Chat 9. 意外な救世主
「明らかに怖がってるじゃん、可哀想に。」
隣のテーブルから届いたその声に、リサはハッとしてそちらを見た。
薄い桃色の瞳に、真っ白な髪。頭からは、特徴的な短いツノが生えている。
丸い瞳はウサギのような愛らしさを感じさせるが、ストライプのシャツから伸びる腕はしっかりとした男性のもので、そのアンバランスさが妙に魅力的だった。
――うわ、珍しい。
思わず見惚れてしまう。インキュバスだ。異性の性欲や好意を糧に生きる種族。その特性ゆえにサキュバスばかりが目立ちがちだが、実際にはインキュバスも同じくらいの数がいる。
……ただし、彼らには“ある問題”があった。
「女性に媚びなければいけない種族」――そう世間にレッテルを貼られ、多くのインキュバスたちは生きづらさを抱えている。そのため、ほとんどが魔術で特徴を偽装し、普通の人間として生活しているのが現状だった。
だが、目の前の彼は違う。ピンク色の瞳も、ツノも――堂々とその特徴を隠そうともせず、むしろ誇示しているかのようだった。
「こんなに堂々と特徴を出してる子、初めて見た……。」
思わずリサは心の中で呟く。いっそ清々しいほどだ。
「異性の前で強く出られない私とは、全然違うな……。」
胸の奥に、じわりと自己嫌悪が広がる。リサは小さく唇を噛んだ。
「いや、こいつ俺の連れだし。嫌がってるのも、俺の気を引こうとしてるだけだから。」
男の手首を掴む力が強くなる。
痛い。
「そう?」
インキュバスは試すような視線を投げかける。
さも、リサの反応を楽しむかのように――その瞳が鋭く光った。
「お前、弱っちいな。」
そんなふうな目を向けられた瞬間、リサの中で恐怖が怒りに変わった。
「違います! 触らないで!」
リサは手を振り解き、勢いよく立ち上がる。急な態度の変化に、男はたじろいだ。リサはテーブルに食事代を叩きつけ、きっぱりと言い放つ。
「私、王立アカデミー修士卒なんで。専修免許も持ってます。偉そうな態度は、同じ学位を取ってからにしてください。」
実は、リサは飛び級で修士を終えている。
「あと、“暗い女”って言うけど、そこまで暗い女なら……あなたのこと呪って不能にしてやろうかしら?」
足の震えを必死に制御しながらも、リサは男をまっすぐ睨みつける。男が横柄に広げていた足を、シュッと閉じた。
「クス… アッハハハ!」
突然、レストランに響き渡る笑い声。インキュバスが口を開けて爆笑している。目には涙が浮かんでいた。
「お姉さん、いいねぇ。」
涙を拭いながら、彼はにっこりと微笑む。
「おとなしそうでつまんないかと思ったら、啖呵切るなんて。」
彼は優雅な仕草で手を差し出した。
「お姉さん、僕と遊ぼうよ。そいつよりは面白いよ?」
「いやだ、軽薄そうじゃん。」
リサは腕を組む。
「そんなこと言わずにさ、楽しませることを約束するよ。」
リサは一瞬迷ったが、彼の手を取った。
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二人が去った後のレストラン。
先ほどの男は、一人放心状態で座っていた。
そこに、黒髪の癖毛を持つ男が近づき、無言で向かいの椅子に腰を下ろした。
「逃げられちゃいましたね。」
男がヒューッと口笛を鳴らす。
「……あんな女に逃げられて悔しくないですか?自分よりも格下のくせに。むしろ、付き合ってあげることを感謝してほしいくらいですよね?」
放心状態だった男の瞳が、かすかに揺れる。
黒髪の男がそっと耳元で囁くと、その目が赤く妖しく輝いた気がした。
「……そうだな。」
男がふらふらと立ち上がる。
黒髪の男は、それを見届けてゆっくりと微笑んだ。
「――わからせてやらないとな。」