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58. お引越し


「おにいちゃん!」


「にいさん」


 ドアを開けるや否や、僕の胸元に八茅留ちゃんと七菜ちゃん二人が飛び込んできた。


「うわあ! ちょっと二人とも!?」


「遅かったなのです!」


「自分を置いてどこに行ってたなのだよ」


 転んだ僕を構うことなく、二人は怒った様子でのっかかってくる。

 そんな二人をなだめるように僕は言う。

 

「今日はメイクのお仕事があるから遅くなるって昨日言ってたよね」


「そんなの知らないなのです!」


「仕事より自分と音楽について語るなのだよ」


 

 八茅留ちゃんはぷんぷんと怒っていて甘えん坊だし、七菜ちゃんは嫉妬深い恋人みたいなことを言ってない? 

 んー、やれやれ。


「ほら、二人ともごはん作ってあげるからどいてくれないかな。今日はハンバーグだよー」


 両手に持ったスーパーの袋を掲げて見せる。

 

「わ! お兄ちゃんのハンバーグ久しぶりなのです!」

 

 今晩の献立を伝えると、八茅留ちゃんは目を輝かせて立ち上がった。


 僕にしがみついたままの七菜ちゃんのお腹が、ぐーと鳴る。

 お腹の音ですらビブラートがかかっていたように思うけど、これは歌手と関係あるのかな。


 

「七菜ちゃんずっと音楽聴いててご飯食べてないんでしょ?」


 

 僕か訊くと七菜ちゃんはこくん、と小さく頷いた。

 やっぱりか。七菜ちゃんは音楽に夢中になりすぎて寝食を忘れるところがあるんだよね。

 

 それから僕は七菜ちゃんを部屋へと入るように促す。


 これ以上、玄関先でやり取りを繰り広げるのは(はばか)られたから、どうにか二人を部屋に戻すことができてよかった。

 顔出ししていない歌手の七菜ちゃんはともかく、八茅留ちゃんはUtuberとして顔出ししているからバレたら大変だ。


 

 そして、ご飯ができるまで待ってもらうように言って、僕は料理へと取り掛かる。


 

 キッチンから部屋を眺めると、デスクの前には七菜ちゃんが座ってヘッドホンをつけている。

 ベッドには八茅留ちゃんが寝転がってスマホゲームをしている。


 これまでだったら有り得ない光景を目の前にしながら、僕は昨日の夜のこと思い出していた。



 


 


 昨日の夜、僕は自室でヘッドホンをつけながら作曲をしていた。

 ガルコレの賞金で買ったパソコンを買ってからというもの作曲が捗っている。


 家を追放されてからパソコンを手にするまでボカロPの『V(ファイブ)』として活動が出来ずにいた僕だったけど、八茅留ちゃんと姫路さんのコラボ勝負のために曲を作ってから、作曲活動を再開したんだ。


 ――ピンポーン


 ヘッドホンを外して一息つこうとすると、軽やかな電子音が家に鳴り響いていた。

 ちょうどいま来たのかな? 宅配なんて何もないと思うんだけどな。


 玄関まで足を運び、覗き穴から外を見ると、そこには大荷物を抱えていた八茅留ちゃんと七菜ちゃんの二人がいたのだ。



「えええ?! どうしてここに?!」


 思わず僕は玄関の扉を開ける。


「おっそいなのです! さっきからずっとピンポン押してるなのですよ!」


 八茅留ちゃんがぷんすかと腹を立てていた。

 きっと僕が作曲に夢中になっていて気づくのが遅れていたんだろう。


「えっと、それはごめんね。でもどうしてこんな時間に? それにその荷物は?」


 八茅留ちゃんとは前に仲直りしたときに住所を聞かれたけど、急に訪ねてくるなんて思わなかった。


「家出したなのです!」

 

