生きづらさ
それはいつだって突然にやってくる。
それが何なのかは解らない。それを何て呼ぶのかも知らない。
多分それを敢えて形容するのならば、これが鬱病と呼ばれるものなのかもしれない。
だけど私が知識として知っているそれと違うのは、これは発作的に起きるものの、時間が経てば緩やかに薄れていく所だ。
テレビドラマや小説、或いは知り合いの話し、ネットの知識等から得た情報では、鬱病と言う物は頑張りすぎている人が周りが見えなくなったり、誰にも相談せずに自死を選んだり、鬱病と診断されても本人は違うと否定したりするらしい。
確かに私も、人に相談することはしないし、この突然にやってくる、どうしようもなく死にたいと思う気持ちを、鬱病なのだと呼ぶ事に違和感はあるが、決して頑張りすぎる性格では無い。
自分が楽しく、死ぬその瞬間に笑顔で居られたら勝ち組だ、と言う持論を掲げ、楽しめないことはやらない主義だ。それだけに、最低限の事への責任感はあれど、努力をするつもりがない。
こうして時々、死にたい死にたいと軽々しく口にしながら自ら命を断つつもりの無い人間はきっと、世の中に五万と居る。
正直反吐が出る。
人と同じなんて絶対嫌だ。
大した悩みもない癖に死にたいと豪語して、その癖死ぬつもりも無い頭お花畑なクズ野郎は全員交通事故にでも見舞われて死ねばいい。
こっちはお前らと違って苦しいんだ。
この世界はとっても生き辛いんだ。
私の気持ちがお前らに解るか??
解らないんだろう??
誰にも理解されない気持ちなんて、知るわけがないだろう?
私が生まれてからもう--年も経ったのに、未だに自分の生みの親に食べ物の好き嫌いを間違われたり、久し振りに顔を合わせて楽しく遊んでいた筈なのに喧嘩になって、どうしようもなく寂しくなって、悲しくなって、情けなくなって、いっそのことこのまま死んでしまえば良いのになんて考えて、でも、それでも、どうでもいい筈の親を悲しませる真似も出来ないで、苦しい気持ちを吐き出す事も出来ないで一人泣いてる人間の事なんて、お前らみたいな幸せな連中には解る筈もないだろう??
別に良いよ、解ってもらおうなんて思ってないから。
それで?私の気持ちを聞いてお前も『そんなこと言ってるお前だって、俺の気持ち、俺の苦しみ、知らないし理解できないし知ろうともしないんだろ?』って思ってるんでしょ。
そうだよ。人間なんてそんなもんだよ。みんな相手の事なんて本当はどうでも良いんだ。それが本質だよ。
ただ自分が傷付きたく無いが為に、味方を増やそうって躍起になって、相手の望む甘言を吐き出して頭を垂れてる化け物なんだよ。
だから私は人間が嫌いなんだ。
気持ち悪くて仕方がない。
だけど本当に気持ち悪さを覚えるのは、自分の痛みにすら嘘をついて、平気なふりして、強い側の人間で居たがるこの自分自身さ。
色々な性格から少しずつ人格をもらって作られた個性、それが私と言う人間だ。
人によって顔を使い分ける、と言うのは珍しくなく、それをペルソナと呼ぶそうだが、私の場合はそもそも、どれが本当の自分かすら解らなくなってしまった。
それほどまでに、他人の顔で生きるのは生き易過ぎたのだ。
他人に何を言われ嫌われようとも、そこに本当の自分が存在して居なければ、自分自身への評価ではないと言い逃れが出来る。
自分自身への傷になる事がない。
だから今日もこうして、仮面を被って生活をする。
あまりにも自然にそれが出来る様になった時、そこには空っぽの器だけが残った。
人の形をした空っぽな入れ物。
何を考えているのか解らないとよく言われるけれど、自分が何を考えているのか、本当の自分が何なのか、そんなもの、こっちが聞きたいぐらいである。
はぁ……
こうして言葉にしてみれば少しは気持ちが軽くなるかと思いはしたけれど、依然として死にたい衝動のままだ。
死ぬ時はそうだな……苦しみが続くのは嫌だけど、なるべく痛い方法で死にたいな。
生きたまま心臓をかっ捌く様な、この精神病の様な物を、その苦しみを切り裂くように、そんな苦しみを感じる隙すら与えないほどの痛みを伴って死にたいな。




