第2話 妹と猫
街にはスケアクロウと呼ばれる不良集団が存在していた。取り仕切る人物は未だ部下にも姿を見せた事がない。
チームマークには木の棒のクロス。
『お前たちに連れてきてほしい人物がいる』
根城にしている薄暗い、オカルトの名所として有名な廃ホテル。
エントランス中央には一つのラジカセ。
ラジカセからは流暢に話す声が響く。
『名前は津継賢太郎。或いは、津継花鈴でも構わないけどな』
ラジカセから声を発する男は『連れてきた奴には……そうだな。それ相応の褒美をやろう』と告げる。
『…………』
不良集団の中、紛れ込んでラジカセの言葉を黙って聞いていたモノが一人。
『期待してるぜ、お前ら』
スケアクロウは熱気に包まれる中、嵐が巻き起こる。黙って話を聞いていたモノが暴れ始めた。
『…………マジかよ』
ラジカセから驚愕の声が響く。
『オイオイ! ちゃんと調べとけよ! 仲間かどうか、分かるだろ! お前らの目は節穴かぁ!?』
部下たちが成す術もなく吹き飛ばされていく。嵐の中心は細身で、顔を完全に覆い隠す様な西洋風の兜を身に付けた人物だ。
『…………』
息の乱れる音はない。
疲弊など一切見せない。兜の人物は機械の様に、然し乍ら暴風の様に。暴れ、破壊を繰り返す。
『私が出れば満足か、ティン!』
ラジカセの男は兜と知り合いであったか、名前を叫ぶ。
『…………』
答えがない。
それすらもラジカセは知っている。
『お前……クソ。これだから口がない奴は』
ティンと呼ばれた彼は動きを止めていた。目的をラジカセの彼も察した。
『……先に取られんのが嫌ってか』
これに対しても無言。
ただ、これは肯定を意味していた。
「あぁああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
動きが止まったのを隙だと考えたか、スケアクロウの一員である少年が鉄パイプで後頭部を殴り抜く。
ガシャン、と音がして兜が転げた。
ボタ、ボタ。
何かが垂れる。
『……待て待て待て! お前、空っぽな筈だろ! 何を詰め込んでやがる!』
聞き覚えのない音にラジカセは動揺しているのか叫び立てる。答えがないのは分かっている。
ただ、理解する。
「う、うぉええええ………っ!」
廃ホテルエントランスに血肉の臭いが充満する。兜を拾い上げればミンチが零れ、胴体、首部分からは心太の様に血肉が溢れる。
『────そこまで、やるか……!?』
ラジカセが辿り着いた推測は外れていなかった。
『お前、人間の肉を詰め込んだな……!』
会話は成り立たない。
ラジカセの前まで進むティンを阻む者は居ない。
『……残念だな、ティン。私はそこに居ない。それにそこに居る彼らに私の居場所を知る者は居ない』
ラジカセを踏みつけて破壊する。
もう声は響かない。この場にいる理由を失くした嵐は去っていく。
「な、何なんだよ、アレ……」
スケアクロウの一員の少年は顔面蒼白で去っていく怪物を見ていた。
***
「…………チチチチ、チ」
仕事帰り、公園で猫を誘き寄せようと花鈴は舌を打ち鳴らしていた。時刻は午後八時過ぎ。空はすっかりと暗い。猫は動かず、警戒心からか花鈴を黙って見つめていた。
「むむむ……」
釣れない。
人に慣れていないのか。だが、逃げ出す気配は見えない。
「んー、君はお腹が空いてるの?」
蹲み込んだ状態で花鈴はコテンと小首を傾げる。カメラに撮られていたのなら、きっと絵になる光景だ。
「お菓子はあるけど……猫にあげるのはなぁ」
諦めて立ち上がる。
「また会えるかな?」
諦めて帰ろうとして花鈴は猫に背を向ける。
「にゃー」
ただ、それを引き止める様に猫が鳴く。いつのまにか足元にトラネコが擦り寄っていた。