「えっ、はっ、い、家出えええ?!」


 八茅留ちゃんはその控え目な胸を張って自信満々だった。

 なんてことだ。


「独立もしていま八茅留は無敵なのです!」


 独立ってほんとかな? って思ってたけど後から聞くと天ヶ咲事務所から正式に独立したようだった。

 きっちりと書面で交わしているところに、八茅留ちゃんはこれまでひとりで配信者活動を頑張っていたのは伊達じゃないんだなと感心させられた。

 

「でもまだ未成年だから家がないなのです」


 確かに、未成年は保護者の同意なく家を借りるなどの契約をすることができない。

 いや、まさか……。


  

「だから、お兄ちゃんの家に泊めて欲しいなのです!!」


 

 はあ、そうきたか。

 その提案をする八茅留ちゃんの目は爛々と輝いていた。


 僕が断って家に戻るように言ってもいいけど、独立をしたということだし家に不満があったんだろう。

 このまま到底帰るとは思えない。

 

 じゃあネカフェとかに泊まるのかな。

 僕は家を追い出された日にネカフェで一夜を過ごしたけど、あそこは完全なプライベート空間というわけじゃないし、周りの音だったり匂いだったり結構しんどかったんだよね。

 いや、女の子をあんな場所で一日過ごさせるわけにはいかない。


 

「いいよ」



 まだまだああいう現実は八茅留ちゃんは知らない方がいいのだ。



「やったー! お兄ちゃん、ありがとなのです! ちゃんとお家賃も出すなのです」


「それはいいよ」


 妹からお金を貰うなんて兄として恥ずかしいことだ。


「配信業で稼いでいるなのです! 安心するなのです」


「うーん、……わかった。助かるよ」

 

 考えた結果。八茅留ちゃんが気兼ねなくここで生活するためにお金をもらっている方がいいだろうと思って承諾するのだった。



「それで七菜ちゃんはどうして一緒に?」


 さっきから気になっていたことを僕は尋ねた。

 僕の質問に七菜ちゃんの代わりに八茅留ちゃんが呆れたように答える。

 

「それがお兄ちゃん聞いてなのです。あの日からずっと七菜が、お兄ちゃんのことをVさんっていうなのですよ」


「えっ……」


「お兄ちゃんはVさんに作曲依頼をしてくれなのですけど、Vさんじゃないって言ってるのに聞かないなのです。そして八茅留が家を出ようとしているときに一緒について来たなのです」


 こっそり家を出ようとしてたのにほんとに七菜は耳がいいなのです、と八茅留ちゃんは家を出るまでのことを思い出しながらつぶやいた。


 家で作業をしている音を耳の良い七菜ちゃんには聞こえていたんだろう。

 でも天ヶ咲家の住まいの壁は厚みがあって物音なんて聞こえないと思うんだけどな……。

 八茅留ちゃんと七菜ちゃんの部屋は隣同士


「お兄ちゃんからも言ってなのです。自分はVさんじゃないって」


「う、うん。そうだね。七菜ちゃんぼくはVさんじゃないよ」


 僕がボカロPの『V』として活動していることは公にしていないので不用意にバレるわけにいかない。


「うそ」


「え?」


 断言する七菜ちゃんに僕はたじろぐ。

 

「それはうそなのだよ」


 そういって彼女は僕の部屋につかつかと入って、モニターの前まで行く。


「ちょっと七菜ちゃん!?」

 

「やっぱりなのだよ」

 

 七菜ちゃんはモニターを指さしていた。

 そこには先ほどまで僕が作曲していた画面が写し出されていた。


「ガルコレでのBGM、八茅留とのコラボ配信、そのどれも直接的じゃないけどあなたが関わっていると聞いた」


 ガルコレに五百里として出場していたし、八茅留ちゃんとのコラボ配信時にVに依頼したという形を取ったのは本当だ。


「それにあなたが家を出てから作曲活動をしなくなった時期も同じ」


「七菜、なに言ってるなのです? そんなの偶然なのです」


「最後に、玄関から聞こえてきた音楽で確信した」

 

「音楽なんて聞こえてこなかったなのですよ?」

 

 そう、八茅留ちゃんの言うとおり音楽が聞こえるはずもない。

 スピーカーから流してたわけじゃくてヘッドホンで聴きながら作業してたし。


 まさかヘッドホンからの音漏れ、それが家の外に聞こえてた?!

