Chat 8. 初デートからまた波乱の模様?
[注意]このシーンには過去のトラウマや心理的な苦痛を想起させる描写が含まれています。苦手な方はご注意ください。
リサは頭の片隅で、一人ごちる。
うーん。なんだかなぁ。
おそらく、目の前の相手は悪い人ではないのだろう。私も人様のことをとやかく言えるほど立派な人間ではないし――だけど、それにしたって、やっぱり、なんだかなぁ。
対面で座る男の長話が耳を通り抜けていくのを感じながら、リサは笑顔を崩さないように必死だった。
話の内容は――確か、オーガ人力車の歴史的変化についてだっけ。それとも人喰い花の葉っぱの模様の違いについてだっけ。
どっちにしても、興味を引かれる話題ではなかった。
やっぱり、そう簡単じゃないよね。
そう思いながら、リサは気づかれないように、そっと小さくため息をついた。
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ジュールは飛び出して行った後ーー
魔道鏡の前にはパジャマ姿で正座をしているリサがいた。
まるで、鏡の前で何かに祈るかのように整えられたその姿は、誰もいない部屋ではどこか滑稽にも見える。しかし、リサ本人にとっては至って真剣だった。
ジュールが部屋を飛び出してから、リサは呆然と1日を過ごしていた。テストの採点をしているはずなのに何度も手が止まり、時間だけが虚しく過ぎていく。ふと気がつけば、外はすっかり暗闇に包まれていた。
窓を閉めようと立ち上がると、見慣れた石畳の街並みが目に映る。ともり始めたランタンや、風に揺れる発光花――いつもの風景だ。
だけど、今日はなんだか少し違って見えた。
婚活をすると一応決意を新たにしたからだろうか。それとも、他の要因だろうか。
リサはそう思いながら窓を閉めた。そして、軽く頭を掻きながら小さく呟く。
「とりあえず、家にある酒は封じよう。」
同じ過ちは繰り返さない主義だ。今はただ前に進むために、この鏡に向き合うしかない。
酒を封じたリサは、気合いを入れるために東洋の精神統一だという正座まで取り入れてみた。意識だけでも引き締めるにはちょうど良い。勢いで登録してしまった魔法マッチングサービス「アモール」に、とうとう接続する時が来た。
実はジュールが家を飛び出してから鏡を見るのを憚る自分がいたのだった。
魔道鏡の前に座り直し、大きく息を吸う。
「確か呪文とか、いるんだよね。」
自分でつぶやいておきながら、登録の際に鏡が教えた呪文を思い出す。これもまた小っ恥ずかしいものである。
「……鏡よ鏡よ、鏡さん。私の赤い糸を結んでください。」
やっぱり、ふざけた呪文だ――と思った瞬間、鏡が一気に反応した。
先程も見た淡いピンク色の光が鏡面を覆い始める。空気が軽く震え、鏡の中にぼんやりとした文字が浮かび上がる。
『ようこそ、アモールへ!あなたの運命の出会いをサポートします♪』
リサはその光景を少し嫌そうに見つめる。
このキャッチーなフォントはもうそろそろアラサーのリサには少し堪える。そして音声もやはり男性の声だとミスマッチだ。
少しの期待と、大きな不安を抱えたまま、リサは正座したままじっと鏡を見つめる。
「あなたに会いたい人が新たに20人います!あなたは素敵な人ですね♡」
最後の一文は自己肯定感を上げるためのメッセージで辟易としたのも束の間。20人?とリサは驚く。別に特段美人でもないリサである。しかもジャージ姿。それで録された自分で20人会いたい方がいるんだったら、ナターシャとかどうなるんだろう。
そりゃ遊びで使うわけだ。と猫科の友人を思い浮かべる。
『アモール』の仕組みはこうだ。
魔道鏡が、利用者の条件や好み、性格に合う相手を魔法で厳選し、その姿を鏡に映し出してくれる。
鏡の中に現れるのは、ただの静止画ではない。手を振ったり、メッセージカードを掲げたり、軽く笑ったり――さまざまな仕草を見せる。
(もうちょっとマシな表情にすればよかった……。)
リサは、自分の映像が登録されたことを今さら後悔する。
取り直しには2000ロゴスかかるそうで、後ほど請求がくるらしい。ムトンステーキが買えてしまう金額だ。
――まあ、今さら気にしても仕方ない。
リサは自分にそう言い聞かせ、鏡を見つめた。
そして、マッチングの仕組みは簡単だ。
「この人と話してみたい」と思えば、意思を伝えることでマッチが成立し、魔道鏡を通じてメッセージが送られる。お互いメッセージを送り合えばそのままマッチが継続される。と言ったところだ。
それにしても――。
これ、男性側の魔道鏡では、女性のメッセージが男の声で読み上げられるってことよね……。
気まずさに思わず首をかしげる。
(……それ、大丈夫なの?)
そう思わないでもなかったが、荒削りな仕組みには目をつむることにした。
とにかく、試してみることが大事だ。
リサは鏡の中の異性の像と目を合わせ、意を決して手を伸ばした。
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そして今――。
冒険者アカデミーでの授業を終えたリサは、期待と不安を抱えながら、初めての『アモール』デートに臨んでいた。
「先生、ちょっとおめかししてなぁーい?」
そう冷やかしてきた生徒の声は、聞こえないふりをした。内心、動揺は隠せなかったけれど。
もともと、平日の仕事終わりに会うつもりはなかった。
メッセージもほとんどやりとりしていないし、正直まだ心の準備もできていなかった。
……なのに、相手の押しの強さに負けてしまったのが、正直なところだ。
(はぁ、断ればよかったかな……。)
リサは目の前の相手をちらりと見つめる。
やっぱり会話が退屈だ。
遠い目をしながら、適当に相槌を打つ。
「で、職業なんだっけ?教員? まあ言っちゃ悪いけど、結構ありきたりな仕事だよね。」
唐突にタメ口に切り替わったことに、リサはわずかに眉をひそめる。
「教職取っちゃえば誰でもなれる的な? しかも呪物学って暗くない?」
(……なんで、この人は自分が年上だからってこんなに偉そうなの?)
リサはグッと笑顔を保つ努力をした。
あー、帰りたい。
でも、初デートだからって少しくらい期待していたのに……落差が激しすぎる。
今日はお気に入りのピアスまでつけているのに、なんだか悔しい。
ジュリアンだったら、こういうこと気づいてくれたのに。何年も会っていない顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
心がキュッと小さくなった。リサはあえて、明るい声を作る。
「呪物学は楽しいですよ。回復魔法では治しきれない症状に、薬草や補助魔法を組み合わせて……その指導が主な仕事で――」
「でもさ、教員でしょ?大した学歴なくてもなれるじゃん〜。」
「あはは……。」
リサはグラスを煽った。
ちゃんと言い返すべきだった。
舐められないようにしなければいけなかった。
だけど――知らない男がどう逆上するか分からない。
「でも、俺だけだと思うよ?」
男の顔が突然、ぐっと近づく。
リサの手首を掴む――ゾワリと、全身に鳥肌が立つ。
気持ち悪い。
振りほどけるはずの力なのに、体が硬直する。
……もう、打たないで。私が悪かったから。
脳裏に、5年前の記憶がフラッシュバックする。克服したはずだったのに。
「君みたいな暗そうな女でもいいって言ってくれる男、そうそういないよ?」
何を言ってるんだろう、この人は――そう一蹴したいのに、声が出ない。
体が動かない。
――誰か、助けて。
「ねえ。彼女嫌がってるんじゃない?」
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