「可愛いなぁ〜」
頬が緩み、頭を撫でようと花鈴はまた膝を曲げる。
「にゃ〜」
猫は背を向けて歩き出す。
少し歩いた先で振り返り、また鳴く。付いてこいと言いたげに。
「家に帰らないとなんだけど」
「にゃ〜!」
猫は花鈴の足元に戻ってきてソックスを引っ張る。
「わ、分かったって」
トラネコの愛らしさと必死さに、花鈴は後ろを付いていく。クネクネと細い道や開けた道を出たり入ったり。
気がつけば。
「あれ? 家の前だ」
トラネコは鳴く。
自慢をする様に。目を細めて。
「ありがとね。なんに対してのお礼か分からないけど」
「にゃー」
気にするな、と言う様に。
しかしトラネコは帰るつもりはないのか。花鈴の目の前に居たままで。
「ウチには有田さんが居るしなぁ」
花鈴はトラネコを抱きかかえる。今度は逃げる気配がない。大人しく抱かれたトラネコは胸の中で前を見据える。
「────ただいま〜」
玄関の扉を右手で開ければ、賢太郎が出迎える。
「おかえり、って。なんだその猫?」
「拾った」
「……野良猫か。大丈夫か? 噛まれてないか?」
「うん、全然。そうだ、明日って暇?」
「オイ。何飼う事決定してるみたいな言い方してるんだ」
「……わわっ!」
賢太郎と話しているとトラネコはバタバタと暴れ、花鈴の胸から飛び出して家の中を迷いなく進んでいく。
「あ、ちょっ……待て!」
賢太郎が追いかける。
入って行ったのはリビングだ。有田さんの入っている水槽の前でトラネコは座る。
「にゃ〜」
『……誰だ、私の眠りを妨げるのは』
悪ふざけか、有田さんは半目を開いてトラネコを見やった。
『……は?』
驚きから、有田さんは瞠目した。
「賢太郎〜、ダメー?」
「いや、お前が躾けするなら何も言わんけど」
賢太郎と花鈴がリビングに入る。
「ヤッタ。て事で、明日病院に宜しく」
野良猫であるのなら、病気の可能性も考えられる。
『……そうだな、それが良い』
有田さんは事情を何とか噛み砕こうとしているのか、歯切れ悪く言葉を吐く。
「有田さん、俺は花鈴の飯用意するから。花鈴は着替えてこい。有田さんは猫に様子見ててくれ」
リビングに鮪とトラネコが残される。
「にゃ〜、にゃにゃ」
『害意は無い、か。いや、私を食おうとは』
「にゃー」
猫は「んな訳ない」とやれやれといった風に首を横に振った。
***
「お手」
「にゃ」
「お座り」
「にゃにゃ」
花鈴の言葉にトラネコは器用に応えていく。花鈴は得意げに胸を張り、賢太郎はパチパチと手を叩く。
「ムーンサルト!」
「いや、それは流石に無理だろ!」
調子に乗った花鈴の指示に賢太郎はツッコミを入れる。猫には難解で、理解できたとしても実現は不可能だろう。
「ふにゃっ!」
それはそれは、見事なムーンサルト。
『……それはもう隠す気ないだろ』
トラネコのムーンサルトに盛り上がる賢太郎と花鈴とは違い、有田さんは呆れた目を向けた。
「うぇええええ!? 猫か!? 本当に猫なのか!?」
「どう! どうよ! 凄くない!」
「いや、お前じゃねぇけど! 凄ぇよ!」
有田さんの声は届かない。
「にゃにゃ!」
続けて前方宙返り。
明らかにただの猫ではない。凄い猫だ。二人の興奮が増していく。ただ、賢太郎のスマートフォンが水を差す様に。
「誰だ?」
着信のあったスマートフォンは回収屋としての物ではなく、私用の物である。
「……安達か」
未だ目の前で異常な芸を繰り出す猫も気になるが、仕方がない。賢太郎は画面をスワイプしてから耳元に持っていく。
「もしもし?」
『あー……もしもし? 賢太郎』
「何だ。今結構良いとこなんだけど」
