第1ー2話 -異様の赤子-
母は間違えない。
子供だった私はそう思っていた。今でもそうあって欲しい思うのだから、やはり私は子供なのか。
しかし違ったらしい。母は間違いを揉み消すのが上手いんだ。
ありふれた日常。その一幕を演じるその女性テリスは、いつも通り普通の様子で家事をして、いつも通りを貼り付けて笑っている。
しかし、内に秘めた違和感は普通ではなかった。
産まれた赤子、ウォルスはあまり泣かなかった。
名前の由来は、父ウォードとテリスから文字ったものだ。
父母の名前から子の名前を決めるのはよくある話で、伝統ともいえる。
1児といえ、育児経験のあるテリスは、2人目となる息子ウォルスにほんの小さな違和感を抱いている。
全く泣かないのだ。いや、正確には泣いていた。空腹も下の世話も訴える。その意味の違いを見事こちらに伝える雰囲気を以て。泣き方か表情かは定かでない。
それ以外で泣くことは稀だ。テリーゼがしつこく頬を触った時くらいなものか。
意味も分からず泣くことはなく、必ず何らかの意図を含めていた。
あまりに赤子らしくない赤子は、神に愛された子なのだと、自己暗示するテリス。
幸せなことなのだと言い聞かせてはいるが、それでも違和感がぬぐい切れなかった。
道の脇に積もった雪が溶け、ようやく花の季節が訪れるかという時分。雲一つない清々しい空の息吹が暖かい。
暖炉の火はもう必要ないな。そんなことを考えるテリスに声がかかる。
「お母さん!ウォルがひっくり返ったよ!」
テリーゼの言葉に心臓が跳ねた。娘がひっくり返したことを自白してきたからだ。
まだ未発達の赤子の元へ、取り込み中の洗濯物を放り投げて駆けつける。
赤子の顔や首周りを確認する。テリスに想像できる全部だった。
一見異常はなさそうだが心配だ。知識の多い村長を呼ぶかとまで考え出すテリスの心配をよそに、娘は無邪気に喜んでいる。
「ウォルが1人で頑張ったんだよ!お母さんも褒めてよ!」
娘が、弟を一向に褒めようとしない母に苦情を漏らしたらしい。
しばらくの沈黙を挟み、テリスは理解する。
娘との温度差で風邪を引いてしまいそうになった。
(寝返りだったのね)
未だ鎮まらない耳にうるさい拍動を自覚し、深呼吸をする。
まずは娘と向き合おうとテリーゼへと顔を向けた。
「びっくりしたじゃない、リーゼがひっくり返したのかと思って、、疑ってごめんね。」
「もー!私はウォルのお姉さんなの!そんなことしないもん!」
リーゼとは、テリーゼの愛称だ。
テリーゼの言葉が足りなかったといえど、悪事を疑われたとあっては機嫌を損ねてしまうのも当然だ。
テリーゼは以前にウォルスを泣かせた時からおとなしくなった。よほど弟に好かれたいのか、叱りが効いたのか、たくさん謝ってお話しをしているらしい。
テリスはへそを曲げた娘に、後の手伝いを拒まれることを予感する。
機嫌を取るためウォルスに甘えることにした。
「ウォルスの寝返り私も見たかったな、どんな感じだったの?」
子供は好きなことを話したがるものだ。それまでの不機嫌など忘れて夢中になる。
娘のちょろさに期待して、話を挿げ替えたテリスの企ては想定が甘かった。
娘が語る息子の勇姿を理解するのは、それはそれは難しく、 途中で妨げるのも申し訳なかったテリスは、最後まで話に付き合うことになったのだ。
寝返りと関係ない話にまで進展し、紆余曲折を経て寝返りの話に戻ってくる。
結局、その日の家事を終えることなく日没を迎えた。
テリスはふと、テリーゼの寝返りはいつ頃だったかと思い返す。
(ウォルスよりも遅かったかな?これが普通なのかしら)
育てた赤子はこれで2人目だったテリスは、その疑問を深くは追及しない。
しかし、テリスの心には小さな種が植えられ、根を張った。
(もう1年経つのかぁ)
透過性の低い窓の向こうでは雪が降っている。上から下へとゆったり落ちていく数多の影に雪を見た。肌を伝う冷気が厚着を促す季節となった。
ウォルスはこの冬で1歳となる。少なくともこの村では、生誕季節を節目に年齢を数えているため、ウォルスは1歳になるのだ。
明確な日付はなく、肌寒さに外套を纏ったり、雪が降ったら誕生日、くらいな雑さである。
座った椅子から立ち上がったテリスは、暖炉のそばで穏やかな鼻息を奏でるウォルスへと近づく。
1周年が感慨深いのだろう、温みある笑みを浮かべたテリスは眠ったウォルスを抱き上げる。
ウォルスの成長は早かった。秋半ばには意味を持った言葉を話し、数歩ではあったが補助なしで歩いてみせた。初めての言葉が「いーちぇ」だったのが悔やまれる。
実際、ウォルスの世話をするのは娘が多い。正しくは譲らないのだが、負担が減っているため文句も言えず、もどかしい思いをしていた。
まだ6歳の娘に嫉妬を押し付けるわけにはいくまい。
父よりは先に呼ばれたため、この中途半端な表情だ。
我が子の成長を喜ぶ母は浮かれていた。鼻で故郷に伝わる子守唄を奏でる程度には。
「んん、あ」
ウォルスが眠気に包まれたまま目を開く。
テリスは、ようやく無意識に鼻歌を演奏していたことに気づいた。
「―――、起こしちゃったね、ごめんね。」
鼻歌を中断して謝る。その言葉が全て伝わるわけではないが、頻繁に話しかければ、言葉の覚えが早くなると、村長に教わったためだ。
「………いーよ」
テリスは、つばと一緒に息を呑んだ。
(伝わったの?)
この赤子に意味が。そして、
(さっきの返事、だよね?)
今まで名前しか話さなかったこの子が、
(会話、したのよね?)
思いの交換をしたのか。
(許されたの?)
わがままであるはずの赤子に。
これだけならば喜ぶべき成長だった。しかし、1年をかけて積もってきた、小さな小さな違和感のカケラが疑問の塊となり、渦となって心に溝をつくる。
神に祝福されたというこの赤子は、それにしても特異なのだ。
テリスは、以前にも[恩寵]を宿した子供が村にいたことを人づてに聞いたことがある。しかし、生まれてすぐに光ったという話は聞かなかった。
あの瞬間に、変わってしまったのではないか。何かが、宿ってしまったのではないか。
テリスの疑心が止まらない。
(この子は何かがおかしいのかもしれない)
硬く口を閉ざし、言葉にしなかったこの女性は、それでもきっと赤子の母だった。
次話は間話となります。
とても大切で、この話を補完する重要な話ですが、読まずに飛ばすことをおすすめします。
詳しくは[お願い]にある[この作品の楽しみ方]に記してあります。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。