51.かわいそうなんかじゃない
「芸能界の表舞台から今すぐ身を引く……?」
思ってもみなかった言葉に僕は口に出して反芻する。
芸能界で僕が携わっていることといえば、アイドルグループ『アスタリスク』のお手伝いとガルコレでのV’sのデザイナーとしてだろう。
『アスタリスク』でのお手伝いは主に制作に関わることだから、他の人と関わるようなことはしていない。
だから天ヶ咲家の誰かに情報が入ることはないはず。
それに僕がV’sのデザイナーなのはトップシークレットだった。
関係者以外に知っているのは三華さんだけ。
でも三華さんがV’sのデザイナーの正体を明かすことはないと踏んでいる。
なぜならデザイナーが僕であることを明かすことは、三華さんがガルコレで僕に負けたことを流布する形になるからだ。
プライドの高いあの人が言うはずがないし、そもそも家族間で情報の共有なんてしない。
頭の中を思考が巡るが答えは出なかった。
「八茅留は知ってるのです。あつむがこの前のガルコレでモデルとして参加してたのを見たなのです!」
言われて思い出す。
たしかに僕、あのときモデルとして歩いてた!
「ぼ、僕がモデル? なんのことやら……」
「とぼけても無駄なのです。V’sの最後のモデルは絶対にあつむなのです!」
「V’sのモデル? あれは僕じゃなくて五百里ちゃんだよ?」
「八茅留の目は誤魔化せないのです!」
八茅留は自分の両目を両手の人差し指で示しながら言い切る。
そこには絶対的な自信の色がうかがえた。
でもあれはどうみても僕じゃなくて女の子だったし、五百里ちゃんという設定だったから誰にもバレないはずなのに。
「追い出されて行き場がなくなったからって女装なんかして、かわいそーなのです。人に迷惑かける前に芸能界から身を引くなのです」
八茅留はにやぁと笑みを浮かべながら続ける。
「そんなかわいそーなあつむには八茅留の専属のマネージャーにしてあげないこともないのです。やってもらうからには八茅留の朝を起こして食事の準備から動画の編集、企画出し、寝かしつけまで全てをやってもらうのです。八茅留より早く寝るのは許さないのです! タレントの面倒を見るならそれくらい当然なのです」
「八茅留……」
僕は天ヶ咲家にいた頃の日々を思い出す。
誰よりも早く起きて、休憩を取ることなく次々に降りかかる仕事をこなし、誰よりも遅くまで動く。
そんな地獄のような日々を思い出して体が震える。
断ろう、と僕は口を開こうとしたがうまく言葉が紡げない。
喉からつっかえているような嫌な感覚を覚える。
「だからほら、さっさと行くなのです」
八茅留は僕の手を掴み、喫茶店から連れ出されそうになった、そのとき。
「だ、だめー!!」
大きな声がして、僕の掴まれていた手が解かれる。
「姫路さん……」
声をする方を向くとそこに姫路さんがいた。
彼女が僕と八茅留を離してくれたのだ。
そして僕と八茅留のあいだに割って入り、僕を背にしてかばうように手を広げる。
「お前はなんなのです? しゃしゃり出てくるななのです」
「逆瀬川くんはかわいそうなんかじゃない」
「はぁ? 女装して何万にもの前に晒されて、そんな仕事がかわいそーじゃないなのです?」
八茅留は憐れみを帯びた目で僕のことを見据えていた。
それになぜだか分からないが五百里ちゃんが僕であると断定して話を進めている。
それを聞いた姫路さんはすぅっと息を吸って言った。
「逆瀬川くんはかわいい!!」
「「へ?」」
僕と八茅留の声が奇しくも重なる。
「女装した逆瀬川くんは最高にかわいいよ! ハーフツインもメイクも逆瀬川くんの小柄で女の子みたいな顔立ちにぴったりと合ってたし、投げキッスした時なんかかわいい過ぎて死んじゃうかと思ったもん。今もそれを待ち受けにしてるけど見てこれ! 天使がここにいるよね? だからかわいそーなんかじゃない、かわいいんだよ!」
早口で言い切った姫路さんはふんす、と胸を張っていた。
その顔にはどこか達成感があった。
なんかめちゃくちゃ褒められてて恥ずかしい……。
八茅留はなにか言いたげな表情だったけどそれをぐっと堪えているようにも見えた。
「ああ! 誰かと思えばお前もガルコレに出てたモデルの一人なのです! 待受の写真は五百里ちゃんなのにあつむのことのように話してたってことはやっぱりなのです」
「あ……」
やっちゃった、と言いそうな顔で片手で口元を抑える姫路さん。
「それにお前の声……なんだか聞き覚えがあるなのです」
ええーとー、と八茅留は頭をぐりぐりとしながら考えていた。
しばらくしてパッと顔をあげる。
「お前、Vtuberの星月かぐやなのです!?!!?」
「なんで分かっちゃったの!?」
「ちょっと姫路さん?!」
「あ……」
姫路さんは今度は両手で口を抑える。
にやぁと八茅留は口を歪ませてある提案をした。
「星月かぐや! お前の正体がバラされたくなかったら八茅留と勝負するなのです!」
「勝負……?」
姫路さんはその儚く整った顔に困惑の色をにじませていた。
「その勝負に八茅留が勝ったら、伍は芸能界から身を引いて八茅留のマネージャーになるのです」
「ぼ、ぼく?! 八茅留なんでそうなるんだ!?」
二人の勝負で僕のこれからが左右されてしまうのか!?