 そんな一般の人なら聞くことのできない音から分かったなんてすごい。


 七菜ちゃんは音楽のことについて天才だ。


 

「あなたがVさんなのだよ」



 モニターに映し出されいる曲は紛れもなくVの曲だ。

 音源をダウンロードしてミックスしてたとか、言い逃れはできるだろうけど、妹に嘘はつくのは居心地が悪い。


 

「そうだよ。僕がVだ」

  


 僕の答えに神妙に頷く七菜ちゃん、その横で八茅留ちゃんが突然のことに驚きの声をあげていた。



「これまでのことは謝るなのだよ、だから自分を捨てないで欲しいなのだよ」


 

 にいさん、と声を落とす七菜ちゃんは、放っておくとこのまま消えて居なくなりそうなくらいに儚げで、不安定なのが見てとれた。


 

「捨てるって……」


 

 ああ、そうか。

 僕が『V』でこれまで七菜ちゃんにだけ楽曲提供していたから、もう歌えなくなると思って怖いんだ。

 それを捨てられるって表現しているのか。


 もともと『V』の活動は歌手である七菜ちゃんをサポートするために始めたもの。

 僕が作った曲だって言ったら七菜ちゃんが歌わなくなると思って、有名になっても正体を明かせずにいたんだ。

 

 

「七菜ちゃんは音楽が好きで、それ以外のことには無関心だっただけだよ。謝ってくれてありがとう。僕も打ち明けられなくてごめんね」


  

「……ありがとうなのだよ」



 ここで一件落着かと思いきや、七菜ちゃんが続ける。



「自分もにいさんと一緒に住むなのだよ」


「ん?」


「にいさんの音楽あるところに自分もあるのだよ。ずうっといっしょなのだよ」


 ぐふふと笑う、七菜ちゃんの目がちょっと怖い。こんな子だったけ?

 

「お兄ちゃんがVさんだったなのです?! お兄ちゃんすごいなのです!」


 嬉しそうな八茅留ちゃんの顔がとても印象的だった。


 


 

 そんなこんなで今僕らは一緒に住むことになった。

 料理を待つのに飽きたのか、いつのまにか七菜ちゃんと八茅留ちゃんの二人が僕を挟む形で隣にいた。


「にいさんの料理を奏でる音、きもちいいなのだよ」


 七菜ちゃんは目を閉じてうっとりとしている。

 

「こねこねハンバーグ〜、ネコネコハンバーグ〜、にゃんにゃかにゃん〜」


 八茅留ちゃんは僕がひき肉をこねているの見ながら調子の良い歌を歌っている。


「八茅留うるさい、変な歌うたうな。にいさんの音が聞こえない」


「変な歌とはなんなのです! 七菜の言うお兄ちゃんの音の方が意味わからんなのです!」


「野菜を切る音、フライパンの油が弾ける音、にいさんがする全てが極上のASMRなのだよ」


「こいついかれてやがるなのですぅ!」

 

「はは、二人とも喧嘩はだめだよ」


 喧嘩をなだめつつもこの幸せな光景に、胸があったかくなる。



 

 それにしても明日から、久遠さんとの個人レッスンが始まるけど大丈夫だろうか。

 目まぐるしく変化していく生活に振り落とされないようにしないとね。


 

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― 新着の感想 ―
家の外からヘッドホンから微かに漏れた音が聴こえるとなると流石に耳良すぎて日常生活大変そう。 毎日隣の家のおっさんの排便の音とか聴こえたら発狂しちゃう。
また仲間が1人増えましたね・・・七女と八女・・・次は誰になるんでしょうかね?(次どころかないんじゃないか?)
今のところ、このエピソードが一番好き。何度も読み返してしまう。
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