ぶっきらぼうに言えば、電話の向こうの安達弘は『あ、いや……その、何だ。ちょっと頼みたい事あってさ』と申し訳ないのか、切り出しにくいのか。
「内容にもよるけど、何だよ」
猫はいつの間にか芸の披露を止め、賢太郎を見つめていた。
『実は花鈴を紹介してほしいって人が居てさ……』
「断る」
『いやいや、悪い人じゃねーんだって』
「めちゃくちゃ怪しいだろ。大体、何でお前からそんな話が来るんだよ」
『小学校からの付き合いだろ?』
「ほぼ話してないだろ、今」
高校に上がってからどちらの交友関係が変化しての影響かは定かではないが、友人と言えるほどの距離感には無くなってしまっていたと言うのに。
『そんなに怪しいって思うなら、一回賢太郎が会ってみて決めれば良い。それでダメならオレからも断っとくから』
「いや、普通に考えて会う理由がない」
躊躇いなく通話を切る。
しかし、何度も何度も弘から通話が来てスマートフォンは鳴り止まない。
「何回も何回も……うるせぇな」
『本当、一回で良いから』
「くどいって」
通話を切る。
それから数回なるが暫く掛かってくる事は無かった。ただ三時間後、午後十時。風呂上がりにまたスマートフォンが鳴り響いた。
「もしもし。またか、安達」
リビングで床に座り込み、賢太郎が対応する。リビングには猫と有田さん。花鈴は疲れていたのか、今日もすでに部屋に戻っていた。
『こんばんは』
「…………?」
『あれ、津継賢太郎くんのお電話でお間違いないでしょうか?』
「……いや、僕違いますけど。人違いじゃないですか?」
声色が弘の物とは明らかに違っている。
『いやいや間違いないだろ、津継賢太郎。このスマホは君の友人の安達弘のモノだ。で、今から会えないかな?』
「……いや、今からって。明日も学校ですし。と言うか、アナタ誰ですか? そもそも僕津継? 賢太郎なんて知りませんけど」
他人のフリで乗り切ろうとする。
『んー、じゃあコレでどうかな』
意味が分からない。
『今、カメラオンにしたから。画面見てみな』
表示されるのは目隠しをされ、椅子に縛り付けられた安達弘の姿だ。その後ろには顔を隠した男が一人立っている。
まるで、今から拷問しますといった雰囲気が感じられる。
『えー……では、ね。君が来ないとこの子、死んじゃうから』
「いやいや……何言ってんだよ。どうせ、そんな事できる訳」
『ふっ、はは……どうだろうか』
声は愉快そうに。
次の瞬間、カメラは赤に染まる世界を映し出す。
「……は?」
弘の左腕が切り落とされた。
『あ、ああああああああああああああああああああああっっっ!!!!? た、す……けて……嫌、だ』
悲鳴が耳を劈く。
「…………っ」
痛々しい光景だ。
だが、コレはフェイクだ。賢太郎は言い聞かせる。
「にゃー、にゃ」
トラネコが訴える。言いたいのは何か。有田さんは理解しているのか、代弁する様に。
『賢太郎。それはフェイクじゃない』
紛れもない現実だ。
「…………クソッ!」
『場所は商店街裏のホテル跡だ。待ってるぞ、津継賢太郎』
賢太郎は通話を切って、部屋を飛び出した。
いかに今が無関係であっても、知らない人間ではない。それに恨みがあった訳でもない。死なれるのは胸糞悪くて当然だ。
「にゃう!」
追ってトラネコが外に出る。
『……ジーク!』
津継家での名前はまだない猫。
有田さんは覚えのある名を呼んだ。トラネコも振り返る。
「にゃん」
問題ない、と言う様に。
自転車に乗った賢太郎の背中にしがみつく。
「おい、お前……っ!」
引き離そうとすると爪が背中に突き刺さった。
「痛ってェエエエ!!! だぁ、クソッ! 仕方ねぇな!」
叫びながらペダルを全力で漕ぐ。