ま、まあ、姫路さんが勝負事なんてするはずがないか。
「……いいよ」
「ちょっと、姫路さん!?」
えええ!! なんで引き受けちゃうの!?
「でも、八茅留ちゃんが負けたら今後一切逆瀬川くんに関わらないこと」
「ぐ……分かったなのです」
僕を置いてけぼりにどんどんと話が進んでいく。
二人の瞳に灯された炎には意気込みが感じられた。
「あつむは八茅留が絶対にもらうなのです!!」
「そんな身勝手な人に逆瀬川くんは渡さない!」
ふぅ、ふぅ、と二人は肩で息をする。
「勝負の方法は追って決めるです。あとでDMするから待っとけなのです」
八茅留はそんなことを言い残し、バタンとドアを閉めて喫茶店から去っていった。
嵐が過ぎ去った店内にしばしの静寂が流れる。
僕は背中越しに姫路さんに声をかけた。
「姫路さんありがとう。今度は僕が助けられちゃったね」
僕が不良に絡まれている姫路さんを救ったように、今日は姫路さんに救われた。
まるで出会ったあの日の逆のようだった。
「ううん。逆瀬川くんにはいっぱいお世話になってるから」
姫路さんは振り返り、照れながらも答えてくれた。
「お世話なんてしたつもりはないんだけどな、たはは……。それに、逆瀬川くんは渡さないって言ってくれて嬉しかったよ」
「そ、それは……忘れて……」
姫路さんの顔がぼふっと一気に赤くなる。
「だめ、忘れないよ」
「うぅ……」
忘れるわけがない。
大切な友達が僕を想って言ってくれた大切な言葉だから。
「あ、あと……勝手に勝負を受けてごめんね」
しょんぼりと姫路さんの声が床に落ちる。
「八茅留が急に勝負を持ちかけてきたのも驚いたけど、それを姫路さんが受けたのはもっと驚いたよ。どうして受けようと思ったの?」
「逆瀬川くんのことをかわいそうだなんて言うから、私怒ってたの」
あの温厚な姫路さんが怒るだなんて信じられない。
それにね、と姫路さんは続ける。
「もし私が勝負に勝てば、逆瀬川くんは邪魔されずにこれまで通りの生活ができるかなって思って……迷惑だったかな? ごめんなさい」
「全然迷惑じゃないよ。僕を思って立ち向かってくれたんだよね? ありがとう。むしろ巻き込んじゃってごめんね」
そしてお互いに謝っているのがなんだかおかしくなって、僕らはくすりと笑った。
最近は支えるだけじゃなくて支えられることが多いな、でもそれが心地よくて。
緩んだ空気も束の間、暗い表情をした姫路さんがぽつりとこぼす。
「でも、勝負かぁ。どうしよう……。うぅ、逆瀬川くん助けて……」
さっきの不甲斐なさを取り払うように僕は胸を叩いて言う。
「任せて! 僕にできることならなんだって力になるから」
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オウギ先生の手によって、天ヶ咲家が迫力満点に描かれてて幹部集会みたいになってます!!





