60. 5万年前の木とプリンスの怒り
プリンスは怒っていた。彼を知らない人が見たら冷静なように見えただろうが、ものすごく怒っていた。
「あれが、シベリア研究所から送られてきた5万年前の種だったというのですか。それを私に隠してただの珍しい種だと言って望に送ったということですね、つまり、私と望をだましたわけですね」 プリンスの美しい顔がまるで、血の通っていないアンドロイドのようににスクリーンを通して所長を見た。所長は、暖かい室内にいながらツンドラを思って思わず身震いした。
「いえ、その、決して嘘をついたわけではなく、申し上げましたように、どうやっても芽がでないので、生きてはいないと結論がでておりました。そちらにお送りしたのは、その、万が一、もしかしたら、と思っただけで、本当に芽が出るとは」 しどろもどろになっている所長をもう一度感情のない目で見て、この件を外部に漏らすことのないように、とだけ言って通信を切った。
「ねえ、そんなに怒らなくても、悪気はなかったんだし。この間のお礼だって言ってハワイの果物を送ってくれて、そのついでに芽は出なかったけど珍しい種だから僕に試してみたらどうかって...そりゃそんなに古い大事な種だって知らなかったからつい試してみちゃったけど。なんだか、ごめんね」 望が執り成そうとしているが、プリンスの怒りは治まらない様だ。
「望に怒っているわけじゃありません。むしろ謝らなくてはならないのは私の方です」プリンスは胸の中の怒りと心配を抑えるために大きく息をつくと黙って立っているミチルを見た。
「一応研究所には厳重に口外禁止をしてあるが、これだけの大事となるとそのうち漏れると思っていた方がいいと思います。それでなくとも先日のブレイブ ニュー ワールドの件があったばかりですし」
「わかってるわ。ここに同居させていただいているおかげで平和に暮らせているけれど、それもいつまで続くか、ね。この子のことだからどうせそのうちやらかすと思ってたわ」 ミチルが望を見て諦めたように言った。
「ミチル、僕が何をやらしたっていうのさ」
「望、わからないならマダムに訊いてごらんなさい、このままいったらどうなるか」
「マダムに?」
「このまま望のやらかしたことが知られたらどうなるか、訊いてみたらと言っているのよ」ミチルの剣幕に押されて望が黙り込んで、考えてからプリンスを見た。
「僕はプリンスに迷惑をかけるかな?」もしそうなら、引っ越さなくてはならない。
「迷惑なんて事は絶対にありません。変な事を考えたら怒りますよ」望に怒ったことなどないプリンスの言葉は事態の真剣さを何よりも示していた。