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第1話 鮪の有田さん

 

「有田さん、ご飯ですよ」

 

 いつもの様に水槽の中の有田さん(鮪)に餌を与えて津継(つつぎ)賢太郎(けんたろう)は玄関に向かおうとした。

 別に彼の自宅は水族館ではないし、鮪を飼育できる程の巨大な水槽がある訳でもない。

 

『……いい加減、もう少し美味いものが食いたい。と言うか金魚の餌は止めろ。人権無視だぞ』

 

 有田さんは鮪(見た目)であって、鮪(本質)ではない。

 

「いや、その見た目で人権持ち出さないでください」

 

 賢太郎も有田さんを飼う事が決まった時は驚いた物だ。何せ、鮪が中年男性の様な渋い声で話し出す物だから。

 

「と言うか、有田さん良い歳ですよね? 自分の食い扶持くらい自分で稼いでくださいよ」

 

 賢太郎が肩を竦めて、冗談のつもりで口にすれば『君はアレか? 鮪の身体にオッサンの足が生えた怪物が「働かせてください」って言っても大丈夫だと思うタイプか?』とジョークで返される。

 

『あーあ、早く花鈴(かりん)帰ってこないかな』

「何、花鈴に飯ねだろうとしてんだよ。俺よりも稼いでるのは確実だけどさ」

 

 花鈴と言うのは今はこの場にいない賢太郎の双子の妹である。少女、津継花鈴はRINと言う名前でテレビや雑誌にと引っ張りだこの人気者だ。

 

 

『……私は金魚の餌など食わんぞ』

「無駄にグルメなんすね」

 

 やれやれと賢太郎は流し目で有田さんを見やる。

 

『テレビも自分だけじゃ碌に見れない。ゲームなどやりようもない。こんな私には食くらいしか娯楽がないだろう!』

 

 鮪の面ではあるのだが十二分に怒りは伝わってくる。

 

『それを貴様……貴様ぁ! 何故金魚の餌を水槽の中にブチ込む!?』

 

 態々、鮪が食べる物に良い物を買ってくる男子学生は居ない。収入にも期待できないのだから。

 

「悪かったよ、有田さん……帰りにはちゃんとした物買ってくるから、多分」

『そう言って、お前が買ってきた試しはないんだが?』

 

 鮪に贅沢をさせる余裕は一学生の彼にはない。

 

「それでも結構良い奴の筈なんだけど……」

『お金の使い方を間違ってないか? 私は金魚の餌の質が幾ら上がろうが、全く嬉しくないんだよ』

「味覚は人間なの何なんだろうな。一回解剖した方がいいんじゃないか?」

『人体実験は反対だ! モラルがないぞ、賢太郎!』

「鮪にモラルを説かれるとは」

 

 悠長に話を続けられる程、暇でもない。

 

「まあ取り敢えず……留守番宜しくな、有田さん」

 

 今度こそ賢太郎は玄関に向かう。

 

『そう言えばどこに行くんだ? 今日は学校休みじゃないのか?』

「学校は、な。まあ、色々あんのさ」

 

 本日は土曜日、休日。

 彼の本職は休みであるが、彼にはもう一つの肩書きが存在していた。

 

『変な事に巻き込まれない様に、気をつけるんだぞ』

 

 回収屋の賢太郎、である。

 具体的には誰かからの依頼を受け、依頼物を回収に向かうと言うだけの仕事である。

 因みに家庭の廃品回収はしていない。

 

「それ、花鈴の方に言うべきじゃない?」

『賢太郎、お前にだって危険はあるんだぞ。人体実験とか、拉致とか、監禁とか』

「何の人体実験だよ」

 

 賢太郎は「ま、気をつけるよ」と部屋を出る。駐輪場にある自転車に乗り、依頼のあった場所に向かって漕ぎ出した。

 

「……今日の晩飯は〜」

 

 鼻歌まじりでペダルを漕ぐ。

 昼前の街を抜けていく。

 

「……寿司も良いな」

 

 何度か賢太郎は有田さんの前で寿司を食べた事があるが、彼は何も言わずに食卓の様子を見ていた。恨みを持つでもなく、怒りに震えるでもなく。

 ただ当たり前の様に受け入れていたのだ。賢太郎が鮪を食べながらに尋ねた所『私には彼らの言葉が分からんし。私はどちらかと言えば人間の方に近いし』との事。

 完全な魚類の見た目をしていると言うのに。

 

「────えーと……これか?」

 

 今は使われていない廃工場。

 地べたに落ちている木の杖を拾い上げる。

 スマートフォンに送られてきていた写真と見比べる。特徴は合致している。

 

「回収の方は直ぐ終わったな。まあ、それが一番良いんだけどさ……花鈴と有田さんに心配かける訳にもいかないし」

 

 回収屋と言う仕事をしていると時折、厄介なことも起きる。依頼品が中々見つからないだとか。踏み込んだ場所が不良の溜まり場であったりだとか。

 

「さっさと依頼人に届けるか」

 

 工場を後にしようと出入り口の方へと賢太郎が身体を向けると、誰かが立っているのが確認出来た。

 

