第3話 オズワルドの子供達
「にゃう」
猫のジークは汗ばむ背中をよじ登る。
頭頂に至り前を見つめた。
「どこでも良いけど、落ちるなよ!」
賢太郎も猫が傷つくのを見て楽しめる様な酔狂ではない。かと言って速度を気にしていられる程の余裕もない。
「……別に、そんなに仲良くないんだけどなっ!」
立ち漕ぎをしながら独りごつ。
「…………」
ジークは腹の下にある賢太郎の頭に目を向ける。自転車は目的地に向けて進み続ける。
『────おや、もう来たか。ほら、姫。お待ちかねの王子様だ』
自転車を投げ出して、賢太郎が飛び込んだ先は潰れたホテルのエントランス。ラジカセが鳴り、声を発している。
「……あ、あ」
腕がない弘が座らされている。
側には黒い外套、顔の見えない男が一人。動かずに突っ立っている。
「…………」
ジークが賢太郎の頭から降り、ツカツカとラジカセのある方へと進む。
「おい!」
賢太郎は呼び止める。
『……ツイてない。私はとことんツイてないな。久々の再会、家族としては喜ぶべきかもしれんがな。どうにもお前も、アイツも。私にとっては都合が悪い……かもしれん』
「…………」
ジークは鳴き声すら発さず、警戒心を顕にしてラジカセを睨みつける。
『どれ、憶測で話すべきではないな。脳があるのだから。口があるのだから。ジーク、お前は人魚の居場所を知っているのか?』
「…………」
『まあ、答えなくても構わない。私には確信がある。津継宗尭が死に。その息子も、その妻も既に死んでる。一体何処の何奴の仕業だろうな。それは良いか……まあ、人魚は宗尭が持っていたのは知っていたさ。お前もだろ? オズワルドはそう言っていたしな』
答え合わせでもなんでもなく、これはジークの反応を見ているだけだ。
『さて、と。早いところ津継賢太郎を捕まえてしまいたいが』
間に入る様にしてジークが構える。
『お前はそうするだろうな。お前の事はちっとも分からないが、そうするというのは理解できる』
ジークがラジカセに向けて飛び掛かろうとした瞬間、入り口が開かれる。
「……誰だ?」
ジークも賢太郎と同時に振り返る。
立っていたのは鉄鎧。
「シャアアアアアア!!!」
「……おい! もう用件は済んでるんだよっ」
先程迄の比ではないほどの敵意をジークがぶつける。しかし鎧は全く気にも止めず、ラジカセに向けて歩く。
『やれやれ。また来たのか。ジーク……コイツは私が呼んだ訳で────』
ガシャン!
ラジカセが叩き壊される。ガ、ピ、ガ、ピと不愉快な音がこだまする。
「行くぞ」
弘を肩に担ぎ、ジークも回収して賢太郎はホテルの外に出る。
「安達、文句は受け付けないからな」
鎧、ティンはラジカセの破壊を確認してから振り返る。
『…………』
そこには誰も居なかった。
この空間には壊れたラジカセと、ティン。そして黒い外套の人物のみ。
『…………』
ティンは黒い外套を掴み、引き取る。中には案山子の様な物があった。
***
「オイ、死ぬんじゃねぇぞ!」
背中に掛かる重みに向けて注意を払いながら自転車を漕ぐ。二人乗り自体、賢太郎は今までする事がなかったが問題はない。
「賢、太郎……か」
「何やってんだよ、マジで!」
ジークは賢太郎の頭に乗ったまま後方を睨みつけていた。
「バカな事すんな! お前のことなんかどうでも、いいっ! けどな、お前が死ぬのは迷惑なんだよ!」
関わりがほとんどない。
だが、完全とは言い切れない。思い出があるし、関わりがある。それを過去の事だと理解していても、今は関係がないとスッパリと言い切る事は出来ない。
関わりがあった人間。疎遠と言える程でもない人間。まだ思い出が褪せる時間が経ったわけでもない。
「悪い悪い……迷惑かけた」
力なく笑う弘に「笑ってんじゃねぇ」と苛立ちを隠さずに呟く。
「俺がお前と距離取ったのは、お前がスケアクロウに入ったって知ったからだ」
