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12.不協和音は聞こえない

 月の光だけが明かりの青白い居室で、エルバイトが城下町を見下ろしていた。

 彼の腹心であるジャスパーは、静かに主の横に控える。

 そして、窓の向こうだけ見つめ続けるエルバイトに訊ねる。


「本当に、そうなのでしょうか。確信するには早くはありませんか?」


「僕が確かめた。彼女は炎翼輝石の行方を知らなかった。それなら、ロジンカではないと考えるべきだろう」


「まだ断定が早いと思います。ティロル様は貴方の求める存在に近いのでは? 彼女でいいのではないでしょうか。せっかく喚んでお手元に来たのです。それを、無闇な扱いをするなど……」


 重い音をたてて、鋳物のオブジェが落ちた。エルバイトが、感情を抑えきれずデスクにあったものを弾いたのだ。


「黙れ」


 主人から怒りを向けられて、ジャスパーは沈黙する。


「そもそもは、お前が余計な口を挟んだせいでもあるんだ。思いやる心だとか、真っ当な判断なんて……無視すればよかった。もっと我儘に、所有欲のままにいればよかったんだ。断罪されようが、投獄されようが。ずっと……彼女と運命を諸共にしていれば……こんな……、こんなことには」


 エルバイトは崩れ落ち、激しく悲嘆に暮れ始めた。

 こうなったら感情の波が収まるまで、何の刺激もしないのが一番早く落ち着く。

 ジャスパーは髪の毛一筋だろうと動かさず、主の指示があるまで待機した。


「……ティロルはいずれ還す。僕の目的のために。今までも、今のも……そのための命だから」


 礼をとったまま動かないジャスパーの態度を了解ととったのか。冷静さを取り戻したエルバイトは居室内を振り返り、冷たく命じる。


「もういい、去れジャスパー」


「御意に」



 ◇◇



 ティロルが王宮で目を覚ましてからひと月以上が過ぎた。


 というのに、毎日がエルバイトに猫可愛がりされ、用意された楽しみに興じているうち終わってしまう。

 現状把握は目覚めた日からほとんど進んでいない。


 ロジンカだったはずなのに、変化した肉体で生を謳歌する今のティロルとはどのような存在なのか。

 ティロルとして目覚めるまでの間、どうして王宮はこうも別物になったのか。

 エルバイトはティロルをどうする気でいるのか。


 すべて気になる事柄だ、とくに先の二点はしっかり把握しているべきなのに。

 聞こうとすれば誤魔化され、はぐらかされた。

 最近はエルバイトは知っているのに伝えるのを避けているのでは、とすら思えてきた。


 そして、それらの疑問が些細に思えるほど、『エルバイトがティロルとどういう関係でいるつもり』かが、気にかかる。


(唇にキスしてくれた、ということは……婚約者以上、なのかしら)


 唇にキスしてもらったという事実に浮かれた。

 けれど、公的に認められた聖女で、婚約者であったロジンカとは違う。

 ティロルは聖女とは認定されていない。


 そもそも、かつて身に溢れていた聖魔力が、この身にはないのだ。

 ティロルの肉体は聖女のものではない。

 なら、身分の得ようもない。


 王となったエルバイトの結婚相手には、とうてい認められないはずだ。


 なのにキスをして婚約者のとき以上に、恋人のように毎日触れ合ったり一緒に行動したりして。


(私、エル様の妾になるの……?)


 となると、エルバイトの愛を受けられる代わりに、彼が王として王女なり貴族令嬢なりを王妃として迎えるのを、そばで見続けなければならない。


「ティロル、今日はどうしたの?」


 ティロルの部屋に来ていたエルバイトに不審に思われたらしい。


「なんでもありません」


 首を左右に振って、不安を濁した。


「エル様こそ、ここに来て、もう二時間経ちますよ。大丈夫なのですか? 今日は王様として会議に出ると聞きました」


「ああ、そうだよ。……みんな集まっている時刻だ、行かなきゃ」


 時間に気がついたエルバイトは慌てて扉に向かっていった。


「じゃあティロル、また会議が終わった後で!」


 来客の去った部屋で、ティロルは手持ち無沙汰になり、部屋の整理を始めた。

 片付けというか、主な作業はプレゼントの開封である。


 エルバイトが手配したドレスやアクセサリー、生活に必要な小物が毎日、大量に届いた。

 まだリボンが解かれていない箱があり、チェストの上や、周囲の床にうず高く積まれているのだ。

 未開封の箱は、部屋を整える侍女たちでは手出しできず、片付かないのだ。


(たくさんもらったけど、でも、エル様から贈られて一番嬉しかったアレはない……)


 炎翼輝石を持っていないことが、心を痛ませる。


(エル様だって探している。ロジンカに贈ったものを? なぜ今?)