「…………?」

 

 先程までは確実に居なかった筈だ。

 フードを目深に被り、人相は定かではない。

 

「…………誰だろ」

 

 賢太郎は特に話しかけることもせずに横を通り抜けようとして、声を掛けられた。

 

「津継、宗尭(むねたか)は……息災か?」

 

 賢太郎は足を止めて振り返る。

 

「何で、爺さんの名前を」

「古い知り合いだ」

 

 相変わらずフードを取るつもりも、顔を晒すつもりもないのか。しかも、賢太郎に目を合わせるつもりもない。

 

「それで宗尭はどうしてる?」

「いや、もう死にましたよ」

 

 賢太郎の答えを聞いた為に間ができる。

 

「……そうか。死んだのか」

 

 噛み締める様に。

 

「馬鹿な奴だ」

 

 何処か憂う様に男は吐き出す。

 

「……もう良いですか?」

 

 思い出に浸っていようと賢太郎には関係のない話だ。依頼品は回収したのだから、後は届けるだけだ。依頼人を待たせる訳にも行かない。

 

「すまなかったな、回収屋」

 

 男の言葉に賢太郎はまたもや足を止める。

 

「……それも知ってるんですか」

 

 男は振り返ることなく「俺が依頼者だからな」と抑揚のない声で言う。

 

「それで。態々依頼者が現地にまで、何の為に……」

「津継賢太郎。君と話したかったんだ」

 

 依頼人が目の前にいるのなら、その人物が急かさないと言うのなら賢太郎が慌てる理由もない。

 

「話、ですか。それで、さっきまでので目的は果たされたんですか?」

「……一つだけ、聞きたいことがある」

「それ、本当に一つだけで終わります?」

 

 賢太郎が身体を男に向け直しても、見えるのは背中ばかり。

 

「……家族は、大切か?」

 

 賢太郎は素直に「そりゃ、まあ」と返答した。

 

「……そうか」

 

 彼は満ち足りた様な笑い声を上げる。

 

「ああ。そうだな。宗尭も家族が好きだったからか」

「何の話ですか?」

「君の祖父が家族想いだったという話だ。ただそれだけのな」

 

 結局、彼は一人で納得しただけ。

 賢太郎には何一つとして伝わらない。彼も伝わらなくて良いと思っているのだろう。

 

「そうだ」

 

 男は振り返る。

 

「これは依頼料だ」

 

 雑に放り投げられた紙封筒を賢太郎は空中で掴み取る。

 

「……家族が大事ならしっかりと守ることだ」

「出来る限り頑張ってますよ」

 

 賢太郎が顔を上げた時には、男の姿は消えていた。

 

「ちょ、杖は?」

 

 賢太郎が手に握っていた杖はそのまま。男が立っていた、地面には一つの書き置きが記されていた。

 

『杖は君にあげよう。いつかまた会う時が来るかもしれない。必要になったのなら、それを使ってくれると嬉しい』

 

 と。

 

「……名前くらい教えてくださいよー! 今度会ったら、ミチナガさんって呼びますからねー!」

 

 依頼者名、ミチナガ。

 依頼品は、依頼者が受け取りを拒否した事で賢太郎の手に。




 少女、RINは今をときめくアイドルである。連続ドラマで主演を務める事も決まり、芸能人人生は順風満帆である。

 

「賢太郎も変な仕事辞めたら良いのに」

 

 仕事終わり、電車からも降り。

 イヤホンを右耳に嵌め、兄と連絡を取りながら帰り道を歩く。それがRIN──津継花鈴──の帰宅ルーティンである。

 

『変な仕事ってな。回収屋だ、回収屋』

「だからそれー。それが変な仕事なんじゃん。回収屋って何よ」

『割と依頼あるんだぞ』

「ただのパシリだし、あんまり儲かってないでしょ?」

『そりゃお前と比べたらな』

 

 天下のトップ芸能人と比べては、ほぼ全ての人間は儲かっていないとなるだろう。

 

「別にお爺の遺産もあるし、私も充分稼げてるから養ってけるし」

 

 祖父の遺産を相続したのは賢太郎と花鈴であり、その遺産も相当な物であった。

 

『おい。俺の仕事を無駄な努力とか吐かす気か、愚妹』

「……いやいや、そんなつもりは。ただ私は心配なだけだよ」

 

 こんな事を続けていつか大変な事に巻き込まれるのではないか、と。

 

『有田さんにも気をつけろって言われてるし、少なくともお前には心配かけるつもりはない』

「だーかーらー! それやってる事自体が心配なの!」

 

 花鈴は少し声を荒げた。

 

『あー、分かった分かった。気をつけるから』

 

 その返しは何も分かっていないだろう、と賢太郎に見えてもいないのに花鈴は膨れっ面になる。

 

『そうだ、花鈴。スーパーに寄るつもりあるか?』

「んー? ……まあ、別に良いけど。何買えばいいの?」

『いや、俺も行くから』

 

 花鈴は周りを見渡して、近くのスーパーマーケットを教えると『了解』という答えが返ってきた。

 

