間話 -追憶2-
ネタバレを避けるため、後書にこの話への気持ちを書いています。
この話は、どうか[この作品の楽しみ方]をご一読の上で読んでいただけましたら、嬉しく思います。
読んでほしい時が来たら前書きにでも書きましょう。
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夢であると認識する理性と、目覚めを妨げる本能。およそ逆に働く意識が混在している。久しぶり、のような感覚だが心当たりがないから鬱陶しい。
できることもないため、夢を楽しもうと緊張した意識を弛緩させた。
[〇〇高等学校第〇〇回卒業証書授与式]
手書きではあり得ないほど整った字だ。門に立てかけられた看板の横に並び立つ。自分の体を見下ろし、装いを正した。一連の動作と成人した体から、知らない誰かの視点を借りていることを理解する。
前を向くと、大勢の若者と大人達が集まっていた。若者は皆一様に、この男と同じ服装と見事な花の装飾を胸に飾っている。集団を象徴する装いなのだろう。空気感などから察するに、ここは若者を祝う場であり、両親も招かれた集まりといったところか。
看板の向かいにはウォード父さんよりも歳は上だろう男性、おそらくこの体の父がこれまた統一感のある美しい服装に包まれていた。
視点を共有したこの男のわずかな緊張が伝わってくる。感情も共有するのか。
父から視点を逸らし、男は体の前で手を組み直して前方に直る。一定の距離を空けて、小さな板を顔の前に構える青年がいる。この男と同じ集団に属するものだろう。
体勢そのままに目の前の青年が話しかけてくる。
「撮りますよ!えっと、ピーーース!!」
なんとも間抜けな声に、宿った男の緊張がほぐれた。
知らない言葉だが、なぜか聞いたことがある。その上理解できるというのだから、やはりこれは夢なのだろう。
後二度ほど似た掛け声を繰り返した板を持つ青年は、その板をこちらに差し出した。
「どっすか!これよくないですか!」
板の中には精巧に2人の男性が描かれていた。
看板右に立つ細見長身の男は自分と同じ服装で、看板の向かいには固い表情の父がいる。
他にも何枚か、似ているが異なる絵をいくつか見せられる。
(じゃあ、右の人がこの人かな。)
絵の中にはこの体だけを写したものもあった。
「私しか写ってないじゃないか。父のスマホだぞ。」
不服なのか、予想しなかったものに動揺したのだろう。スマホが何かは知らないがこの板のことだろう。
どうやら、先ほどの一連の光景を瞬時に絵にしたらしいこの板に興味をそそられるが、続けて放たれた父の言葉に全ての意識を引き寄せられる。
「ありがとう、母さんに送っていいかい?きっと喜ぶ。」
この男のものと共有された感情が縮こまった音を鳴らす。
自身の周囲へ思考を飛ばす。歓喜の顔を浮かべる若者と涙を浮かべる母親。この場にはたくさんの母親が来ているにもかかわらず、この男の側にそれらしき女性の姿がない。
「うん、おねがい。」
シミのように広がる寂寥感を堪えて、この男は返事した。
男が数日前のことを思い返す。その回想が教えてくれた。
この男の母親は体が弱く、数日前には最終警告を受けていた。今この時にでも事切れるやも知れぬのだそうだ。一刻も早く駆け付けたいという欲求に支配されているがそうもいかない重要な集まりらしく、深海の如き不安が全身から血を吸い尽くす。
焦燥感に溺れていた意識を、軽快な音が引き上げる。服にしまった自分の板が鳴っていたのだ。板には「母さん」の文字が浮かんでいる。堪らず落とした涙を拭う。緑の丸を触り、板を右耳に当てた。
「もしもし、母さん?」
どうにか取り繕った声は、震えを隠せていない。心配をかけるわけにいかないのに。
「大きくなったね。」
板に話しかけ、板から声がするその不思議な状況には目もくれず、赤子の精神は音に集中していた。男も同様に声以外の刺激を遮断しているようだ。
「卒業おめでとう。行けなくてごめんね?
びっくりしたよ、お父さんよりも身長が高くって、すっかり大人になっちゃって、、、、、」
啜り泣く音が聞こえる。
「ごめんね…ごめんね……」
赤子にその謝罪の真意はわからない。この祝場不在の詫びではないことだけはわかるが。
男は心当たりがあるようだったが、努めて考えないようにしている様子で、いまいち判然としない。
「俺の母親は母さんだよ。」
男がようやく口を開いた。近くにいる先ほど絵を写した青年が困惑した顔だ。
「皆勤賞だったんだ。父さんはすぐに風邪をひくから……きっと母さんの強さのおかげだよ。
大人……はわからないけど、丈夫に育ったよ。全部、母さんのおかげだよ。」
普段の様子とかけ離れていたのだろうか、彼を知るだろう幾人が別人を見るかのような顔でこちらを見ている。父だけは嬉しそうな目をしていた。
「――――ありがとう…愛してる―――――」
声が途切れた。
襲い掛かる嫌な予感。全身から吹き出す冷や汗が止まらない。みるみる顔色を変えるの顔に父も血相を変えた。
「母さん?母さん!?母さん!!!」
周囲が騒めくが、気にする余裕はない。
医者の宣告。迎えの時間。沈黙する心電図と一定に響く無感動な機械音。最悪の連想ゲーム、思いつくだけの予感を見る。
音を失った板は未だ「母さん」の文字を浮かべていた。
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「ーーー!ーーー!ーール!
ウォル!よかった目が覚めた。怖い夢だったね。大丈夫だよ、お母さんがいるよ。」
覚醒の衝撃。様子のおかしい自分を起こしてくれたのだ。母の言葉と目に飛び込む部屋の情報に夢のことなど忘れてしまったウォルスは、不意な言葉に心当たりはない。うなされてたのか?と考えていると、不意に何かが頬を伝う。ふっくらと丸い肌に伝う涙が柔らかい曲線を描いた。
心に正体不明の不安感、喪失感を抱えたウォルスは大粒の涙を目尻にためるが、泣いてしまってはダメだという、どこか盲目的な意地が育っていた。
無自覚だが、夢の男の表面に出てきた衝動の数々、泣いてはいけないという使命感、成長を促す焦り、失う予感などがウォルスの心を縛っていた。魂を共有し、魂に縛られるウォルスの闇が深まっていく。
そんな闇を払ってくれたのは母の子守唄だった。
淡青色の涼しげな髪色でありながら太陽のような母の温もりが、自分が守られていることを教えてくれた。なにがあっても大丈夫。その無根拠な安心感だけで眠れるウォルスは2歳の子供だ。
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無自覚ではあったが、ウォルスの魂が変化する。
「早く大人にならなければ」
決して音にならない魂の囁きがわずかにその声を強くしている。理由を忘れ、結論だけとなった衝動が心のままに泣くことを許してくれない。
しかし、母の大きな愛が、ウォルスの歪んだ成長を矯正する。
ウォルスは成長が速すぎるだけの”子供”になれたのだ。
タイトルにもある、「魂」
この作品の大切な設定です。
ウォルスが追憶する記憶の正体や、物語の最初から最後まで、この物語の全てがこの魂に縛られているのです。