7.フランクの宇宙旅行
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西暦 2392年 6月25日 11:00
ヨーロッパ区 ドイツ ミュンヘン
『フランク、君は今日40歳になった。君は今アイダ サントスと結婚して子供を持つか、グリーンフード社の宇宙計画に参加するか迷っている。君はアイダと別れ、宇宙計画に参加する事を選ぶ。例えアイダがなんといっても彼女を信じてはいけない。君の彼女への愛情は今日冷める。さあ、アイダに君の決心を告げよう。君は宇宙に行くのだ』
フランクは目を開けて正面に座っている女性を、初めて見るように眺めた。
アイダは34歳だ。柔らかそうな栗色の髪を複雑な形に結い上げて、きれいな首筋を強調している。顔立ちは整っていて少しきついが、髪の色と合わせた栗色の目がそれを和らげている。
どちらも生まれつきの色ではない。
(どうしてそんな事を知っているのだろう?)
40歳になるまでグリーンフードの研究所で研究だけをしてきた。同僚にアイダを紹介されるまで女性とは軽い付き合いをしたこともない。
アイダのような洗練された美しい女性が自分に好意を持ってくれたのが嬉しくて、たちまち彼女に夢中になった。
結婚して子供を育てたいというアイダは、フランクが2人の子供を持つ権利があることに大変魅力を感じたという。彼女自身は1人の権利を持っている。
「合わせて3人の子供が持てるわ。素敵じゃない?」
アイダは今日結婚の日を決めると思っている。フランクも、そう思っていた。
しかし、何かがフランクにそれをためらわせた。
そうだ、宇宙計画だ。
「アイダ、実はグリーンフードでは今度他社と共同で4世紀近く廃止されていた月のテラフォーミングの研究を再開する計画をたてている」
一旦参加すれば最低10年は月で生活することになる。
宇宙に出る事は、フランクにとって子供のころからの夢だった。そのために宇宙工学を専攻し、宇宙開発に最も熱心と言われるグリーンフードに就職したのだ。
「知ってるわ。素晴らしい計画で、さすがグリーンフードと誰もが言ってるわ」
「そうなんだ。それで、僕もその計画に選ばれたんだ」
「あなたが?」
アイダが目を見張った。
「今回の計画は長期になる。最低10年、長ければ20年は地球に戻れない。勿論休暇で短い間戻る事はあるだろうが」
「10年!当然辞退したのでしょう?月で子供を育てるなんて無理ですもの」
「いや、僕は行くつもりだ。君だって辞令を断った社員がどんな扱いを受けるかわかっているだろう?もう一生出世は望めなくなる」
世界は大企業が運営しているといっていい。企業は社員に絶対的忠誠を要求している。
「私はあなたが出世なんかしなくても構わないわ!グリーンフードは大企業ですもの、何も危ない思いをしなくても生活の保障はされているわ。あなたと子供たちがいればそれが一番の幸せよ!」
「僕が、行きたいんだ。申し訳ないが、君が一緒に月に来るのでない限り、結婚の話はなかったことにして欲しい」
フランクは思い切って一気に告げた。思ったより楽に言葉が出てきて驚いた。愛するアイダに別れを告げるのがこんなに簡単だなんて。
「わかりました。あなたのことを誤解していました。家庭と子供を大切にしてくれると思ったからあなたとの結婚を考えたのよ。仕事の方が大事だという男なんかこちらからお断りだわ」
柔らかい栗色だと思っていたアイダの目が冷たい灰色になって、彼女の顔がきつくなった。アイダのこんなきつい顔を見るのは初めてのはずなのに、何故か見慣れているような気がする。
振り返りもせず去っていく後姿を見ながら、フランクが感じたのは、大きな間違いを犯すところだった、という安堵の思いだけだった。
フランクは月での研究の成果を持って20年後に一時地球に帰った。しかし月の生活が性に合っていたと見えて、すぐに志願して、今度は最高責任者として月に戻った。
数々の新しい研究成果で彼の業績は高く評価された。
70歳の時に月に派遣されてきた科学者のエイミ モリモトと出会い、40歳の年の差を超えて愛し合うようになった。
2人は研究のために子供は持たない事で同意し、その後も月基地を基盤に火星、木星に出かけた。
100歳の誕生日に初の遠距離計画のため、フランクはエイミと共に宇宙船グリーンに乗り込んだ。 2人は並んでステイシスタンクに横たわった。今度目を開ければ200年後である。
「おやすみ、エイミ」
「お休み、フランク、すぐ会えるわ」
フランクは目が覚めた時の世界を描きながら目を閉じた。
「13時37分41秒、脳派停止、心肺停止。プログラム終了しました。ご遺体の確認を」
「全く60年分のプログラムだなんて、聞いてなかったわ。どこにそんなお金があったのかしら」
付き添っていた娘が言った。
「退職金も貯金も、価値のありそうな持ち物まで全部処分してあったぜ。全財産を使ったんだ。誰かにだまされたんじゃないか」
ちょうど現れた息子は疑わしそうに担当の医師を睨み付けた。
「ご遺体の確認をお願いします」
医師は表情を変えずに告げた。
フランクの死顔は安らかだった。
「笑ってないじゃない。笑顔で死ねる、という宣伝なんだから、笑ってなかったら、いくらか料金を返してくれてもいいんじゃない?」
娘が言った。
「私には笑っていらっしゃるように見えますが。余り感情を表に出す方ではなかったですから。もしお手元にお父様の笑顔のホログラムがあれば比べてみますか?」
そう言われても、彼らは父親のホロなど持っていなかった。
最初のコンサルティングを担当した医師は、フランクの妻が結婚後3年で、フランクに将来性がない事を理由に2人の子供を連れてフランクを離婚し、彼の上役と再婚したこと、一方フランクは、辞令を断ったためにメインテナンスに左遷され、2人の子供に送る養育費のために再婚もせずそこで働き、100歳で退職したことを聞いていた。
100歳での死は早いと思いとどまらせようとしたのだが、フランクの決意は固かった。
前妻に育てられた子供たちはお金の請求以外フランクに何の関心もなかった。
退職金とわずかな蓄えが無くなる前にすべてをプログラムにつぎ込んで、1日でも長く人生をやり直したい、と彼は訴えた。
プログラムは通常、現在の自分から始まる。しかし中にはフランクのように過去を塗り替えたい、という希望もある。
その場合、プログラムの導入前に、希望の年数分だけ過去の記憶を消してしまうので、脳にかかる負担が大きい。それでもこれを希望するクライアントは少なくない。
記憶消去後、自分の声で催眠を行う。自分が一番信用できる声、と言う事と共に、プログラムのなかでの自分に、自分でアドバイスを与える最後のチャンスだからである。この催眠導入部は、本人だけの秘密だ。
自分にどんなアドバイスを与えたのか知らないが、彼の子供達を見る限り、プログラムの中の人生が現実より幸せだったことは間違いない、と医師は思った。
人生のやり直しには憧れます。
次回漸く皆でマックの家に到着です