 ロジンカは死んで、その遺体はどうなったのだろうか。

 予定通り新王宮の地下に埋められたのなら、あの石もそこにあるはずだ。


 『新王宮』──ティロルは時の経過を念頭に入れていなかった。

 それはまだ建設中のイメージがあったせいで。

 しかしティロルの断絶の間に、七年近く経っているのである。

 この奥王宮と呼ばれる場所、それこそがロジンカであったときに建設されると言われていた、新王宮なのではないだろうか。


 なら、今立つこの場所のずっと下には、聖魔力を放ち続けるように処理されたロジンカの遺体が……。


「──うっ……」


 恐ろしさに立ち眩みがして、ベッドに腰掛けた。 


 視点の高さが変わって、テーブルの下が目に入る。

 王宮の文書規格サイズの紙が一枚取り残されていた。拾ったそれには、都市計画にまつわる事柄が書かれている。

 きっとエルバイトが会議の資料を落としてしまったのだ。


(エル様が必要とするはず、届けなきゃ)


 書類を手に自室を飛び出した。

 エルバイトはどこで会議をしているのだろうか。

 奥王宮ではないだろう、ティロルは奥からの出入り口と思われる壮麗なアーチまで来た。

 蔦と花の浮き彫りと塗りが為された扉を、覚悟して押せば、ゆっくり開く。


(あっ! ここは!? 知っている! ここは私の育ったパライバトル王宮!!)


 アーチの先はロジンカだった頃に見知った王宮だった。

 カーペットや壁の絵画に変化はあるが、王妃の部屋の近く。王妃と、彼女の産んだ第二王子の部屋がある棟。


 ティロルは通ってきた扉を振り返る。


 かつて、この奥には王妃のサロンと、彼女専用のドレス工房や第二王子の乗馬場などがあったのだ。

 それらを潰して、奥の王宮は建てられていたことになる。


 自分たちの設備を潰して別のものを建てることを、あの第二王子や王妃がよく許したものだ。


 それに、この一帯は奥の王宮に行くための通路になる。

 オーレンやその母が、自分たちの居室の前を人が行き交う通路にすることを許容したのも、信じられなかった。


(それとも他の棟に移られたのかしら)


 廊下を進むと、第二王子の部屋の前に行き着いた。

 最後にここに来た際の不穏な記憶がよぎる。ここで、ロジンカは不名誉な濡れ衣を着せられ、あとはインティローゼンに送られたのだ。

 その扉の前で立ち尽くしていたティロルだが、背後から声がかかった。


「ティロル、どうしたの?」


 エルバイトの声で弾かれたよう振り返る。


「そこは、僕の弟、第二王子オーレンの部屋だけど?」


「第二、王子……。エル様、その方って今どうしているんですか?」


 これまで、姿を見るどころか話すら聞かなかった。

 同じ王宮にいれば鉢合わせることもあるだろう。

 なるべく彼を避けたい。その居所を知ろうとしたのだが。


「もういないよ」


 実にさらりと、こともなくエルバイトは答えた。

 その表情は、いつもどおりの優しい微笑み。


 しかし「いない」、とはどういうことなのか。


 エルバイトが即位したのなら、彼の後継が生まれるまで、第二王子は暫定で、王位継承権の一位になるはずなのだ。

 王宮にいるはずの存在である。


「いないって、だって、王族でしょう? お母上も王宮にいるでしょうに一体どこへ……」


「その人だって、もういない」


「え……」


「弟の母親、前王の妃ももういない」


 いない、いないと何なのか。彼らは簡単にいなくなってしまえない人のはずなのだ。

 それにエルバイトのどうでもいいような軽い語り口。


(笑顔なのに、エル様なのに……怖い?)


 その表情は美しく、明るいというのに……違和感が潜んでいるのだ。


「エル様……?」


 エルバイトを恐ろしいと思う瞬間が来るなんて。

 一歩下がったティロルに、エルバイトは穏やかに苦笑してみせた。


「困ったな、君は僕にとって大切な存在なんだ。そんなふうに、心を曇らせたくないよ」


 エルバイトがティロルの手首を掴む。


「エル様っ!?」


 第二王子の部屋の向かいの扉に手をかける。

 そこは来客用の予備客室のはずだが、なんの用があるのだろう。


「一緒に戯れようかティロル。そしたら僕に対する恐怖は解けるし、気持ちが明るくなるよ。うん、そうしよう?」


「……エル様?」


 エルバイトはドアノブに手をかけて客室を開けるとティロルを中へ連れ込んだ。


 客室の扉はパタンと音を建てて閉まり、表面上は何事もない素知らぬ顔を貫き続けた。

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【同作者の悪役令嬢&ざまあスッキリ短編 一万字程度】
✿⠜『悪役令嬢ざまあのために純潔を散らされましたが、当て馬宰相を私のものにしました』✿⠜

⭐︎参加させていただいたアンソロジー同人誌です⭐︎
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