55 元家族side 勝手なことばかり【零梛】
「社長、当事務所所属タレントの天ヶ咲八茅留についてご報告があります」
オフィスにて、社長椅子に腰掛ける零梛に向かってデスク越しに、書類を持った雪が話しかける。
「なにかしら。八茅留がどこぞのVtuberとコラボしてトレンド入りしたことなら知っているわよ」
先日、八茅留と星月かぐやとのコラボ配信は各種SNSでトレンド入りをした。
かぐやの天真爛漫でほんわかした空気と八茅留の憎めない悪ガキ妹というコンビの組み合わせは『かぐやち』と呼ばれ、「小さい子たちを見守ってみたいで癒される」「姉妹って感じがしてかわいい」と大きなお友達の間で人気が急上昇していた。
「はい。そのコラボ配信の視聴者の同時接続した人数は15万を超えて、おかげで八茅留ちゃんのチャンネル登録者は一夜にして3万に増えました。その多くはコラボ相手のVtuber『星月かぐや』さんから流入したものと考えられます」
「ふうん。どこの誰かは知らないけれどこちらの得になって良かったじゃない。ありがたいことね。まあネットの世界なんて所詮、芸能界の足元にも及ばないでしょうけれど」
吐き捨てるように蔑んだ目で零梛はいう。
零梛はテレビや映画、舞台に雑誌が芸能界において優れており、ネットのことは劣っているという意識がいまだに根強い古い人間だった。
「いえ、今やネットはテレビを超える媒体であり」
雪、と零梛はぴしゃりと話を遮る。
「今、私は議論を交わしたいわけではないの。改まって何かと思ったら、報告はそれだけかしら?」
「……余計なことをお伝えしてしまい、失礼しました。本題はこちらではありません」
零梛は言葉を発することなく、顎をしゃくって雪に話を続けるように促す。
そして、雪は息をゆっくりと吸ってから、静かに告げた。
「当事務所所属タレント、天ヶ咲八茅留の退所及び独立についてのご報告です」
「なんですって?! そんなこと私が許すとでも思っているの?!」
社長椅子に深く腰掛けていた零梛が、両手でデスクを叩いて立ち上がった。
相談ではなく、報告ということがことがすでに終わっていることを示していた。
「こちら資料になります」
雪は手に持っていたデスクに資料を広げる。
「なんなのこれは……」
零梛は記憶を探るも思い当たる節がない。
しかし、目の前に押されている判は自身の物だった。
基本、業務のほとんどを伍や雪に任せており、相談があったとしても話は聞き流していた。
他の姉妹が起こしたトラブルによって、膨大な決済をする際に適当に押してしまったのだろう。
そこには活動名や権利は引き継ぐことや独立した際、八茅留の不利益にならない行動を務めること締結されていた。
「……八茅留が退所したことによる損失はどれほどかしら」
もう後には戻れない。
そのことに気づいた零梛は、自身の損得についてまず尋ねた。
理由などはもうどうでも良かった。
「案件や広告収入こそ他の姉妹の方に比べれば多くないものの、今後の若年層への露出やアクセス、ショート動画などの将来性を考えれば機会損失は大きいかと」
「ぐっ。自由にしていいと言いましたが、家族がこんな時に足を引っ張る真似をして……」
零梛は唇の端を噛み締める。
どの口が家族と言っているのだろうか。
「わがままな子にはお灸を据える必要がありそうね、帰ったら叱からないといけませんね」
◇
「八茅留、話がありますからドアを開けなさい」
天ヶ咲家にて零梛は八茅留の部屋の前に来ていた。
何度か呼びかけるも反応がない。
「これだから引きこもりは……」
八茅留はゲームをしていたり、配信をしていたりしてヘッドホンをかけていることが多い。
今回も大方それだろうと、苛立ちからドアノブを回すと、ドアに鍵はかかっておらず呆気なく開いた。
「八茅留、事務所を退所して独立ってどういうつもり……」
契約書に判を押しているため、元には戻らないが苛立ちをぶつけるためにも問い詰める必要があった。
息巻いて部屋に入ると、そこにはなにもなかった。
数々のぬいぐるみはないし、モニターやデスク、ベットはおろか洋服だってない。物家の空だった。
「これはどういうこと!! あの子はどこに行ったの!!」
やり場のない怒りが、がらんとした部屋に吸い込まれていく。
きっと、家出だろう。
捜索願を出してもいいが、今天ヶ咲家はトラブルに見舞われて見栄えがよろしくない。
(もし捜索していることがマスコミにバレでもしたら、天ヶ咲家の評判がもっと傷つく……)
そう考えた零梛は、去っていったもの追うのやめた。
つまり家族の安否よりも、自身の利益のために容赦なく切り捨てたのだった。
零梛は八茅留の部屋を出て、自室の金庫にある現金をみて落ち着きを取り戻そうとしたとき、隣の部屋のドアに張り紙があることに気づく。
「ここは七菜の部屋よね」
そこには『探さないでください』と書かれた張り紙があった。
嫌な予感がした零梛がドアを開けると、八茅留の部屋と同様に人もおらず、物もなくっていた。
「どの子も勝手なことばかりして!」
零梛は家の壁を叩く。
「ふー、ふー……大丈夫、あの子が復帰したら今の状況から良くなることでしょう。それまでの辛抱よ」
零梛は挽回するための手を打っていたことについて無理矢理に意識を向けた。
そして、引き攣った顔でにやりと口角をあげて、ほくそ笑んだ。





