……エル様は訊いても答えてくれなかった。あなたはなにか知っているの!?」
「知っています……覚悟して聞いてください」
ごくり、と唾を呑み込んだティロルに。ジャスパーの声が刺さる。
「ティロル様……貴女はエルバイト様の魔法で作られた擬似人間なのです」
「え──?」
何事かと思う。
擬似人間とは? では、自分は人ではのないのか。
ついに明かされた真実に、戸惑う。
けれど、エルバイトの愛すら疑わしいのだ。もはや何が覆ってもあり得ることのように思える。
「……私はエル様がお作りになった存在なのですか!?」
「あの方は膨大な贄と代償を支払い魔法で作りだした肉体に、深淵から喚んだ魂の欠片を入れて、貴女のような存在を作り愛玩するのです。貴女で、もう三人目です」
「三人目……」
先にいた二人のティロルの仲間も、エルバイトにかわいがられ、彼と戯れていたのだろうか……?
「他に、二人もいるんですか? 今は一体どうされて……」
「みな、死にました。愛玩ぶりが激しくなり頂点を越えたところで、エル様はある日突然に、つくった擬似人間を殺してしまうのです」
「それで……私もそうなると……」
「……はい。……いや! そうはさせません。貴女は私が安全なところに逃がします」
「……っく、ひっく、っく」
空いた手で涙を拭っていたが、嗚咽は隠せなかった。
離れなければ、殺される。
なら結局ティロルがエルバイトのそばにいられるなど幻想だったのだ。
今度こそ愛されるなんて、とんでもなかった。
こんなに、恋しいと思う気持ちも、ロジンカの時からの何をされても彼を慕う記憶も、心も全て計算されて作られていたのだろうか。
「ティロル様……向こうに着いたら、早くお忘れください。エルバイト様の愛というのは始めから終わりまでただただ……」
ジャスパーの言葉は途切れた。
隠し通路の出口に着き、王宮の廊下へ出るからだ。
しいっと人差し指を立てられて、ティロルも静かに行動する。
ジャスパーは王城から城下街に輸送する荷箱の一つにティロルを入れた。
「これ、布や宝石が入っているけれど」
「元よりそれらに紛れてもらう予定です。あと、この手紙を避難先の者に渡して下さい。上に布をかぶって、配送が終わるまで出ないように、数時間……遅くとも夜には出られるはずです」
なら、ここから先はジャスパーは来ないのか、不安が増すティロルに、ジャスパーが初めて微笑んでくれた。
「私は王宮で時間を稼ぎますから」
「それでジャスパーは、大丈夫なの?」
「全力でしらばっくれますよ。露見して懲罰を受けそうなら、戦います。私はエルバイト様に魔法の稽古もつけていたのですから」
おどけて腕を曲げて見せるジャスパーに、ティロルは安堵した。
それなら、ティロルが去ってもジャスパーは平気なのだろう。
「ジャスパー、教えて。どうして私をここまでして逃してくれるの?」
ジャスパーは肩をひと上げした。
「目覚めてまだ日がない頃、無垢だった貴女が無邪気に世を楽しんで笑う姿が好きでした。……失われていいものではない、そう思ったんですよ」
「ジャスパー……」
「うまく誤魔化し通せて、エルバイト様が貴女を諦めて、お互い無事のままほとぼりが冷めたら……当分先でしょうが。そうしたらきっと私は貴女の元に、様子を見に行きます。ですから、それまでどうぞお元気で」
安心させるようなジャスパーの強い意志の宿った瞳が、荷箱の蓋で隠れていく。
完全に閉ざされた箱の中、布を被り、いくつかの宝石をその上に乗せ、ティロルは荷物の中に身を潜めた。