「ねえ、どれくらい待てば良いの?」

『そんな待たせないって。直ぐだ、直ぐ』

 

 花鈴は外にあるベンチに座り、スマートフォンのゲームアプリを立ち上げ賢太郎の到着を待つ。

 

「ほら、直ぐだ」

 

 聞き慣れた声がして花鈴は顔を上げる。

 

「ねえ、まだ終わってないんだけど」

「待たせないつったのに、お前はさぁ」

 

 賢太郎は呆れを含んだ目で花鈴を見つめる。花鈴はゲームを止める。

 

「良いのか?」

「家帰ってからで良いでしょ?」

 

 ベンチから立ち上がり花鈴はスマートフォンをポケットにしまう。

 

「で、何買いにきたの?」

「寿司食いたいな〜、って」

「スーパーので良いの?」

 

 花鈴は財布を取り出して『お金ならあるよ』と言った風にアピールする。

 

「おい、止めろ。俺を誘惑するな。それに有田さんの飯も必要なんだよ」

 

 賢太郎は花鈴の悪魔の様な誘惑を断る。

 

「有田さんの?」

「金魚の餌は不満なんだとさ」

「有田さん、グルメだからね。もっと美味いのが良いって前も言われてなかった?」

「だから高いのにしたんだけどな」

「金魚の餌だからね、結局」

 

 スーパーマーケット内に入り、鮮魚コーナー前「刺身のが良いのか」と賢太郎が呟く。寿司となれば惣菜にあるが、刺身の方が良い気もしてくる。

 

「どっちもじゃ、ダメかな?」

「ダメだ。どっちかにしなさい」

「何で何で〜?」

「それはね、高いからだよ。分かるだろう、花鈴」

 

 下らないやり取りをしながら刺身の盛り合わせを購入して帰路に着く。これであればシャリとネタを分けて水槽に入れる必要もない。

 

「────ほ〜ら、有田さん。鮪だよー!」

 

 水槽内に入れられた鮪を『びゃぁああ! くっそウメェ!』と喜びを叫びながら有田さんが喰らう。

 

「……共食いじゃねぇか」

 

 賢太郎が思わず突っ込んでしまったのは仕方がないだろう。



 

 賢太郎が夕飯の片付けを終えて床に腰を下ろす。花鈴は自室に戻り、賢太郎と有田さんだけがリビングに残っていた。


『……その杖、どうしたんだ』

 

 ふと思い出したのか、有田さんが尋ねた。

 

「ん? ああ。今日ちょっとさ」

 

 改めて置きっぱなしにしていた杖を持ち上げる。馴染み方と言い、相当に質の良い杖であると賢太郎にも理解できた。

 

『似合わないな』


 見た目が、特別。


「そら、俺は学生だし」

 

 こういった杖が似合うのなど酸いも甘いも噛み分けた程に生きた人間くらいだろう。まだまだ、青い賢太郎には早すぎる。

 

「有田さん、使います?」

『私が? いやいや冗談だろ。鰭で杖は持てないぞ』

「腕生やせば良いじゃん」

 

 そこまでして外を歩く理由はない、と有田さんが言う。

 

『新しい服を買った、とか。髪型を変えた、とか。杖が使いたいから、だとかで私は外に出る気はない』

「まあ、仕方ないよな」

 

 鮪だし。

 

『……まあ、お前の考えてる事が確かに一番の理由だがな』

 

 口にせずとも、有田さんは賢太郎の考えている事が分かった。

 

『私はこう見えても過去を引き摺るタイプでな』

「有田さんの過去ね。まさか人体実験でもされたから鮪の見た目になったとか?」


 有田さんは首を横に振り、賢太郎の推理を否定する。


『いや、これは元々だ。どこの世界に人間を鮪にする奴がいる』

「いや、それ喋る鮪が居る時点で成り立たない気がするけど」


 有田さんは賢太郎の反論は受け流す事にした。


『……私はこの姿で存外助かってる事もある』

 

 実感があってか、彼はしみじみと言葉にする。

 

『何度か食われそうになる事もあったが、私が流暢に喋り出すとだな……』

「うん。それは流石に、うん。食欲が一番なくなるわ」

 

 胸の前で腕を組み、賢太郎はウンウンと頷く。

 

『なあ、賢太郎』


 鮪の顔色の変化は賢太郎には理解できない。それでも、声色には申し訳なさが滲み出ていたのは分かった。


「何だよ、有田さん」

『……迷惑をかけるかもしれん』

「今更だろ?」

 

 キョトンとした顔をして賢太郎は例を挙げてく。

 

「ほら、今日だって金魚の餌は嫌だとか。部屋をどっかり陣取ったりだとか」

『……そうだな』

 

 ブクブクと水槽の中に泡が立つ。

 有田さんが笑ったからだ。賢太郎も彼に釣られて笑みを浮かべた。


『それにしても今日の夕飯は最高だった。金魚の餌じゃなかったからな』


 何も言うまい。


「…………そうだな」


 鮪と青年の話声、笑い声が部屋の中で響く。しばらく彼らの談笑は続き、そうして夜は更けていく。

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