これがなければ、今までと変わらない距離感でいられたのかもしれない。
「……そう、だったんだな」
感覚が麻痺しているのか。
「今回のはスケアクロウ関係か? 花鈴に会いたいって言ったのは、スケアクロウのメンバーであってんのか」
「…………」
答えがない。
「おい?」
「……あ、あ。悪い。意識が」
血を失いすぎている。
痛みを感じていない。だが、確実に血は失われていて。
「待て! もう少しだから! もうちょい耐えろ!」
病院まであと少しなのだ。
もう少しで。
そう考えていたところ、前方に人が見える。ブレーキ、間に合わない。
「────っ!?」
衝突する、と思ったのも束の間。何故か、賢太郎の乗っている自転車が静止する。ブレーキは間に合わなかったと言うのに。
車輪は地面より浮いている。
賢太郎は目を見開いた。
「……アンタは」
フードを被った男。見覚えがある。
「ミチナガさん!」
それを肯定も否定もせず、彼は消えた。
「また居ないし! ああ、でも!」
こんな事をしている場合ではない。慌てて、再度発進しようとして。
「にゃー!」
ジークが鳴く。
「大人しくしてろよ」
頭の上のジークを抑えて賢太郎は、後ろに居る筈の弘を確認しようと振り返った。
「っし、落ちて……は?」
なくなった筈の腕は治り、安らかな寝息を立てている。
「…………何だ、そら」
ありえない。
なくなった腕が再生するなど、現実的ではない。
「……にゃ」
弘の腕は縫合された様な痕が付いている。それが腕が斬られていた何よりの証左であった。
「…………」
ジークはフードの男が居た場所に身体を向けた。こんな芸当が出来るのは、彼しか居ないと確信があった。
ティンが去り、ラジカセが破壊された誰も居ない瞬間に、腕を回収した。そして治療までをも施して、何も言わずに消えた。
「一応、病院に……」
やってんのかなぁ、と言いながらもペダルを漕ぎ出した。
***
『やれやれ、傍迷惑な客人だ』
無人の廃ホテルにて一人の呟きが響く。先程までは彼以外にも人は居た筈だと言うのに、今は誰も居ない。
『ティンめ、腹いせか』
破壊されたラジカセを見下ろして漏らす。
『これが無くなろうが別に困りは……いや、困るな。スケアクロウに姿を晒す気はないからな』
彼の身体は人間のものではない。
木でできた身体、見た目は完全に案山子でしかない。スケアクロウの部下にこんな姿を見せるつもりがない。
反乱を起こされるのは堪らないから。
『上手く行くと思ったんだがな。いや、実際津継賢太郎を呼び出す所までは行けたか』
問題はそこにジークが伴っていた事。
『これだから心で動く奴らは……考え難い』
ラジカセを見下ろして言う。
『折角の好条件も今回で潰れた。結果を急いたな、私も』
呼び出せばこちらの物。
彼はそう思っていた。そこにジークが現れた。これが最初の予定外。だが、考えてみればジークが津継賢太郎と合流する可能性は彼には推測できた筈だったのだ。
『ジークは津継家と縁がある。それを忘れていたか』
ティンがやってきたという想定外が大きすぎる。
『潰し合ってくれれば助かるがな』
ジークが居なくなれば津継賢太郎と津継花鈴を守るモノが居なくなる。ティンが消えれば、暗躍を阻害されずに済む。
『それにしても』
彼はラジカセに背を向ける。
『……少し綺麗すぎる』
血が消えている。
染みついた筈の血が。
『兎も角、ラジカセを直すか。これがなくてはスケアクロウで指示を出せない』
彼はブレア・スケアクロウ。
口の回る、やかまし案山子。扇動し、賢太郎と花鈴を見つけ出そうとしたのだ。
賢太郎の知り合いであった弘はちょうど良かった。弘の方法では確実ではないと判断し、心に訴えかける事にした。
『どうしたものか』
深い夜の静寂の中、ブレア・スケアクロウは考え込む。